原作:山本周五郎 / 監督&編集:黒澤明 / 脚本:井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明 / 製作:田中友幸、菊島隆三 / 撮影:中井朝一、斎藤孝雄 / 照明:森弘充 / 美術:村木与四郎 / 小道具:野島秋雄 / 衣装:鮫島喜子 / 録音:渡会伸 / 整音:下永尚 / 音響効果:三縄一郎 / 音楽:佐藤勝 / 出演:三船敏郎、加山雄三、土屋嘉男、江原達治、三戸部スエ、七尾伶子、野村昭子、辻伊万里、小川安三、団令子、香川京子、藤原釜足、根岸明美、山崎努、桑野みゆき、東野英治郎、中村美代子、三井弘次、千葉信男、西村晃、志村喬 / 配給&映像ソフト発売元:東宝
1965年日本作品 / 上映時間:3時間5分
1965年4月3日日本公開
第三回新・午前十時の映画祭(2015/04/04〜2016/03/18開催)上映作品
2015年2月18日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
TOHOシネマズ新宿にて初見(2015/10/05)
[粗筋]
長崎での遊学を終えた保本登(加山雄三)は、幕府からの命で小石川養生所を訪ねる。
ここは現在、有能であるが偏屈な医者の新出去定、通称赤ひげ(三船敏郎)によって大幅な改革が進められていた。患者は無償で受け入れ、施設の日当たりのいい箇所を提供するなど患者は手厚く遇する一方で、医師達には過酷な環境を強いているため、医師の側からは評判が悪い。
もっと自らの能力を活かす場所に派遣されるものと思い込んでいた保本は、既に小石川に勤めることが決められていたことに愕然とした。赤ひげの横柄さにも辟易した保本は、先方から追い出されるよう仕向けるため、規則を破り、立入を禁じられた場所で居眠りをしたりと、あえて反感を買うような振る舞いを繰り返す。
あるとき、養生所の座敷牢に隔離されていた美しい女(香川京子)が保本の寝所に忍んできた。女は、自分は気違いではない、と言い、哀しい経験を語って保本に訴えてきたが、励まそうとする保本の喉元にかんざしを突き立てて危害を加えようとした。幸いに赤ひげが駆けつけ、保本は深手を負う前に助けられる。
恢復した保本に、赤ひげは六助’藤原釜足)という1人の患者の診察をさせた。深刻な癌を患い、余命幾ばくもない六助の姿に、赤ひげは医術の無力さを語る。そして戦うべきは貧困と無知なのだ、と諭し、六助を看取るように指示した。
手術の場に立ち会わされ、更に佐八(山崎努)という、やはり臨終を間近にした患者の半生を聞かされるうちに、保本の心境は次第に変化していった――
[感想]
医療を題材にしたドラマは数あれど、それを歴史と絡めたものとなると、咄嗟に類例が思い浮かばない。近年、テレビドラマでヒットした例はあるが、主人公が現代からタイムスリップした人物、というひねった設定であるため、時代物と簡単に分けてしまうのには抵抗がある。
もしかしたらそれは、考証の難しさもさることながら、本篇というあまりにも偉大な前例が出来てしまったからではなかろうか――もちろんそれよりも、前述したような題材としての難しさのほうが問題なのだろうが、本当にちょっと考えてしまうくらいに、本篇の完成度は高い。
舞台は江戸期、オランダから流入した医学知識が一部の医療従事者にはあったとは言い条、当然ながらいまとは医療の水準がまったく違う。しかしそんななかで、“赤ひげ”と呼ばれる医師は、この時代背景に対してさほど矛盾を感じさせない程度に、知識と経験に基づいた配慮を施して患者と向き合っている。病人が養生しやすいように、施設の快適な場所は患者に明け渡し、この時代としては異例なレベルで清潔を保つ。安易に“治る”などとは言わず、病人に自らの病と向き合う機会を与え、死に瀕した患者に対しても誠実に対処する。赤ひげが行う医療は、現代の医療従事者にとっても求められる意識や配慮が随所に窺えるのだ。だから、医学知識のレベルを超えて、語り口や内容に説得力が生まれている。本篇が製作されたのが既にいまから50年も昔だというのに、いまでも十二分に通用する気がするのだから頭が下がる。
そうして点綴される患者たちの姿がまたひとりひとり印象的なのも圧巻である。座敷牢に閉じ込められている女にも、病室の片隅でいまにも息を引き取ろうとしている男にも、語れば決して凡庸ではない人生が隠れている。そして、自らの可能な範囲で彼らを手助けし、もし息を引き取るとしても、心穏やかにそのときを迎えられるよう努める赤ひげの姿は厳粛だ。最初は立身出世の道を断たれたように感じた保本は赤ひげに反目するが、やがてその医療に対する姿勢に感銘を受けて変化していくのもごく自然なことに思える。
しかし個人的に特筆しておきたいのは、この重々しい題材にも拘わらず、ユーモアが鏤められ、程よい軽さも備えていることだ。とりわけ初登場時から人を食った挨拶をする赤ひげが面白い。医師や患者に対する天の邪鬼な言動もユニークだが、秀逸なのは、置屋で病身を押して働かされている少女を救おうとする際のひと幕だ。赤ひげを痛めつけようと集まったごろつきたちの腕や足を容赦なくへし折りいなしたあとで、「医師ともあろう者がこういうことをしてはいけない」と自分で嘆く姿が実に可笑しい。色々な映画を観てきたが、私には特に好きなシーンのひとつだ。
本篇の巧妙な点のひとつとして、視点人物に赤ひげ自身ではなく、保本という人物を設定したことも挙げられる。高い目標を掲げつつもどこか俗物っぽい思考がちらつくこの人物が、望まぬまま赤ひげの診察に付き合わされることで次第に医療の本質に目醒めていき、本腰を入れて臨むようになる。赤ひげのやり方を間近で見て学び、いつしか同僚から「喋り方が先生に似てきた」と言われるほどに心酔していくわけだが、そのプロセスはつまり、赤ひげという人物のやり方をつぶさに汲み取るに適切な構造となっているのだ。
そうでなくても練り込まれた群像劇であるうえに、決して焦らず、じっくりと表情や言葉が出るのを待つような語り口故に、尺はかなり長い。だが、それでも魅せられてしまうのは、もちろんエピソードとしての重厚感に引っ張られていることもあるのだろうが、狭い舞台と荒事の少ない物語にもかかわらず、映像に動きと膨らみがあるからだろう。駆けていく保本と追う同僚のくだりはやけに疾走感があるし、瀕死の子供の命を救おうと井戸に願掛けをする女たちの姿を描くカメラワークはやけに凝っている。それ自体がハッとするほど優れた構図で描かれるからこそ、なおさらに惹きつけられてしまうのだ。
黒澤監督によるヒューマンドラマの代表作とも言われる本篇だが、それはただ単にエピソードの秀逸さだけでなく、組み立てや見せ方もまた優れているからこその評価なのだろう。私はまだ黒澤作品を“観た”と言えるほどの数を鑑賞していないが、ただ単にお高く止まるのではなく、観る者を惹きつけ魅せる技倆が桁違いに高かったのだ、と改めて思い知らされる1篇であった。
関連作品:
『奇談』/『本陣殺人事件』/『砂の器』/『ニッポン無責任時代』/『東京物語』/『SPACE BATTLESHIP ヤマト』/『獄門島』/『幕末太陽傳 デジタル修復版』/『ゴジラ(1954)』
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