※以下のスタッフ名の読みは、監督や出演者など主要なものを除いて英語表記から、深川が推測で記しているものが大半です。あんまり信用しないでください。
原題:“This Girl is Bad Ass!” / 監督:ペットターイ・ウォンカムラオ / 脚本:ペットターイ・ウォンカムラオ、ピパット・ジョームコ / 製作総指揮:ソムサック・テチャラッタナプラサート / 製作:ペットターイ・ウォンカムラオ、プラッチャヤー・ピンゲーオ / 撮影監督:ジラデット・サムナンサノール / 美術:オラコーン・プンサワット / 編集:ウィチット・ワッタナノン / 衣装:ニラチャラ・ワンナライ / スタント・コーディネーター:パンナー・リットグライ / 音楽:カニソーン・プアンジン / 出演:ジージャー・ヤーニン、ペットターイ・ウォンカムラオ、アコム・ブリーダクン、ボリブーン・ジャンルアン、チャラムサック・イエームカマン / 配給:FINE FILMS
2011年タイ作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:松本抄子
2013年1月18日日本公開
公式サイト : http://www.finefilms.co.jp/chocolategirl/
ヒューマントラストシネマ渋谷にて初見(2013/01/18)
[粗筋]
凄腕のメッセンジャーとして働くジャッカレン(ジージャー・ヤーニン)は、変わり者のボスの発注で、時折危険な運び屋の仕事も請け負っていた。伯父のワン(ペットターイ・ウォンカムラオ)に育てられた彼女の密かな願いは、自分を置いていった父を捜すこと。そのために、稼いだ金を貯めこむ毎日を送っていた。
当初、ジャッカレンに仕事を任せていたゼンは、だが彼女に大金を与えることを惜しみ、部下に命じて奪わせようとするが、しかし格闘に長けたジャッカレンは難なくあしらってしまう。ゼンは不本意ながら彼女に仕事を委ね続けるが、内心では苛立ちを募らせていた。
ワンや彼女に想いを寄せるドゥアンらの心配をよそに、ジャッカレンとボスは更に仕事の幅を広げようと、ゼンと対立する組織のボスであるピアックからの依頼も受けた。ジャッカレンにはさほど難しくない仕事のように思われたが、どういうわけか無事に届けたはずの荷物が消えてしまう。責任を負わされたジャッカレンは、短期間のうちに荷物を回収するよう脅される羽目になる……
[感想]
日本では『チョコレート・ファイター』以来、久々のジージャー・ヤーニン銀幕登場である。あれ以降も彼女は幾つかの映画に出演し、日本でも紹介されているが、いずれも劇場公開なし、DVD直接リリースという過程を辿っているため、映像ソフトの情報収集は後回しになっていると、失礼ながら“懐かしい名前が帰ってきた”という感覚になる。
しかし、当人は出続けていただけあって、アクションのキレは相変わらず、というか、むしろ洗練されたような印象を受ける。これは恐らく監督が異なり、またいささか痛々しくさえ思えるほどだった『チョコレート・ファイター』に対し、コメディを志向して演出されていることも理由になっているのだろう、全般にサラッとした印象だ。終盤では拳銃まで用い、だいぶ血腥いやり取りが行われるのに、少し軽々しく扱いすぎていやしないか、と思うほど描写がライトだ。
あいにく私は、これ以前の出演作をまだ鑑賞していないので、あくまで本篇の印象のみで語るのだが――もし本篇のようなタッチの作品ばかりだったとしたら、確かに日本での劇場公開は難しかっただろう、と察せられる。如何せん、作りがどうにも雑なのだ。
まず、主役がジージャーなのか、監督を兼任するペットターイ・ウォンカムラオなのかがよく解らない。いちおう序盤はジージャーを大きく採り上げているが、ウォンカムラオ演じるワンが登場すると、彼の恋愛や過去を仄めかす描写が妙に大きく扱われるようになり、比重が定かでなくなる。基本的にジージャーの身体能力を活かしたアクションをお座なりにするつもりのない構成なのだから、ワンの過去をもっとジージャー演じるジャッカレンの遭遇する事件とうまく絡めて語ればいいものを、中途半端かついい加減に関連づけているだけなので、ドラマとしてもコメディとしても収まりが悪い。
ジージャーを中心とするアクションには見応えがある、とは言い条、編集がぐちゃぐちゃしているので、折角の優れたテクニックが響きにくくなっている。特に、ピアックの部下がジャッカレンの働く事務所を襲撃するくだりは、見せ場を作ろうと張り切りすぎるあまりなのか、全く理に適っていない攻撃があったり、動きがきちんと繋がっていない部分が随所にある。このシークエンスの締め括り自体はユーモアと解釈するにしても、直前の情景から断絶した感があるのは好ましくない。組み立てるべきところは綺麗に組み立てなければ、唐突さで演出する笑いも効果を上げない。
恐らく、ごく大まかな設定のもとに、アクション・シーンをきちんと構成する一方で、それぞれのシーンを即興的に撮影、あとからまとめる――という、往年の香港映画のような手法で撮られたのではなかろうか。そうとでも考えないと、この大雑把さ、まとまりの悪さは理解しづらい。だからピンポイントでは、メッセンジャーのボスの奇妙な風体であったり、ジャッカレンに横恋慕するドゥアンの哀しきピエロっぷりも効いているのだが、全体での位置づけが不安定になってしまう。そもそもジャッカレンの設定自体、うまく説明出来ていないし、ふらつきが出てしまっている。本篇で彼女が魅力的に映るのは、本来の表情が持つ明るさ、華やかさ故であり、幼げな顔立ちと細い体格に似合わないアクションの鋭さ故だ。
良くも悪くも、70年代から80年代くらいの香港映画に似た匂いのある作品である。翻って、あのトーンに馴染んでいるとけっこう楽しめてしまう――というより、ジャッキー・チェンが不本意なシリアス路線に手を染めていたころの窮屈さと比較すれば、演者が愉しんでいるのが察せられる本篇など格段に快いくらいなのだが、アクションといえどきちんとストーリーを整えてくる最近の香港映画にしか親しんでいなかったりすると、恐らくかなり不満を覚えるだろう。
関連作品:
『マッハ!弐』
『マッハ!参』
『プロジェクトA』
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