原題:“Murder on the Orient Express” / 原作:アガサ・クリスティ / 監督:シドニー・ルメット / 脚本:ポール・デーン / 製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン / 撮影監督:ジェフリー・アンスワース / プロダクション・デザイン&衣裳デザイン:トニー・ウォルトン / 美術監督:ジャック・スティーヴンス / 編集:アン・V・コーツ / キャスティング:ダイソン・ラヴェル / 音楽:リチャード・ロドニー・ベネット / 出演:アルバート・フィニー、ローレン・バコール、マーティン・バルサム、イングリッド・バーグマン、ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・カッセル、ショーン・コネリー、ジョン・ギールグッド、ウェンディ・ヒラー、アンソニー・パーキンス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、レイチェル・ロバーツ、リチャード・ウィドマーク、マイケル・ヨーク / 配給:CIC×パラマウント映画 / 映像ソフト発売元:Paramount Japan
1974年イギリス作品 / 上映時間:2時間8分 / 日本語字幕:樋口武志
1975年5月17日日本公開
第三回新・午前十時の映画祭(2015/04/〜2016/03/開催)上映作品
2013年8月23日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2016/02/08)
[粗筋]
1935年、イスタンブール。事件の解決に寄与した探偵エルキュール・ポワロ(アルバート・フィニー)は、ロンドンで新たな事件の捜査に携わるため、急ぎ移動することとなった。鉄道会社の重役であり、旧知の間柄であるビアンキ(マーティン・バルサム)の口利きで寝台を確保したオリエント急行で、ポワロはカレーを目指した。
雪深い時期に珍しく列車内は盛況で、とりあえずポワロはマックイーン(アンソニー・パーキンス)というアメリカ人青年と同じ客室の上部寝台に収まった。
一夜明けて、ポワロはマックイーン青年が秘書として雇われているラチェット・ロバーツ(リチャード・ウィドマーク)という富豪から、自分の警護を務めて欲しい、と請われる。ラチェット曰く、彼のもとに脅迫状が届いており、命が狙われているらしい。自分が恨みを買っていることを嬉々として語るこの人物を守る、という職務に興味が持てず、ポワロはこの依頼を断ってしまう。
その晩、ポワロはなかなか寝付けなかった。明くる朝、ラチェットは脅迫通りに殺害され、自らの客室で骸となって発見される。
折しも急行は積もった雪に阻まれ、立ち往生を余儀なくされていた。責任者であるビアンキは、この事件を現地警察に託すに際して、予め犯人も特定して引き渡したい、と考え、ポワロに捜査を依頼する。今度は快く引き受けたポワロは、まずラチェットという人物の素性を探ることにした。
既にポワロは薄々察していたが、ラチェットは善人などではなかった。灰皿に残っていた燃えかすから読み取った脅迫状の1文から、ラチェットの正体が、5年前にアメリカで発生し、悲劇の連鎖を生んだ幼女誘拐事件の黒幕であったことを探り当てたのである。
ポワロとビアンキを除けば乗客は12人。犯人はこの中にいるのか、或いは停車のどさくさに紛れて脱出したあとなのか? 容疑者たちへの訊問から、ポワロはいかなる真実を暴き出すのだろうか……?
