原題:“精武英雄” / 監督:ゴードン・チャン / 脚本:ゴードン・チャン、イップ・クォンキム、ラム・カイトア / 製作:ジェット・リー / 武術指導:ユエン・ウーピン / 撮影監督:デレク・ワン(HKSC) / 美術:ホレイス・マー / 編集:チャン・キーホップ、チュン・チャクマン / 衣装:シャーリー・チャン / 音楽:ジョセフ・クー、スティーヴン・エドワース / 出演:ジェット・リー、中山忍、チン・シュウホウ、倉田保昭、ビリー・チョウ、ポール・チャン、ユエン・チュンヤン、ジャクソン・リウ、谷垣健治 / 映像ソフト発売元:MAXAM
1994年香港作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:?
日本劇場未公開
1995年12月16日映像ソフト日本盤発売/2005年3月25日日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2013/06/29)
[粗筋]
日本が中国に勢力を拡大しつつあった時代。
上海に精武館を設立、中国の武術界でつとにその名を知られた達人・霍元甲が対外試合のなかで死亡した。日本に留学していた弟子の陳真(ジェット・リー)はその一報に驚き、親しい間柄となっていた山田光子(中山忍)に別れを告げて上海へと戻る。
精武館で師匠のお参りすると、陳真はすぐさま霍元甲を倒したという、芥川(ジャクソン・リウ)の所属する黒流会に足を運び、対戦を申し出る。しかし、手合わせが始まるとすぐに陳真は確信した――この男の技倆は師匠に遠く及ばない。何かある、と睨んだ陳真は、イギリス人の医師を呼び、埋葬される直前だった師匠の遺体を調べるように依頼する。
陳真の睨んだ通り、霍元甲の死因は試合によるものではなく、毒殺だった。試合の直前、ずっと瞑想に耽っていた元甲は、精武館でしか食事を口にしていない。つまり、内部に裏切り者がいる可能性がある――館内に生じた疑心暗鬼に、霍の息子・廷恩(チン・シュウホウ)や精武館の古株・農(ポール・チャン)には頭を悩ませるが、間もなく更なるトラブルが発生する。芥川が殺害され、その容疑者として陳真が逮捕されてしまったのだ……
[感想]
ブルース・リーの代表作『ドラゴン 怒りの鉄拳』は、師匠・霍元甲や彼が創設した武館があったことは事実だが、しかしリーが演じる陳真というキャラクター、一連の物語自体は架空のものだった。霍元甲が日本人と試合をしたことも、直後に亡くなったことも事実だが、毒殺説や日本人との確執、といった部分は『〜怒りの鉄拳』などのフィクションが浸透させてしまったものらしい。だが、当時の中国を苦しめた日本人に対して果敢に抵抗した英雄・陳真、というキャラクターやストーリーの骨格は浸透し、展開を変えて幾度もリメイクされている。最近も、ドニー・イェン主演にて『レジェンド・オブ・フィスト/怒りの鉄拳』が製作されており、洗練されたストーリーとヴィジュアルで、現代ならではの陳真の伝説をかたちにしている。
1994年に製作されたジェット・リー主演における本篇は、オリジナルから時間が経過していること、またオリジナルが内容にも拘わらず日本人に受け入れられ、その後のジャッキー・チェンらの活躍を支えてきた、という事情もあってか、日本人の描き方ががらっと変わっている。なにせ、明言はされていないがプロローグで陳真がいるのは日本、そしてそこで恋人が出来ている、という設定になっており、日本人との会話すべてではないが、かなりの量の日本語を口にしている。日本人との試合で死んだ、であるとか、毒が盛られていた、冷酷だが異常に強い黒幕が存在する、といったストーリーの大筋は一致しているものの、それ以外の日本人がかなり好意的に描かれており、誰もが敵ではない、という立ち位置になっているのも、時代の違いを感じさせる。
ただ、香港映画の業病とも言える、大筋や特定の見せ場にこだわるあまりの整合性の乏しさ、不自然な展開は相変わらずあちこちに窺える。冒頭、日本人による中国侵略の不当性を訴える運動家がいるような描写があるが、軍閥の台頭に危機感を覚える者や、政策に異を唱えるようなひとはいたものの、ああも具体的に、ただ中国侵略だけを否定する、というのはあまり意味がなく(中国、というよりアジア全体を視野に入れていたと考えられていたはずだし)不自然だ。特に陳真の裁判は、あからさまに怪しい証言ばかりが上がっているというのに、ろくに精査もされず結審してしまっているのは、いくらフィクションにしてもあんまりだろう――裁判官が最後に口にする台詞には、観ている側も頷いてしまうのだけど、あれで本当に締めくくってしまっては出来の悪いギャグにしかならない。
とはいえ、日本人に対する視点がかなり公平になっていることばかりでなく、本篇の描写にはフェアさ、納得のいく展開がより徹底された感が確かにある。陳真が師匠の死の現場に立ち合っていなかったからこそ一連の流れに繋がっていくこと、生じた容疑に対し、安易に告発されてしまう一方で、いちおうは疑義も呈されて覆されること、そしてクライマックスに至るまで、可能な限り自然な展開をさせている。昨今の、完成度を高めた香港・中国映画のクオリティにはまだ至っていないが、オリジナルよりも話にはきちんと芯が通っている。
本篇で何より感心するのは、言動、作品の底流にある精神性にも筋が通っていることだ。仇討ちを考えながらも、無関係な人間を殺すまいとする高潔さは最後まで陳真の言動に保たれ、それに共鳴する人物も配されている。とりわけ、倉田保昭の使い方はかなり絶妙だ。国粋主義に染まり中国の人々の権利を蹂躙しようとする藤田(ビリー・チョウ)らの言動に密かに異を唱え、単身、陳真との戦いに臨む。随所で人を食ったような振る舞いを見せ、愛嬌と貫禄とを見せつけながらも、相手の戦い方をその場で吸収して強さを示す様は非常にカッコいい。この倉田の存在、倉田との戦いがあるからこそ、クライマックスでの藤田の非道ぶりが際立ち、決戦のカタルシスに繋がる。出来れば、倉田=船越文夫の戦いぶりを明確に吸収して藤田を翻弄するようなひと幕があればもっと良かった、とは思うが、それでもスピーディで、ワイヤーに頼りすぎないアクションの見応えは逸品だ。ブルース・リーによるオリジナルの迫力とは異なるが、脂の乗ったジェット・リーの動きのキレと、それにまったく引けを取らない倉田保昭、ビリー・チョウとの対決は、カンフー映画愛好家なら観ておいて損はない。
相変わらずのストーリー展開のぎこちなさ、まだまだ洗練されきっていないカメラワークなど、粗さ拙さが目につき、しかもだいぶ改良を施したとはいえ筋にあまりオリジナリティを感じさせないことから、どうしても本家にインパクトで劣ってしまっている感は否めない。だからこそブルース・リーやジャッキー・チェンが愛された日本でも劇場公開が見送られたのかも知れないが、決して不出来ではない。香港産アクション映画の成長、変化をはっきりと刻みこんでおり、仕上がりそのものに歴史を感じさせる1本でもある。
関連作品:
『SPIRIT』
『ハイリスク』
コメント