『ヒッチコック』

TOHOシネマズ西新井、スクリーン1入口脇の案内板に飾られたチラシ。

原題:“Hitchcock” / 原作:スティーヴン・レベロ『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』(白夜書房・刊) / 監督:サーシャ・ガヴァシ / 脚本:ジョン・J・マクラフリン / 製作:アイヴァン・ライトマン、トム・ポロックジョー・メジャク、トム・セイヤー、アラン・バーネット / 製作総指揮:アリ・ベル、リチャード・ミドルトン / 撮影監督:ジェフ・クローネンウェス,ASC / プロダクション・デザイナー:ジュディ・ベッカー / 編集:パメラ・マーティン,A.C.E. / 衣装:ジュリー・ワイス / 特殊メイク:ハワード・バーガー、グレゴリー・ニコテロ / キャスティング:テリー・テイラー,CSA / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:アンソニー・ホプキンスヘレン・ミレンスカーレット・ヨハンソントニ・コレットダニー・ヒューストンジェシカ・ビールマイケル・スタールバーグジェームズ・ダーシーマイケル・ウィンコット、リチャード・ポートナウ、カートウッド・スミス / 配給:20世紀フォックス

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里

第85回アカデミー賞メイクアップ部門候補作品

2013年4月5日日本公開

公式サイト : http://www.foxmovies.jp/hitchcock/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2013/04/05)



[粗筋]

 1959年7月、アルフレッド・ヒッチコック(アンソニー・ホプキンス)監督の最新作『北北西に進路を取れ』のプレミア上映は成功裏に終わった。構想時から観客の悲鳴と歓声は聞こえていた、とうそぶくヒッチコックは、だが次の作品についてはまったく白紙の状態だった。

 かつて『見知らぬ乗客』で組んだ脚本家ウィルフレッド・クック(ダニー・ヒューストン)からのアプローチもあったが、ヒッチコックが新たに求めていた素材は、これまでの型に嵌まらない、観客の意表をつくものだった。長年秘書を務めるペギー(トニ・コレット)に資料を探させた挙句に、ヒッチコックはロバート・ブロックによる小説『サイコ』に辿り着く。実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルにした作品で、普通に映画化してもB級ホラーにしかならない、というのがもっぱらの評判だったが、だからこそヒッチコックは挑戦する意義を感じていた。B級ホラーを、一流の映画監督が撮ったらどうなるのか?

 しかし、ヒッチコック監督のこの企画に、パラマウントは出資を拒んだ。観客の望んでいる作品ではない、というのである。このすげない返事に、ヒッチコックの決断は早かった――自ら資金を募る。

 だが、原作の題材は、この頃のハリウッドには刺激が強すぎた。出資者は現れず、ヒッチコックは結局、自身が出資する必要に迫られる。家を売って資金を集める、という彼の無謀な決断に対して、妻アルマ・レヴィル(ヘレン・ミレン)の反応も早かった。「売るのは家ぜんぶ? それともプールだけ?」

 契約条件を変更することで、パラマウントからの配給を約束させ、どうにか公開の目処をつけると、ヒッチコックは本格的に製作に着手した。脚本家に書かせたシナリオをアルマに手直しさせ、その傍らキャスティングも行う。中盤で退場してしまうが、間違いなく重要なキャラクターであるマリオンにジャネット・リー(スカーレット・ヨハンソン)、実質的な主人公といえるノーマン・ベイツにアンソニー・パーキンス(ジェームズ・ダーシー)、そして後半の視点人物であるマリオンの妹ライラにはヴェラ・マイルズ(ジェシカ・ビール)を配した。

 物語の結末を公開まで極力悟らせないために箝口令を敷き、スタジオの扉を閉めきっての撮影が始まる。だが、この映画作りは、ヒッチコック自身が予想していた以上に厄介だった……

[感想]

