原題:“Edward Scissorhands” / 監督:ティム・バートン / 原案:ティム・バートン、キャロライン・トンプソン / 脚本:キャロライン・トンプソン / 製作:デニーズ・ディ・ノヴィ、ティム・バートン / 製作総指揮:リチャード・ハシモト / 撮影監督:ステファン・チャプスキー / プロダクション・デザイナー:ボー・ウェルチ / 特殊メイク:スタン・ウィンストン / 編集:リチャード・ハルシー、コリーン・ハルシー / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー、ダイアン・ウィースト、アンソニー・マイケル・ホール、キャシー・ベイカー、アラン・アーキン、ロバート・オリヴェリ、ヴィンセント・プライス、コンチャータ・フェレル、ビフ・イェーガー、ジョン・デヴィッドソン、キャロライン・アーロン、ディック・アンソニー・ウィリアムズ、オーラン・ジョーンズ、スーザン・ブロンマート、リンダ・ペリー、ジーナ・ギャラガー / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
1990年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:戸田奈津子 / PG12
1991年7月13日日本公開
2010年8月4日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/10/25)
[粗筋]
アメリカの何処にでもありそうな住宅街のすぐそばに、朽ちかけたお城がある。長いこと人の出入りも見られなかったが、ある日、化粧品の訪問販売をしているペグ(ダイアン・ウィースト)が、仕事の手応えのなさに半ばやけっぱちで、その門を潜った。
誰も住んでいないように思われた城には、だがひとりの青年がいた。エドワード(ジョニー・デップ)と名乗る彼は、非常に風変わりな格好をしていたが、何よりも目を引くのはその両手だった。エドワードの両手は、ハサミになっていたのである。
城に住んでいた発明家(ヴィンセント・プライス)が遂に完成させた人造人間であるエドワードは、最後に手を付け替えてもらえるはずだったが、直前で発明家が急逝したため、ハサミの手のまま、広大な城の中にひとり取り残されてしまった。
その風貌に最初は驚いたペグだったが、ものにうまく触れられず、自分の顔にたくさんの傷をつけた彼の境遇に同情し、エドワードを自分の家に連れ帰る。
ご近所関係の緊密な住宅街では、ペグが奇妙な男を連れ帰った、という噂はあっという間に広まった。最初は、手がハサミの奇怪な姿をした男に対する好奇心が先に立っていたが、やがてエドワードの優れたハサミ捌きが、彼を意外な人気者に仕立てていく……
[感想]
20年以上を経た今でも、本篇はティム・バートン監督の代表作と呼ばれている。いちおうテレビ放映で鑑賞した経験はあるが、こうして初めて約100分、きっちりと向き合ってみると――確かに、これはティム・バートン監督の代表作である。
一般に、デビュー作にはその作家の特徴が凝縮されるという。本篇はもともとアニメーション作家であったティム・バートン監督にとってデビュー作でないばかりか、初めての実写映画というわけでもないが、しかし間違いなく彼の精髄が凝縮されている。
改めて観ると冒頭、アメリカにはよくある、ほとんどの建物が同じデザインで統一された、無個性な住宅街の真横に、いきなり峨々たる山が聳え、その頂上に城が佇む光景が描かれて度胆を抜かれる。だがこの趣向は、今にして思うと非常にティム・バートン監督らしい。日常的な光景から、突然幻想空間に導かれる感覚は、次第に洗練され彼の描く物語世界に溶け込んでしまい、もはや意識することもなくなったが、間違いなく監督の持ち味なのだ。
だがその一方で、周囲の人々もある意味でフツーではないのも監督の個性を感じさせる。たっぷりと肉の付いた婦人もいれば、エドワードの“危険”な風貌に女として魅力を感じてしまう女性もいたり、と人物像の肉付け、描き分けは類型的だが、ファッションや言動でシュールな可笑しさを滲ませるあたりは、後年の『アリス・イン・ワンダーランド』のような徹底したファンタジーにも繋がるイメージだ。
価値観としてはごく一般的、しかしだからこそ善意と悪意が入り乱れるあたりも、ティム・バートン監督ならではの毒性を滲ませていて興味深い。あからさまに好奇心の眼差しでエドワードを傍観する者もいれば、彼の特殊技能を利用しようとする者もおり、はじめから猜疑の眼差しで眺める者もいる。ある事件が契機で、少しずつ集めていた信頼があっさりと覆ってしまうあたりも、ドラマとしては定番だが、本篇の描き方は丁寧で、そしてインパクトが強い。
だが、この作品が強く心に残るのは、人々のエゴをある意味で容赦なく抉り取りながらも、そんななかで優しさがはっきりと感じられるからだろう。初対面の経緯ゆえ最初は強烈に警戒しているが、エドワードの人となりを知って理解し、次第に惹かれていくキム(ウィノナ・ライダー)や、最初はエドワードを訳あって逮捕するものの、そっと気遣う警官などが印象的だが、誰よりも象徴的なのは、はじめからエドワードに優しく接し、最後までブレることがないペグだ。彼女が、そのおどおどとした振る舞いからすると意外なほどに、同じ態度でエドワードに対していることが、物語の光明として最後まで存在する。甘さと快さを添えるのが、決して抱き締めあうことが出来ないキムとのロマンスであることは間違いないが、そこに導くきっかけでもあったペグこそ最重要人物であり、彼女の立ち位置こそが、実はこうしたファンタジー作品におけるティム・バートン監督の姿勢を何よりも象徴するものではなかろうか。
発明家の城の、いささか過剰なギミックの数々、ダニー・エルフマンのどこかクラシカルで、しかし記憶に残る鮮やかな旋律もさることながら、特に重要なのはやはり、本篇で初めてジョニー・デップを起用したことだ。当代きってのカメレオン俳優と呼ばれる彼の魅力を引き出し、デップにとっても代表作となっている本篇だが、その後『スリーピー・ホロウ』から前述の『アリス・イン・ワンダーランド』に至るまで、ここ数年繰り返しティム・バートン監督とコンビを組んでいる彼との初顔合わせである、という意味でも、本篇はとうぶんその価値を落とすことはない。いまよりも声に癖のない、非常に作ったキャラクターであるにも拘わらず、ジョニー・デップであることが解る存在感は既に風格を漂わせると共に、ティム・バートン監督作品との相性の良さを早くも感じさせる。最近の作品で彼の才能を知った人には、是非とも観ておいて欲しい名演である。
無論、そうしたあとのことを考慮しなくても、この作品が優れたファンタジーであることに変わりはない。初めてテレビで鑑賞したときに観た美しいラストシーンはいつまでも心に残っていたが、今回、劇場で鑑賞した際、スタッフの悪戯心で手を加えられた“20th Century Fox”のロゴを観た瞬間、それだけで涙腺が緩みそうになった。
いちど観たあとでも新たに出来る感動がある、それが何より本篇が傑作である証拠だろう。
余談であるが、本篇にてペグがエドワードと初めて出逢う場面、しばらく眺めていて、思わず笑いそうになった。城の屋根裏のような場所なのだが、その美術が、後年のバートン×デップの傑作『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』の凶行の舞台と非常によく似ているのである。
そういえば、本篇の主人公エドワードは途中で、ヘア・カットの才能を見出され、自分で店を出す、という話が持ち上がっていた。そういう観点からこの2作品を並べて鑑賞してみるのも一興かも知れない――たぶん、きちんと研究的に一連の作品を鑑賞していた方は、もうご存知のことだとは思うけれど。
関連作品:
『ブラック・スワン』
『汚れなき悪戯』
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