原作:ウィリアム・アイリッシュ / 監督:高橋治 / 脚本:田村孟、高橋治 / 撮影監督:小梶正治 / 美術:宇野耕司 / 音楽:前田憲男 / 出演:小山明子、渡辺文雄、瞳麗子、東野英治郎、高橋真二、斎藤達雄、東山千栄子、春山勉、土田桂司、須賀不二男、大塚君代、高木信夫、掘恵子、光村譲、町田祥子、新島勉、村上記代、伊久美愛子、末永功、井上正彦、遠山文雄 / 配給:松竹大船
1960年日本作品 / 上映時間:1時間36分
1960年5月27日日本公開
本格ミステリ作家クラブ10周年記念企画『美女と探偵〜日本ミステリ映画の世界〜』(2011/6/4〜2012/7/1開催)にて上映
[粗筋]
身重の状態で恋人に捨てられた石井光子(小山明子)は、死ぬ覚悟を決めて東京を旅立った。
あてのない旅の途上、乗った汽船の中で、光子は保科忠一(春山勉)と妙子(瞳麗子)という夫婦と知り合う。親の許可を得ずに強引に結婚し、これから保科の実家に赴く途中だ、という妙子は、光子の目には眩しいほどに活き活きしていた。
だがそこで、運命は光子を思いがけない方向へと導く。一同が乗っていた船が事故を起こして沈没、保科夫妻は死んでしまう。しかし、病院で目醒めた光子は、人々から“保科妙子”として扱われていた――船中で、ふとした経緯から結婚指輪を自分の指に預かっていたことで、取り違えられたのである。
意識を失っているあいだに生まれた我が子と共に、光子は忠一の弟・則男(渡辺文雄)に連れられて、四国にある保科の実家を訪れた。忠一の父・忠則(斎藤達雄)も母・すみの(東山千栄子)も光子が妙子であることを微塵も疑わないばかりか、長男を事故で奪われたことに悄然とし、もともとは疑惑を抱いていた“妙子”とその子供を、忘れ形見として快く受け入れる。
激しい罪の意識に苛まれながらも、流れに巻き込まれて“妙子”を装い続ける羽目になった光子は、だがいつしか保科家での穏やかな暮らしに、愛着を覚えるようになった。嘘を貫くために、妙子の過去の調査を依頼した探偵にも、「秘密を守るべきだ」と後押しされた光子は、最後まで“妙子”で居続ける覚悟を決めるが、しかしそんな彼女の前に、想わぬ人物が姿を現す――
[感想]
かつて、翻訳ミステリを読むことは一種のお洒落だったのだそうだ。過去の名作が次々と絶版になり、有名作家の新作でさえ訳出が危ぶまれるほどの窮地に直面している現状を思うと隔世の感があるが、こんな風に海外ミステリを翻案した映画が作られたのも、そうした時代ならではなのだろう。
しかし、仮になんの予備知識もなく鑑賞したとしたら、恐らくもとが海外の小説だとは気づかなかったはずだ。そのくらい、本篇は巧みにストーリーを日本に填め込んでいる。もともとアレンジがしやすかったのかも知れないが、この違和感のなさは見事である。
他方で、主な舞台を四国に設定しながらも、雰囲気が全般に洒脱であるのも面白い――別に四国が洒脱でない、などと言いたいのではなく、こういう“都落ち”のような筋書きを扱うと、よく移り住んだ土地の田舎っぽさを強調したり、ヒロインの苦労話ばかりが際立ったりしがちなのだが、本篇の場合は都会との距離感がほんの少し印象に残るぐらいだ。そのお陰で、作品のトーンから泥臭さが抜けている。このあたりは、海外の小説を翻案したからこそ生じた味わいと言えそうだ。
また、いわゆるサスペンスもののイメージに反して、血腥い出来事がなかなか起きないのも、翻案ものならでは、と言えるかも知れない。その代わりに、誤解に乗じて他人に扮し、見ず知らずの家に潜りこむ様子と、いつ嘘が発覚するかも知れない、という緊張感で観るものを牽引しており、その雰囲気はむしろ、安易に殺人事件という“ハレ”の瞬間を多用する凡庸なサスペンスドラマなどより遥かにサスペンスフルだ。
そうして空気を高めたうえでようやく殺人事件が起きると、展開の速度が一気に増すのに度胆を抜かれるが、それ以上に心理的な伏線がきっちり鏤められていることにも驚かされる。唯一起きる殺人事件の犯人像にも充分な驚きがあるが、しかしその人物が手を汚したことにも納得がいき、そうすることを余儀なくされた背景の哀しさに、観るものは胸を打たれてしまう。このあたりは、配役の絶妙さもものを言っている。
唯一引っ掛かったのは、ところどころ場面の雰囲気にそぐわない音楽を選んでしまっていることだが、音楽のトーンも決して悪くはない。ジャズ風に仕立てた演奏はそれ自体で聴き応えがあるし、作品全体が備える洒脱なムードをより強める効果も上げている。
もしいま同じように作ったとしたら、決して選択しないのではないか、と思えるラストにも味がある。往年の日本映画の懐が如何に深かったかを窺わせる、渋い詩情に満ちたサスペンス映画である。
関連作品:
『三本指の男』
『本陣殺人事件』
『死の十字路』
『猫は知っていた』
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