“サスペンスの帝王”とまで呼ばれたアルフレッド・ヒッチコック、そのキャリアで最大のヒットとなり、シャワールームでの殺人や結末に関するアイディアなど、幾つもの点で映画界に大きな影響を及ぼした傑作『サイコ』製作の内幕を描いた物語……なのだが、観ているとちょっと印象は異なる。

 確かに、実際の撮影の中で起きたと思しいエピソードを無数にちりばめ、映画ファンの歓心を惹きつける部分も多いのだが、しかし観終わってより強く印象に残るのは、恐らくヒッチコック夫妻の関係性のほうだろう。

 ヒッチコックにとってアルマという細君の存在は、実際に非常に大きかったらしい。クレジットというかたちで残ることは少なかったようだが、脚本家にして編集者である彼女の手腕に絶大な信頼を置いていた。その様子は本篇中でもきちんと織りこまれている。

 しかし、この作品ではそうした本筋である『サイコ』製作の様子のみならず、同時にアルマが同業者ウィルフレッドから脚本のリライトへの協力を求められ、実際に手を貸すくだりが描かれる。仕事のためにヒッチコックが自宅に電話をかけるとアルマが使用中であったり、目撃した行動から浮気を疑い、ヒッチコックが挙動不審になる、といった出来事が添えられている。

 確かに、本篇で描かれていることは興味深い。残されている作品からは無論、あまり私的な部分を顕わにしなかったヒッチコックと、彼を支えたパートナーの実像が垣間見えるのは、恐らくあまり映画好きでないひとでもそれなりに惹かれるだろう。

 だかそういう見方で構えると、少々夫婦関係に割く尺が多すぎる。もっと作品そのものの内幕を見せて欲しい、と感じられる。例えば、あの伝説のシャワーシーンに携わっていたはずのソウル・バスに対する言及がないこともそうだし、恐らくもっと苦労があったはずの製作資金についても、触れることはまだまだあったのでは、と訝られる。

 しかも、パンフレットを参照すると、作中でヒッチコックを惑乱させる、アルマとウィルフレッドの共同執筆のくだりは、実際には確認されていない、フィクションの部分らしい。この点からも、本篇がヒッチコックとアルマのパートナーシップを描くことにいちばん焦点を置いていることが明瞭なのだ。

 内幕ものに見せかけて夫婦愛の話、という趣向がいけない、とは言わない。だが、そうすると今度は、夫婦のあいだの感情描写にあまり機微を感じないのが難点だ。演じているのが名優ふたりなので、表情は饒舌なのだが、それを活かす工夫、尺がどうにも不足している。またそうした観点から言うと、エド・ゲインの幻覚がヒッチコックの周囲を徘徊する、といったイメージは、趣向として面白いものの、作品の焦点をぼけさせている。

 映画製作の内幕だけでは物足りない、しかし現実通りでは夫婦の絆をうまく炙り出せない。そうして要素を調整した結果として、どちらも舌足らずに終わってしまった、と感じた。

 いちおう、夫婦のラヴ・ストーリーとして最低限の要素は備えている。金髪の美女にこだわって起用してきた主演女優に対するヒッチコックのいささかアブノーマルな行動や、撮影前の誓約、終盤の悪戯のような、恐らくは実際にあったと思われるエピソードはちゃんとちりばめられ、映画ファンならずとも興味を惹かれる箇所は少なくない。事前に『サイコ』を観ておくと、スカーレット・ヨハンソンによるジャネット・リーの再現性や、アンソニー・パーキンスの雰囲気を見事にたたえたジェームズ・ダーシー、そして大道具小道具にまで至る気配りに感激するはずだ。丁寧に作っていることは間違いない――だが、なまじ扱っているのが映画界の伝説といっていい存在であるだけに、もっと突き抜けて欲しかった、と高望みしたくなる。どうにも惜しい。

関連作品:

サイコ

レベッカ

裏窓

北北西に進路を取れ

終着駅 トルストイ最後の旅

僕と妻の1778の物語

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