原題:“Rio Bravo” / 原作:B・H・マッキャンベル / 監督&製作:ハワード・ホークス / 脚本:ジュールズ・ファースマン、リー・ブラケット / 撮影監督:ラッセル・ハーラン / 美術監督:レオ・K・クター / 装飾:ラルフ・S・ハースト / 衣裳:マージョリー・ベスト / 編集:フォルマー・ブランステッド / 音楽:ディミトリ・ティオムキン / 出演:ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソン、アンジー・ディキンソン、ウォルター・ブレナン、ウォード・ボンド、ジョン・ラッセル、クロード・エイキンス、ハリー・ケリーJr.、ペドロ・ゴンザレス=ゴンザレス / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1959年アメリカ作品 / 上映時間:2時間15分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫
1959年4月22日日本公開
2011年10月5日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/06/03)
[粗筋]
テキサス州、メキシコとの国境近くにある町リオ・ブラボー。前々から悪行を働いていたバーデット兄弟の弟ジョー(クロード・エイキンス)が酒場でのトラブルをきっかけに人を殺し、保安官のジョン・T・チャンス(ジョン・ウェイン)は遂にジョーを逮捕する。
だが、ジョーの兄ネイサン(ジョン・ラッセル)は家族を易々と処刑台送りにはしなかった。町で酒場や牧場を営み財産を蓄えているネイサンはひとを雇って町に監視態勢を敷き、ジョーを裁判所に連行されないよう圧力をかける。ちょうど町を訪ねてきたパット・ウィーラー(ウォード・ボンド)が手助けを申し出ると、途端に殺しにかかるほどだった。
チャンス保安官の味方といえば、かつては優れたガンマンだったが、失恋を契機に酒浸りになり、今回の1件で若干生気を取り戻したが未だ挙動に不安のあるデュード(ディーン・マーティン)と、頑固者の熱血漢だが年老いて足腰が弱っているスタンピー(ウォルター・ブレナン)しかいない。
いずれ検察官が到着し、連行していく手筈となっているが、それまで数日はかかるはずだった。その間、何とか耐えればいいのだが、ネイサンの刺客は不意をついてチャンス保安官たちを罠にかけようとする。果たして保安官たちは、引き渡しの日まで無事に乗り切ることが出来るのだろうか……?
[感想]
『トゥルー・グリット』、『ジャンゴ 繋がれざる者』と優れたフィルムメーカーがアカデミー賞にノミネートされる作品を相次いで制作し、西部劇はいくぶん見なおされつつある気がする。私自身、ここに来てようやく往年の西部劇もしばしば鑑賞するようになったが、私が選ぶもの、最近作られている西部劇の傾向というのは、決して全盛期の西部劇の主流とは一致していないのではないか、と感じていた。新・午前十時の映画祭にラインナップされた本篇を観て、その印象は間違っていなかった、と思った。
私にとって西部劇の魅力は、西部の自然の美しさであったり、クライマックスの決闘に至るまでジリジリと引き絞られていく緊張感であったりするのだが、本篇にはそのどちらにも力点を置いているようには見えない。西部の街並はしっかりと組み立てられているが、舞台は基本的に町の中に限られ、外の世界をほとんど実感させない。冒頭に事件が起き、町が悪党によって封鎖されている、という、説明だけ聞くとかなり剣呑な状況だが、作中の描写にはあまり切迫感がないのだ。バーデット一家にしても、弟が起訴されるのを妨げることが出来れば充分、という認識なのか、保安官を手助けする、と公言した人物を殺すような真似をする一方で、無関係な駅馬車は自由に出入りさせている。ホテルに宿泊する、いちどはチャンス保安官からお尋ね者扱いされる女フェザー(アンジー・ディキンソン)にしても、安全のために出ていくか否か、ということが幾度か論点になるが、そもそもそんなに簡単に逃げ出せるあたりが妙に牧歌的だ。
ホテルで休憩中に襲撃されたり、いったんは復調したかに見えたデュードがふたたび自己嫌悪に陥ったり、細かに事件は起きるが、やはり全体として大きな波乱が起きているようには――人死にも出ているのに――感じない。それは終始、トーンが一貫しているせいもあるが、それ以上にチャンスを中心とする人物たちの振る舞いが洒脱であり、ユーモアを忘れることがないからだろう。悩ましい状況にも拘わらずフェザーとのロマンスにやもするとうつつを抜かしてしまうチャンスや、いきなりアル中から脱却したかと思えばふたたび苦悩しはじめたり振れ幅が大きいデュード。とりわけ、脚が悪いためにずっと檻の前で犯人を監視しているスタンピーのキャラクターが見事だ。年がら年中愚痴をこぼし、使命に忠実すぎるあまり、たとえチャンスやデュードでも、断りなしに保安官事務所に入ろうとすれば容赦なく銃をぶっ放す。最初はちょっと鬱陶しいのだが、次第に愛すべき人物に思えてくるから面白い。クライマックス、エピローグでもツボをわきまえた振る舞いで、考えようによっては彼こそこの映画の主人公ではないか、と思える。
細部の台詞、描写の洒脱さも見所だ。終始揺れ続け、味方にいちばん迷惑をかけているように映るデュードだが、彼が本当にアル中の束縛から脱するひと幕など、さり気なくも印象は強い。いよいよ決戦、という段階になって、保安官の仲間たちがコロラドのギターを伴奏に歌うくだりなど、妙に和まされるものがある。全体的に少し間延びしているように思えるが、その分だけ描写の味わいは深い。
ゆったりとしたテンポや滋味深い描写はいいとしても、看過しづらい難点は、保安官たちの完成されたキャラクターに対して、悪役が弱い、ということに尽きる。キャラクターとして立っていない、というのもそうだが、戦闘能力の面でも、堂々たる保安官に優れたガンマンである助手ふたりの敵として、存在感が発揮できていない。クライマックスの趣向はいいのだが、そこまでする必要があるほど追い込まれていたか? と思わせてしまうのは勿体なかった。あれがまがりなりにも見応えを留めていたのは、攻撃しながらの保安官たちのやり取りが笑えたからに過ぎない。
と、いちいち否定的なことを記してしまっているが、しかしトータルで観れば確かに表現に優れ、愛すべき傑作であることは間違いないと思う。私自身はお気に入りに掲げるほどではないが、本篇が評価されている理由は納得できた。
関連作品:
『大いなる西部』
『荒野の七人』
『シェーン』
『キャノンボール』
『ペイルライダー』
『ラストスタンド』
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