原題:“To Kill a Mockingbird” / 原作:ハーパー・リー / 監督:ロバート・マリガン / 脚本:ホートン・フート / 製作:アラン・J・パクラ / 撮影監督:ラッセル・ハーラン / 美術監督:ヘンリー・バムステッド / 編集:アーロン・スタール / 衣裳:ローズマリー・オデル / 音楽:エルマー・バーンスタイン / 出演:グレゴリー・ペック、メアリー・バダム、フィリップ・アルフォード、ジョン・メグナ、ブロック・ピーターズ、ロバート・デュヴァル、フランク・オーヴァートーン、ローズマリー・マーフィ、ポール・フィックス、コリン・ウィルコックス、ジェームズ・アンダーソン、アリス・ゴーストリー、ウィリアム・ウィンダム / 配給:ユニヴァーサル映画 / 映像ソフト発売元:NBC Universal Entertainment Japan
1962年アメリカ作品 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:岩本令
1963年6月8日日本公開
午前十時の映画祭7(2016/04/02〜2017/03/24開催)上映作品
2013年2月20日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon|Blu-ray Disc(初回限定盤):amazon]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2017/2/13)
[粗筋]
1930年代のアラバマ州。
当時、まだ6歳だった私、スカウト・フィンチ(メアリー・バダム)は4つ上の兄ジェム(フィリップ・アルフォード)、そして父アティカス(グレゴリー・ペック)の3人で暮らしていた。私が2歳の頃に母を亡くしたあと、父は弁護士として働き、黒人の家政婦の手を借りながらも私たちの生活を支えていた。
朝からシャツが型崩れするくらい暑い夏に、事件は起きた。ボブ・イーウェル(ジェームズ・アンダーソン)の娘メイエラ(コリン・ウィルコックス)が、近所に住む黒人青年トム・ロビンソン(ブロック・ピーターズ)によって暴行を受けた、と訴えたのだ。アティカスは依頼を受け、トムの弁護を担当することになった。
まだ幼かった私には事件の内容も、当時の父の立場もよく理解できなかったけれど、この件を境に、父に対する町の人々の見る眼は変わってしまったらしい。アティカスはトムを、イーウェルが煽動した人々から守るために、離れた場所で拘留する手続を取っていたらしかった。
そんな父の苦労など知るよしもなく、私と兄は連日、ちょっとした冒険に胸を高鳴らせていた。その頃近所に、ずっと引き籠もったままのブーという人物が暮らしていて、周囲では彼について不穏な噂が渦巻いていた。私と兄、そして夏のあいだだけ近所に身を寄せているディル(ジョン・メグナ)の3人は、どうにかしてブーの姿をひと目見ようと、連日勇気を奮い立たせようとしていた……。
[感想]
本篇でグレゴリー・ペックが演じたアティカス・フィンチは、アメリカにおいて極めて人気が高いキャラクターなのだという。観てみるとそれも頷ける。確かにこの人物はアメリカという国家の理想を体現したようなキャラクターなのだ。
穏やかで、子供たちから信頼されている父親。公正を重んじ、引き受ければ町での立場が危うくなる、と解っているような弁護を引き受け、全力で臨む。後半に入って多くの尺を占める法廷シーンで、決して声を荒らげることなく、穏やかに理路整然とした口振りで被告の無罪を主張するくだりに、その高潔さが窺える。“ヒーロー”として扱われるのも当然のことと言えよう。
だが、劇中で扱われる事件とその推移は、別の意味でアメリカ的だ。農村部の貧困に無知と偏見、そして黒人に対する根強い差別が渦巻き、ひとつの事件の中に凝縮されている。いまでも劇中に登場する多くの町人に近い価値観のひともいそうだが、冷静に客観的に眺めると、観ていて悲しくなるほどにアメリカ、ひいては人間の負の部分が露骨に描き出される。
だからこそ、それに立ち向かう、という役割を担ったアティカスが“ヒーロー”に映るのだが、しかし本篇は決して安易な勧善懲悪の物語ではない。それは、謙虚だが公正なこの人物が、人々の無知を指摘しながらも、決して糾弾したり責め詰ったりしないことからも窺える。何より、本篇の展開は明らかに“ヒーロー”の物語からは程遠い。
しかしそれでも本篇には救いがある。アティカスがヒーローとして完璧には機能しない一方で、決して彼だけが良心によって動いているわけではない、ということを物語の終盤では描き出しているからだ。報われぬまでも、努力をしてきた彼に対して、一部のひとびとが示す態度もそうだし、最後に起きる事件とその後の展開は特に象徴的だ。
この終盤に至って、牧歌的な印象を与える序盤の描写が活きてくる。本篇が何故アティカスや事件の関係者の眼を借りて描かれず、アティカスのいとけない娘の眼差しで描かれていたのか、はこの場面を読み解いていけば腑に落ちるはずだ。本篇は子供の一途で柔軟な視点を得ることで、そこに潜む“救い”に光を当てているのである。
アティカスは確かに尊敬に値する人物だが、しかし彼のような高潔さだけが本篇に“救い”をもたらしているわけではない。もしアティカスが純然たる“公正さ”にのも囚われて行動していたとしたら、新たに出ていたかも知れない犠牲者を、終幕で描かれる別の者の“良心”が守っていることにも注目していただきたい。
こういう読み解き方が出来るのも、本篇が理想を描きつつもそれを押しつけず、出来うる限り冷静な態度で臨んだがゆえだろう。本篇は、作り手の姿勢にある理性と節度が支えた傑作なのだ。
関連作品:
『悪を呼ぶ少年』
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