『鳥』

鳥 (The Birds)  [DVD]

原題:“The Birds” / 原作:ダフネ・デュ・モーリア / 監督&製作:アルフレッド・ヒッチコック / 脚本:エヴァン・ハンター / 撮影監督:ロバート・バークス / プロダクション・デザイナー:ロバート・ボイル / 編集:ジョージ・トマシーニ / ティッピー・ヘドレン衣裳デザイン:イーディス・ヘッド / 音楽:バーナード・ハーマン / 出演:ティッピー・ヘドレン、ロッド・テイラー、スザンヌ・プレシェット、ジェシカ・タンディ、ヴェロニカ・カートライト、ドリーン・ラング、エリザベス・ウィルソン、エセル・グリフィス、チャールズ・マックグロー、ロニー・チャップマン、ジョー・マンデル、マルコム・アターベリイ / 配給:ユナイテッド映画 / 映像ソフト発売元:Universal Pictures Japan

1963年アメリカ作品 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:?

1963年7月5日日本公開

2009年6月5日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/12/19)



[粗筋]

 ある新聞社の社長令嬢メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン)は、注文していた九官鳥を引き取りに行ったペットショップで、通称“愛の鳥”を探しに来た男にからかわれた。自分の素性を知った上でもてあそんだ男に、メラニーはちょっとした報復のつもりでイタズラを試みる。

 このときは店になかった“愛の鳥”を取り寄せさせると、メラニーは父の伝手を頼って調べ出した男のもとにこっそり届けることを目論んだ。ところが件の男、ミッチ・ブレナー(ロッド・テイラー)は毎週末、母と幼い妹が暮らすボデガ湾で過ごすのが習慣だという。部屋の前に置いておくことは出来ず、メラニーは意地で100キロ近く車を走らせ、ボデガ湾を訪ねた。

 狭い土地ということもあってか、ミッチの実家を見つけるのは難しくなかった。だが、ミッチの妹の名前を知るために向かったボデガ湾小学校で、話を聞いたアニー・ヘイワース(スザンヌ・プレシェット)にやたらと曰くありげな態度を取られたり、訪ねたブレナー家でミッチの妹キャシー(ヴェロニカ・カートライト)に気に入られ、翌る日催される予定の彼女の誕生パーティに招かれたりと、予定外の成り行きで、メラニーは急遽この地に滞在する羽目になる。

 ――異変の兆候は、メラニーが到着した頃から既にあった。正面に通じる道しかないブレナー家に裏口からお邪魔するためにボートを借りたメラニーは、1羽のカモメに襲われた。その日、ブレナー家で飼っているニワトリが餌を食べなくなり、他の家でも似たようなことが起きていた。しかし、この時点まではさほど気に留めていなかった――だが、キャシーの誕生パーティのさなかに、突如それは牙を剥いた……

[感想]

 のちに作られるホラー映画はすべて、本篇の応用だ、と言い切ってしまってもいいのではなかろうか。

 一見、恐怖はほとんど窺えない序盤に、異変の兆しを巧みに織り込み、不穏な気配を湛える。そのうちに突如、世界が反転したかのように脅威が襲いかかる。相手が本来、どこでもお目にかかれる有り体のものであり、基本的には人間にとって脅威にはならない存在であるからこそ、逸脱した荒々しさが恐怖に結びつく。

 いざ恐怖の対象が明確になると、しかし序盤での描写がそれぞれにきちんと意味を持ってくる周到さにも唸らされる。序盤の、あえてミスリードしていたかのようなミッチを巡る人間関係の描写が、鳥の襲撃という恐怖のなかで、登場人物それぞれの行動に拘わり、ドラマに厚みを与えているのだ。ミッチと母リディア(ジェシカ・タンディ)との関係性がその後のメラニーに対する態度に影響し、ミッチとアニーの微妙な関係がメラニーとの不思議な友情になり、その後の言動に影を落とす。シチュエーションは独特ながら、決して突飛な人物像でなくても、恐怖のドラマにコクを与えることは可能だ、ということを証明するかのようだ。

 日常描写が恐怖に繋がっていく、という観点から特に出色なのは、食堂のシーンである。小学校が襲われたあと、食堂に駆け込んだメラニーとミッチは、だがそこで居合わせた人々の半信半疑な、事態をさほど深刻に捉えていない会話はひどく日常的で、まるでそれまでの出来事が別世界のように感じられる。だが、やがて彼らの身にも鳥達の恐怖が襲いかかると、様相が一変する。無数の鳥が人間をついばみ、あちこちに流血を齎す映像よりも、この食堂にもういちど戻ったときのひと幕こそ、本篇の怖さの真骨頂ではなかろうか。

 最後にブレナー家に立て籠もったメラニーたちが味わう恐怖をじっくりと描き出して物語は幕を下ろすが、そこに“解決”はない。様々な点が不明のままであり、そして未来も暗雲が垂れこめたままだ。決してカタルシスには繋がらないが、物語全篇を貫く感覚がそのまま余韻となるような終幕は、一見して忘れがたい。

 やはり古い作品なだけあって、車の中の様子や一部の野外シーンをわざわざセットで撮影して合成していたり、鳥の襲撃シーンの視覚効果が、日進月歩のVFXに慣れてしまっていると稚拙に感じられるのは否めない。とはいえ、当時の手法を考えれば、違和感の少ない車窓の光景や、小学校から逃げる子供たちに襲いかかる鳥の姿など、非常に完成度は高い。何より、技術の巧拙に拘わらず、シチュエーションを整えドラマを膨らませれば充分に恐怖は表現出来るのだ、ということが、だからこそ今でも実感できる。

 もっと下品で露骨なホラー、スプラッタものを愛するという人も、その手法を理解するためにいちどは観ておいて損はない。翻って、流血表現や残酷表現が苦手、虫やグロテスクな生き物など出来るだけ観たくない、けれどいちど恐怖映画の面白さを味わってみたい、という人にも一見の価値があるだろう。技術は古びても、その創意は未だ色褪せていない。

関連作品:

レベッカ

裏窓

北北西に進路を取れ

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