『ウィ・アンド・アイ』

シアター・イメージフォーラム、施設外壁に掲示されたポスター。

原題:“The We and the I” / 監督:ミシェル・ゴンドリー / 脚本:ミシェル・ゴンドリー、ポール・プロック、ジェフ・グリムショー / 製作:ミシェル・ゴンドリー、ジョルジュ・ベルマン、ジュリー・フォン、ラフィ・アドラン / 製作総指揮:ベッキー・グルプカンスキー / 撮影監督:アレックス・ディセンホフ / プロダクション・デザイナー:トマソ・オルティーノ / 編集:ジェフ・ブキャナン / 衣装:サラ・メイ・バートン / キャスティング:メリセント・ディアン / 出演:マイケル・ブロディ、テレサ・リン、レイディーチェン・カラスコ、レイモンド・デルガド、ジョナサン・オルティス、ジョナサン・ウォーレル、アレックス・バリオス、《ナオミ》マーフィ / 配給:熱帯美術館

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:チオキ真理

2013年4月27日日本公開

公式サイト : http://www.weandi.jp/

シアター・イメージフォーラムにて初見(2013/05/18)



[粗筋]

 ニューヨーク、ブロンクスにある、とある高校。翌日から3ヶ月の夏休みに入り、生徒たちはそれぞれ新しい生活への基礎を築くために、別々の道へと歩きはじめる。

 終業後、生徒たちを受け入れたバスの中は、しかしいつも通りの喧騒に満ちていた。マイケル(マイケル・ブロディ)、リトル・レイ(レイモンド・デルガド)、ジョン(ジョナサン・オルティス)、ビッグT(ジョナサン・ウォーレル)たち悪ガキ連中は、相変わらず最後部を自分たちの指定席と勝手に位置づけて他の乗客を追い払い、我が物顔に振る舞う。レイディ(レイディーチェン・カラスコ)は親友ナオミ(《ナオミ》マーフィ)の助言を仰ぎながらパーティに誰を招待するか頭を悩ませ、カップルは男女も男同士も絶え間なく唇を重ねている。

 だが、出発したバスは間もなく、急に停車した。その機に乗じて駆け込んできたのは、1ヶ月も学校を離れていたテレサ(テレサ・リン)だった。ビッグTたちは彼女を後部座席に招くが、まるでオモチャにするようにさんざんからかっている。やがて彼女と幼馴染みであるマイケルが、1ヶ月前に何があったのか、得意げに語りはじめた。

 生徒たちはいつもと同じように振る舞っている。だがその日は、間違いなく何かがいつもと違っていた……

[感想]

 ミシェル・ゴンドリー監督のメンタリティは恐らく、“中二”のままなのだろう。もともとはバンドマンであったが、やがて自ら手懸けるようになったPVは、子供じみた、しかし突拍子もないアイディアに彩られていた。やがてその才能が映画界に見出され、長篇映画を撮るようになるが、その作家性はずっと維持し続けている。チャーリー・カウフマンの脚本の独創性とゴンドリー監督の発想力が見事に調和した『エターナル・サンシャイン』、中身が消えた映画のビデオを店員がお手製で再現する、という映画への愛情とユーモアに満ちた発想が魅力の『僕らのミライへ逆回転』などは優れた成功例であるが、ヒーローものの文法とゴンドリー監督の幼児性がうまく馴染まなかった『グリーン・ホーネット』のような失敗も残している。

 大作であるだけに、興収が振るわなかったことが強烈に印象付いてしまっている『グリーン・ホーネット』とほぼ同時期に製作、やや遅れて公開された本篇は、だがそれ故になのか、ミシェル・ゴンドリー監督の作家性が巧く内容と噛み合い、相乗効果を上げた良作となっている。

 PVや、長篇作品でもしばしば採り入れる、ユニークなヴィジュアルは決して多くない。野外を走るラジコンのバスに焦点を当てたオープニングや、思いがけないタイミングで挿入されるイメージ映像は相変わらずの遊び心に満ちているが、今回、基本的に画面作りはシンプルだ。しかし、ほとんどの出来事がバス内部に限られている、ということを逆手に取り、大勢の乗客の会話や物語が、並行して進んでいることを、細かなカットと、複数の人物を同時に捉える構図とを織り交ぜて示し、ストーリーはなくとも、学生達の生活感を重層的に、濃密に描き出す。

