原題:“拳精” / 英題:“Spiritual Kung Fu” / 監督&製作総指揮:ロー・ウェイ / 脚本:パン・レイ / 製作:スー・リーホワ / 撮影監督:チェン・ユンシュー / 美術:チョウ・チーリャン / 編集:リャン・ユンチャン / 武術指導:ジャッキー・チェン / 音楽:フランキー・チェン / 出演:ジャッキー・チェン、ジェームズ・ティエン、リー・チュウシャン、リー・クワン、シン・ティエン、ウー・ウェンシュー、リー・タンチュン、カオ・チャン、ワン・チン / 配給:東映 / 映像ソフト発売元:Paramount Home Entertainment Japan
1978年香港作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:宍戸正
1980年6月14日日本公開
2011年4月8日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
大成龍祭2011上映作品
DVD Videoにて初見(2011/08/08)
[粗筋]
少林寺の書庫から、使用の禁止された殺人拳“七殺拳”の秘伝書が盗まれた。総長は責任を取って100日間の座禅を組み、見張り番だった者も3日間の反省房入りを命じられる。
門弟で、ちょうどそのとき外の見張り番を任されていたイーロン(ジャッキー・チェン)も一緒に罰を与えられたが、どうしても納得がいかない。絶食のあと、他の弟子たちと共に勝手に食事を作って、ふたたび罰を与えられる。
そんな矢先、少林寺にふたたび怪事が発生する。書庫に謎の“お化け”が現れたのだ。師匠や兄弟子たちがいいように弄ばれているなか、イーロンは彼らが書庫の隅に紛れ込んだ秘伝書をねぐらにしていることに気づき、“お化け”たちを屈服させる。
実はこの“お化け”たちは、“五獣拳”の秘伝書の精霊である。何者かによって盗まれ、その男の子息に伝授された“七殺拳”に唯一対抗しうる秘拳を、知らずのうちにイーロンは伝授されていたのだ……
[感想]
既にここで幾度も触れてきたことであるが、ジャッキー・チェンとロー・ウェイ監督の相性はとにかく悪かった。初期作品から順繰りに鑑賞してきて、そもそもロー・ウェイ監督にあまり才能がなかった……という評価が私の中では固まりつつあるほどだが、結果的にロー・ウェイが自ら監督した最後のジャッキー・チェン主演作である本篇でも、その手際の悪さは如実と言うほかない。
既に自らのアクション・スタイルがコメディと相性がいいことに気づき始めたジャッキーは、ロー・ウェイの製作会社在籍中に、意識してコメディを志した『カンニング・モンキー/天中拳』を、気心の知れたスタッフと協力して撮った。だが、完成させた作品を観たロー・ウェイ監督は激昂、同作をお蔵入りさせた上、「俺が本物のコメディ映画を見せてやる!」という勢いで息巻き、本篇を作ったのだという。
そういう経緯を知った上で、私は本篇を鑑賞したのだが――どちらの方がコメディとして優秀か、と問われたら、私は間違いなく『天中拳』のほうに軍配を上げる。
『天中拳』だって、決して出来のいい作品ではない。コメディを志向して撮ったのはよく解るが、中途半端なパロディを組み込んだりシチュエーションが変に入り乱れていたり、で全体にユーモアが効果を上げておらず、空回りしている感が強い。ジャッキー流アクションとコメディの相性がいいのは既に窺えるが、その活かし方はまだまだ手探りのまっただ中で、未熟さばかりが際立っていた。
しかし本篇はそれよりも酷い。どうすれば笑いに繋げられるか、ということをさほど考慮せず、ただハチャメチャなことをすれば観客は笑うに違いない、程度の認識で作っているのが見え見えなのだ。確かにそれでも笑えるものは笑えるし、作り手の姿勢が誠実なら不快にも思わないのだけれど、本篇は観客に対する侮りが見え隠れして、どうも気分が良くないのだ。
ジャッキー自身がのちに自著で不快感を表明している、精霊に向かって小便を引っかける場面もそうだが、そもそも立ち位置が不明瞭で悪ふざけをしているようにしか見えない精霊達の振る舞いは、滑稽といえば滑稽だが、あまり笑えない。かと思うと、せっかく『天中拳』で既にジャッキーが膨らまし始めていた、コミカルなアクションという趣向をほとんど殺してしまい、鑑賞後この感想を書くまでのあいだに、細かいところをほとんど忘れてしまうほど印象に残らないものにしてしまっている。『天中拳』の出来映えが決して良くないのは確かでも、その随所に滲んでいた意欲や、面白い部分をきっちり抽出して活かしていれば、より面白い作品になったものを、それを一切合切無視しているのが、なまじ続けて観ていると余計に不愉快だ。そんなに違うものが作りたいなら、そもそもジャッキーに拘る必要もなかっただろうに。
終盤の展開は若干惹きつけるものがあるが、それも結局は、本篇に至るまでの作品で受けたツイストを再利用しているから、というだけで、本篇をコメディとして仕立てたが故の面白さでは決してない。むしろ、これまでに多少なりとも評判の良かった骨格をそのまま流用しているだけの、相変わらず思考停止した映画作りをしていたことを露呈している。締め括りで、ジャッキー演じるイーロンと精霊達が見せるやり取りは少し笑わせるが、それまでのマイナス点を挽回するには至っていない。
前述の、わざわざ『天中拳』をお蔵入りさせてまで作った、というエピソードから、ほんのちょっとだけ期待してしまったのだか――やっぱり、私にはこの監督の仕事にどうしても好感が持てない。彼のもとで過ごした不遇の数年が、結果的にジャッキー・チェンという新しいアクション・スターを誕生させるきっかけになった、と評価出来るのは解っていても、やはりこれからジャッキー作品を観よう、という人に薦めるには、ロー・ウェイ監督下で撮った作品は相応しくない、と思う。コンプリートを目指す奇特な人だけが観れば充分だろう。
ちなみにこの作品も、結局は配給会社がつかなかったために実質お蔵入りとなり、のちにジャッキー・チェンの人気が沸騰したことで、初めて日の目を見ることになった。こういうのも、禍福はあざなえる縄のごとし、と言っていいものか。
関連作品:
『蛇鶴八拳』
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