原題:“Haywire” / 監督:スティーヴン・ソダーバーグ / 脚本:レム・ドブス / 製作:グレゴリー・ジェイコブス / 製作総指揮:ライアン・カヴァナー、タッカー・トゥーリー、マイケル・ポレール / 共同製作:ケネル・ハルスンド / 共同製作総指揮:アラン・モロニー / 撮影監督:ピーター・アンドリュース(スティーヴン・ソダーバーグ) / プロダクション・デザイナー:ハワード・カミングス / 編集:メアリー・アン・バーナード / 衣装:ショーシャナ・ルービン / キャスティング:カルメン・キューバ / スタント・コーディネーター:R・A・ロンデル / 音楽:デヴィッド・ホームズ / 出演:ジーナ・カラーノ、マイケル・ファスベンダー、ユアン・マクレガー、ビル・パクストン、チャニング・テイタム、マチュー・カソヴィッツ、マイケル・アンガラーノ、アントニオ・バンデラス、マイケル・ダグラス / 配給:PHANTOM FILM
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:松浦美奈
2012年9月28日日本公開
公式サイト : http://www.mallory-movie.com/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2012/10/01)
[粗筋]
民間の軍事企業でエージェントを務めるマロリー・ケイン(ジーナ・カラーノ)の運命が狂い始めたきっかけは、スペイン、バルセロナでのミッションだった。
それ自体は、決して難しいものではなかった。人質となっている東洋系ジャーナリストを救出、依頼者であるスペイン政府関係者ロドリゴ(アントニオ・バンデラス)に引き渡す、というものである。失敗は許されない、というが、他のスタッフとともに敵の習慣を探り出し、隙を突いて拠点を襲撃、人質を奪還する、という手順をマロリーたちは見事に果たした。
自宅のあるアメリカ、サンディエゴに帰還すると、だがすぐに彼女のボスであり、かつて親しい関係でもあったケネス(ユアン・マクレガー)が訪ねてきて、新たなミッションに就くことを求める。ポール(マイケル・ファスベンダー)というフリーランスのエージェントと夫婦関係を装って、ある人物に接触、情報を探り出す、という至ってシンプルなものだった。大きなミッションの直後で休暇を欲していたことに加え、一流を自負するマロリーには容易すぎる内容に不審を抱くものの、彼女はけっきょくこの頼みを聞き入れる。
アイルランドのダブリンでポールと合流したあとも疑念が消えないマロリーは、ポールの携帯電話を解析し、密かに彼の行動を辿れるように仕組んだあとで、目的地であるパーティ会場へと赴いた。成り行きを装ってポールと一時的に別れ、会場内を探索したマロリーは、倉庫であるものを発見し、愕然とする。
それは、マロリーがスペインで“保護”したはずの東洋系ジャーナリストの他殺体であった。しかもその手には、ポールとの待ち合わせのためにマロリーが身につけていたのと同じブローチが握りしめられていたのである――
[感想]
あのスティーヴン・ソダーバーグがスパイ・アクションを撮った、というのがまず意外だ。実はソダーバーグ監督自身には、前々からそんな願望があった、という話を製作者側ではしているようだが、映画公開の際には多かれ少なかれリップサービスが行われるものなので、真偽については眉に唾しておきたい。
しかし、実際に完成した作品を観ると、確かにスパイ・アクションであるのと同時に、如何にもソダーバーグ監督が撮りそうなスタイルに仕立ててある、と感じる。かねてから憧れがあり、自らの理想に近づけて撮った、というのも結構本当のことかも知れない。
相変わらず巧みな構成と、安定感のある洒脱なカメラワークにもらしさは光るが、それ以上に、ジュヴナイル的になってしまった一時期のスパイ映画とも、重厚な迫力に満ちた昨今のアクション映画とも一線を画した、渋いリアリティに彩られているあたりこそ、ソダーバーグ監督らしさを感じさせる。
本篇には壮絶なカーアクションはもちろん、被害を拡散する銃撃戦も、非現実的な動きを取り込んだ格闘もない。ヒロインであるマロリーは市街を2本の脚で失踪して敵を追い、現実の試合で目撃するような格闘の技で叩きのめす。見た目や音響の派手さはないが、しかしその華麗な技には目を惹かれ、迫力に圧倒される。
そこには、主人公を演じているのが本物の格闘技選手であり、しかも女性である、ということが大きく寄与している。男性の格闘技選手やスポーツマンがアクション映画の俳優に転身し活躍する、という例は少なくないが、率直に言えば彼らの銀幕での仕事ぶりはいささか画一的だし、それはそれで迫力はあるが、恐らく本篇のなかに当て嵌めれば凡庸な代物になる。しかし、体格こそ確かに優れた運動能力を窺わせながらも、決して大柄でも筋骨隆々でもない女性が、男性を相手に一歩も引けを取らないどころか、終始翻弄して打ち倒すさまは強烈なインパクトがある。相手も、戦っているのが女性であろうと容赦なく顔面にも拳を浴びせてくるのだから尚更だ。本当に命のやり取りをしている世界に身を置き、女であるなしに関わらず、敵と見なせば全力で排除せねばならない、諜報という世界の冷酷さが、そういうところからも窺える。
もうひとつ重要である点は、本篇においては、スパイ映画にありがちだった“世界を救う”というお題目がいっさい唱えられないことだ。ヒロインであるマロリーは終盤、幾分は己のプライドにかけて戦いに臨んでいるきらいがあるが、しかしその思考は基本的に“プロフェッショナル”から逸脱しない。プロであるからこそ仁義を重んじ、自らが生き延びるために最善の道を選ぶ。大味なアクション・エンタテインメントにあるようなシンプルなカタルシスこそ得られないものの、本篇の結末が洒脱で清々しいのは、その姿勢にいっさい乱れがないがゆえである。
いわゆる一般のスパイ映画、アクション映画と同じつもりで劇場に足を運び、明快なカタルシスを求めて鑑賞してしまうと「ん?」と首を傾げるかも知れない。しかし、そうした映画にある大味さ、非現実的な正義感に疑問を抱いていたような人ならきっと、ニヤリとさせられるはずだ。
関連作品:
『コンテイジョン』
『ソルト』
『ボーン・レガシー』
『人生はビギナーズ』
『プロメテウス』
『G.I.ジョー』
『ミュンヘン』
『私が、生きる肌』
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