原題:“The Dead Pool” / 監督:バディ・ヴァン・ホーン / 脚本:スティーヴ・シャロン / 原案:スティーヴ・シャロン、ダーク・ピアソン、サンディ・ショウ / キャラクター創造:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク / 製作:デヴィッド・ヴァルデス / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / プロダクション・デザイナー:エドワード・C・カーファグノ / 編集:ロン・スパング / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:クリント・イーストウッド、パトリシア・クラークソン、エヴァン・C・キム、リーアム・ニーソン、デヴィッド・ハント、マイケル・カリー、マイケル・グッドウィン、ダーウィン・ギレット、アンソニー・チャルノータ、ジム・キャリー / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1988年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:岡枝慎二
1988年9月23日日本公開
2010年4月21日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
[粗筋]
サンフランシスコ市警の“ダーティハリー”ことハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)の身辺には相変わらずトラブルがつきまとっている。ギャングの大物ルー・ジャネロ(アンソニー・チャルノータ)が部下を謀殺した証拠を挙げ、裁判で有罪に導いたことが恨みを買い、暗殺者に狙われるが、あっさりと返り討ちにした。毎度のように車を大破させ、損害を被せてくるハリーに上司はうんざりしているが、当人はどこ吹く風だ。
新しい相棒クワン(エヴァン・C・キム)をあてがわれた直後にハリーが送りこまれたのは、新作映画の撮影現場。ホラー映画で知られるピーター・スワン監督(リーアム・ニーソン)の最新作に出演していたロック歌手のジョニー・スクエアズ(ジム・キャリー)が、トレーラーの中で薬物中毒により絶命していたのだ。売れるきっかけが薬物を題材にした曲、スワン監督が「撮影中は使うな」と忠告したにも拘わらず注射していたため当然の末路のようにも見えるが、原因となったのは注射された薬物ではなく、口や鼻の周囲に結晶を残した別の合成麻薬。殺人の可能性が充分に考えられた。
しかし、捜査に集中しようにも、被害者が芸能人であるため、現場にはいつにも増してマスコミが多く詰めかけている。ジョニーの悲報に駆けつけた女性に無遠慮に群がるさまを目の当たりにして激昂したハリーはカメラを奪い、放り投げてしまった。
カメラを破壊されたテレビ局のレポーター、サマンサ・ウォーカー(パトリシア・クラークソン)は、警察に賠償請求しない代わりに、ハリーとの食事を希望する。上司にも睨まれたハリーはやむなくこの要求を呑むが、サマンサの目論見がハリーに対するインタビューにあると知って、席を立った。
翌る日、サマンサは番組の中で、ある情報をスクープした。それはスワン監督らが近々死亡しそうな有名人の名前を挙げ、実際に何人死んだかを競う“デッド・プール”という賭博に興じており、そのリストの中に、ジョニーの名も加わっていた、というのだ……
[感想]
今でこそ押しも押されもせぬ地位を確立した感のあるクリント・イーストウッドだが、出演・監督作を順繰りに鑑賞していくと、1970年代後半からしばらくは、自身の方向性を長らく模索していたような印象がある。自らが演じるキャラクターはあえてパターン化しつつ、決して同じような作品は撮っていなかったが、『ダーティファイター』を2作品撮ったり、それまでの毅然としたタフガイから脆さもある人情派のキャラクター像を探るような作品を相次いで制作したり、と、まるで安定感を欲して、少しずつ意識してマンネリズムを受け入れていこうとしていたようにも感じられる。
彼にとって最大のはまり役である“ダーティハリー”を主人公とした5作目である本篇は、だがその試行錯誤が悪い形に作用してしまったようだ。あまり好感を持たれない類のマンネリズムに陥ってしまっている。
本篇で描かれるものは、概ねシリーズに前例があるモチーフを下敷きにしている。新しい相棒もそうだし、ハリーが狙われるくだりもそう。ハリー・キャラハンというキャラクターの魅力を引き出すためのクライマックスの趣向も類例を踏まえているし、何より、最後に提示される犯人像は完全に旧作の焼き直しと言っていい。
もし演出の手腕が秀でていれば、似たような趣向でもインパクトを発揮できた可能性はあるが、本篇でメガフォンを取ったバディ・ヴァン・ホーンは、こう言っては失礼ながら、その器ではなかったようだ。尺は手頃でテンポは悪くないが、全般に凡庸に落ち着いてしまっている。長年、イーストウッドのスタントマンを務めていた人物だけあって、イーストウッド=ハリーの魅力を捉える技は感じるのだが、他に突出したものは見当たらない。あまりに手堅すぎ、第4作までの発展性がほとんど認められないのである。なまじ、続けて観た人間ほど、その伸びの悪さが歯痒くてたまらなくなる。
ただ、まるっきり見所がないわけではない。前述した通り、魅力を理解しているだけあって、ハリーの格好良さはきちんと汲み取っている。新しい相棒クワンや、彼につきまとうレポーター・サマンサの言動に対して見せる、愛嬌のある表情にしばしばニヤリとさせられるし、苦境にあっても乱れない活躍ぶりの捉え方には迷いがない。
出色は終盤、ラジコンを採り入れたカーチェイスだ。いささか趣向が勝ちすぎて滑稽な見た目になっていることも否めないが、小さなラジコンを相手に乗用車が振り回されるかのような描写は非常にユニークで忘れがたい。
シリーズ中で最もクオリティが低い、と言わざるを得ず、これが実質的に最後の作品となっているのがどうにも惜しまれるが、しかし一定の質は保っているし、観ていて退屈はしない。何より、映画監督役でリーアム・ニーソン、早々と殺されるロック・スターとしてジム・キャリー、というふたりの名優が印象的な役柄で登場している、という点では珍重すべき1本だろう。
関連作品:
『ダーティハリー』
『ダーティハリー2』
『ダーティハリー3』
『ダーティハリー4』
『ガントレット』
『ディア・ハンター』
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