 そうして繰り広げられる、新しい生活を間近に控えた高校生たちの姿は、実に真に迫っている。我が物顔に振る舞う連中がいて、彼らが気分の赴くままに他の学生達にちょっかいをかける一方で、我不関嫣とばかりに自分のことに集中する者も多い。全員、長いこと同じバスに乗って登下校をしているので、互いのことは知っているが、会話がある者もいれば、まったくの没交渉だった者も当然のようにいる。その微妙な距離感が、今日を境にみなが自分の道に進んでいく、という状況が加わることで揺さぶられる。決して派手ではないのだが、相対する人物が変わり、ちょっとした出来事が契機となり、にわかに人間関係や態度が動く様子は、不思議とドラマティックだ。

 一種、モザイクのようにバスの中の人間模様を描き出した本篇は、どこに着目するか、によって微妙に色彩も変わってくる。ほぼ最初から最後まで映っているのはマイケルとテレサだけだが、作中決して言葉は多くないが、印象的な役割を演じるアレックス(アレックス・バリオス)のようなキャラクターもいる。それぞれがいったいどのように、学生時代を過ごし、どんな想いでバスに乗っていたのか、想像すると非常に面白い。個人的にいちばん興味深い、と感じるのは、運転手の立ち位置だ。生徒たち全員の名前を把握し、それぞれの性格を理解している、と思しい彼女の、トラブルへの対処や、テレサと交わす言葉の端々に、表面通りではない人物像、人間関係が透き見える。

 やもすると、その人物の行動が、彼あるいは彼女の価値観から出てくる、と素直に考えてしまいがちだが、実際にはそうとは限らない。周りに影響されたり、振り回された結果として選んだ行動であることも多いし、立ち位置であったり、当人が理想とするキャラクターを体現するために、あまり乗り気ではないのに悪さを働くこともある。

 大人も本質的には変わらないが、成長の過程にある年代ほど、周囲との繋がり、距離感に応じて演技をしているものだ。私がたまたま本篇の前日に鑑賞した『聖☆おにいさん』に、自分を仮面ライダーに比定して、ブッダを“宇宙人”と解釈、ずっと付け狙う子供たちが登場する。あちらは完全なる“ごっこ遊び”ではあるが、しかし本篇に登場する少年少女の振る舞いも、根本は一緒なのだ。ただ、思い込みや決めつけが厳しく、役柄が嫌でも解放してもらえない。

 本篇を観ていると、これが学生生活最後の日の出来事とは思えない。確かに、卒業パーティの話題があちこちで取り沙汰され、進路について話す者もいるのだが、ハレの日である、ということを実感させる非日常的な匂いはほとんど嗅ぎとれない。恐らく、バスの中での人間関係に不満のない者は、進んでそれまでと変わらない生活、日常の中に身を置こうとしているからだろう。

 だが、自分の境遇に安住出来ない、したくない者は、消極的でも変化を起こそうとする。なかには、とうの昔に、もう変わらなければならないことを十分すぎるほど自覚している者もいる。そんな、様々な想い、多彩な感情が、バスの中のほんの1時間ちょっと、という短く狭い範囲に、見事に凝縮している。

 物語が終わったところで、大きな変化が訪れるわけではない。ただ本篇には、窮屈な環境のなかで自分なりに居場所を見つけ、生きていこうとする者、或いは新しい世界に出ていくことを願う者、それぞれの心情が丁寧に、繊細に盛り込まれている。この、登場人物に対する眼差しの優しさ、細やかさは、未だ思春期に似たメンタリティを作風とするミシェル・ゴンドリー監督ならでは、という気がする。

 ごく単純に、ゴンドリー版『アメリカン・グラフィティ』と言うことも出来よう。だが、あの作品よりも本篇はずっと、登場人物たちに寄り添っている。これといったクライマックスもなければ、予定外のところからもたらされるような結末に、話としてはまとまりが悪い、と捉える向きもあるだろうが、この実感に満ちた空間がもたらす苦しみや痛み、切なさは秀逸だ。『グリーン・ホーネット』では充分に発揮できなかったゴンドリー監督の美点が、題材と噛み合った本篇はきっと今後、彼の代表作のひとつに数えられるだろう。

関連作品:

エターナル・サンシャイン

恋愛睡眠のすすめ

僕らのミライへ逆回転

グリーン・ホーネット

アメリカン・グラフィティ

ヤング・ゼネレーション

映画 けいおん!

聖☆おにいさん

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