[感想]
ミステリ界に大きな足跡を残したアガサ・クリスティは、優れた作品を数多発表しているが、中でも特に重要なのは『そして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』、そして本篇の原作という3つの長篇だろう――詳しくは書かないが、ミステリにおける定番となる趣向を、最初ではないが極めて早く用い、斯界に浸透させた作品群なのである。ミステリ通ぶりたいなら、読んでいなければ話にならない、と言われても仕方がないくらいの著名作であり、市場から消えたこともないスタンダードである。
中でも、映像にしやすい本篇の原作は、映画でもこれ以前にいちど制作されており、近年になって三谷幸喜が独自の要素も加えてテレビドラマ化したことは記憶に新しい。しかし、そこに至るまで、ドラマ化はあっても再び映画化された話を聞かないのは、本篇がそれだけ完璧に近い仕上がりだったから、と言っていいだろう。
オリエント急行が舞台、とは言い条、旅情を掻き立てる美しい光景や訪れる土地ごとの風情が楽しめる、というわけではない。冒頭、乗車前にイスタンブールが登場するくらいで、あとはひたすら車中の描写ばかり、実質的には“密室劇”と言った方が近い。
にも拘わらず、物語に広がりを感じさせ、やたらと豪華絢爛に思えるのは、まさに映画のマジックだろう。
監督のシドニー・ルメットには、未だにスタンダードとして扱われる『十二人の怒れる男』、ポール・ニューマン畢生の名演とも言われるクライマックスの弁論が素晴らしい『評決』と、法廷ものの秀作が多い。本篇は法廷ものではないが、しかし証人質問さながらの描写に漲る緊張感と、それがクライマックスで結実する様は法廷に似た趣がある。そもそも本篇の設定そのものに法廷を匂わせた部分もあるので、やはりこれは監督にとって得手のプロットだったと言えそうだ。
豪華なキャスト陣を起用したことも、密室とは思えない華やかさを際立たせている。『サイコ』での演技で映画史に名を残すアンソニー・パーキンスが演じるどこか気弱な秘書に、初代ジェームズ・ボンドに扮したショーン・コネリーが演じる貫禄に満ちた軍人、『旅路』でアカデミー賞に輝くウェンディー・ヒラーが異様な佇まいで演じたロシアの老婦人、『ブリット』などのジャクリーン・ビセットが物語を爽やかに彩る美しい新婦……それぞれにクセもあれば華もある人物像を的確な匙加減で演じて、物語の謎を味わい深いものにしている。
驚かされたのはイングリッド・バーグマンだ。キャストには名前があるのに、観ても誰か解らなかったのは、『カサブランカ』での華やかな佇まいとはまったく重ならない、地味な雰囲気の宣教師に扮していたからだ。当初、別の役を打診されていたが、脚本を読んだバーグマンは自らこの宣教師の役を熱望、地味ながらも豊かな感情の動きを巧みに演じきっている。あまりにも見事な変貌ぶりで、この作品で唯一のアカデミー賞を獲得しているのも納得がいく。
煌びやかな名優たちの表情を引き出す、堅実で鋭い演出は、しかし正直なところ中盤まではやや間延びして感じられる。間をおろそかにしていないが故だが、そもそも推理劇というのは会話が主体になりがちで、本篇のように舞台が狭く、少人数での対話が繰り返されると、どうしても退屈な印象を与えてしまう。
だが、そうして地道に積み上げられたものの中に潜む罠もろとも串刺しにする推理と、回想を交えて描かれるクライマックスは圧巻だ。この押し寄せてくるようなインパクトこそミステリ、それも仕掛けの堅牢な謎解きものの醍醐味と言える。
原作と比較すると、細かな証拠、証言についての検証が省かれている分、ポワロの推理が直感頼りに思えてしまうのがやや難なのだが、それでも手がかりは充分に示されている。有名な作品ゆえ、仕掛けだけ知ってしまった、というひとも少なくないだろうが、もし知らずに鑑賞するのなら、是非ともポワロと推理力を競っていただきたい。知っていたとしても、その情報だけでは語り尽くせない組み立ての精緻さを堪能して戴きたい。そして、それらを抜きにしても、密室劇とは思えない広がりと緊張感、華やかさに価値のある、風格溢れる1篇である。
関連作品:
『ビッグ・フィッシュ』/『ドッグヴィル』/『サイコ』/『カサブランカ』/『さよならをもう一度』/『ブリット』/『映画に愛をこめて アメリカの夜』/『潜水服は蝶の夢を見る』/『ネバーセイ・ネバーアゲイン』/『炎のランナー』/『ジュリア』/『シモーヌ』/『ロミオとジュリエット』
『黒い十人の女』/『8人の女たち』/『ゴスフォード・パーク』/『“アイデンティティー”』/『ゴッドファーザー PART II』/『チャイナタウン』
コメント