原題:“Melbourne” / 監督&脚本:ニマ・ジャウィディ / 製作:ジャワド・ノルズベイギ / 撮影監督:フーマン・ベーマネシュ / 美術:ケイワン・モガッダム / 編集:セピデー・アブドルワハブ / メイク:スーダベ・ホスラウィ / 録音:ワヒド・モガダシ / 音響:イラジュ・シャーザディ / 音楽:ハメッド・サーべト / 出演:ペイマン・モアディ、ネガル・ジャワヘリアン、マニ・ハギギ、シリーン・ヤズダンバクシュ、ロウシャナク・ゲラミ、エルハム・コルダ / 日本配給未定
2014年イラン作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:山門珠美
日本公開未定
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2014/10/31)
[粗筋]
アミン(ペイマン・モアディ)とサラ(ネガル・ジャワヘリアン)の夫妻はその日、オーストラリアのメルボルンへ3年間の留学に旅立つための準備でてんやわんやだった。アパートを解約し、家財を売り払い、荷物を最小限にまとめていく。アミンの母には伏せておくはずだったのに、妹の油断で知られてしまい、ずっとアミンは怒りをあらわにしているが、そのことを除けば、夫婦は活力に溢れ、希望に胸を躍らせていた。
だが、そんなふたりを、想像もしていなかったトラブルが襲う。
端緒はその朝、サラが隣人の家に来ていた子守の女性から、隣人の赤ちゃんを預かったことにあった。どうしても外せない用事があるので、しばらく預かって欲しい、と言われ、特に何の疑問も持たずにサラは請け負った。夫婦の寝室に寝かせ、その周囲では可能な限り息を殺して引っ越しの準備を進めていたが、開けていたドアが風で閉まり、勢いでドアに嵌めたガラスが落ちても、赤ちゃんがまったく反応を示さないことに、アミンが不審を抱いた。大人しく眠っている静かな子供だ、と思っていたが、アミンが調べたときには既に、息をしていなかった。
気が動転しているところへ、隣人の男性が赤子を迎えに来た。なかなか子守が戻らないことを心配したサラが連絡をしていたためだったが、どのように対応すべきか、夫婦は困惑する。アミンは自分に任せろ、と言い、サラを赤子の亡骸を置いたままの寝室に潜ませると、ひとりで隣人に応対した。
連れて帰りたい、という隣人に、アミンの口から咄嗟に出てきた台詞は、サラが赤子を連れて散歩に出かけてしまった、というものだった――
[感想]
2014年の東京国際映画祭上映作品のなかで、私があえてこれを選んだのは、本篇がアスガー・ファルハディ監督の影響を受けている、という情報があったからだ。ファルハディ監督は未だ情勢不安定なイランにおいて、イスラム教圏ならではの生活様式を織り込みながら、一般人の生活に密着したドラマを作っているが、しかしそこには他国の人間にも伝わる普遍性があり、内在する緊張感が醸成するエンタテインメントの香気が漂っている。『別離』はアカデミー賞外国語映画賞に輝き、最新作『ある過去の行方』はフランス資本で撮影しており、今後更に国際的な活躍が期待される人物だ。
本篇にファルハディ監督は直接関わっていないが、しかし確かにその作り、内容にファルハディ監督の影響が濃密に窺える。海外に留学に赴こうという重要な1日ではあるが、そこでのやり取りに決して特異な部分は見受けられない。恐らくイランにおいては恵まれている部類に属するだろうが、ここに点綴されているのは庶民の生活や実感である、というのが解る。
一見穏やかで、しかし慌ただしい出発の準備を描くくだりだが、その随所に不穏な気配が滲み出す。何者かにたびたび連絡を取ろうとしている様子のあるサラ、いるはずなのにあまり構っていない赤ん坊の存在、何をしようとしているのか曖昧なアミンの姿。それらが、赤ん坊の異変を悟るとともに、一気にサスペンスの鍵として機能し始める。物語がほとんどアパートの一室で展開し、しかもメインの登場人物がごく僅か、そもそもの事件も極めて構造はシンプルなのに、ここまで緊迫感たっぷりに描いていることに驚かされる。こうした技はまさに『彼女が消えた浜辺』『別離』でアスガー・ファルハディ監督が発揮したもので、如実にその影響が窺えるのである。
赤ん坊の死、という謎はあるが、しかし本篇のポイントは、その出来事に対する振る舞いから、主人公である夫婦の人間性が露わになってしまうことだ。粗筋では咄嗟に嘘をついたところで区切りとしているが、この嘘がのちのち大きなひずみを生み出していく。
自らの言葉に束縛されてしまうアミンの姿は愚かだが、しかしあの態度を責められるひとはどれほどいるだろうか? 恐らくは、まだまだ社会情勢の不安定な母国を脱し、海外での新たな生活に希望を託していたはずが、にわかに暗雲が立ちこめる。こういう場面で社会的な道義を優先する、というのがもちろんあるべき振る舞いだが、アミンのように保身に走ってしまうのも決して理解出来ない行動ではない。そして、その一瞬生じた魔に、どうしても抗えなくなる。妻のサラもまた、罪悪感に駆られながら、夫に追随せざるを得なくなるさまは、決して特異なものではない。
率直に言えば、本篇を“ミステリ”として捉えようとしてしまうと、かなり消化不良の印象を受けるはずである。少なくとも、サプライズや、すべてがあるべき場所に収まるカタルシスの類は本篇にはない。
だが、本篇を観終えたとき、残るそうしたわだかまりは、否応なしに観る者の価値観を問いかける。そもそも道義的に受け付けない、と本篇の出来事をはねのけるひとでさえ、この問いかけには無縁でいられないのだ。
シンプルだが、本篇の仕掛けた“謎”はじわじわと効いてくる。そして、この題材を、決して大上段に構えるのでなく、エンタテイメント的に穏やかに、しかし重く繰り出した手腕に唸らされずにいられない。現時点では未だ日本での公開は決まっていない(或いはまだ公表される段階にない)が、映画祭上映に留まらず、もっとたくさんの観客に触れて欲しい秀作である。
関連作品:
『彼女が消えた浜辺』/『別離』/『友だちのうちはどこ?』
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