※htmlでアップしていた記事の再掲・追記版です。
原題:“La Vita e Bella” / 監督:ロベルト・ベニーニ / 脚本:ヴィンセンツォ・セラミ、ロベルト・ベニーニ / 製作:エルダ・フェッリ、ジャンルイジ・ブラスキ / 撮影監督:トニーノ・デリ・コリ / 美術&衣裳:ダニーロ・ドナーティ / 編集:シモーナ・バッジ / 音楽:ニコラ・ピオヴァーニ / 出演:ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ジョルジオ・カンタリーニ、ジュスティーノ・デュラーノ、セルジオ・ブストリック、マリサ・パレデス、ホルスト・ブッフホルツ / 初公開時配給:松竹富士×Asmik Ace / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1998年イタリア作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:吉岡芳子
1999年4月10日日本公開
午前十時の映画祭8(2017/04/01〜2018/03/23開催)上映作品
2014年2月5日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
丸ビルホールにて初見(2006/03/03) ※『アカデミー・シネマフェスティバルin丸の内』の企画として上映
TOHOシネマズ日本橋にて再鑑賞(2017/4/17)
[粗筋]
1937年、本屋を開業する夢を抱いて、トスカーナ地方の小さな町・アレッツォにやって来たグイド(ロベルト・ベニーニ)は、すぐさま遭遇した女性ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)に一目で惹かれた。ドーラには既に婚約目前の幼馴染みがいたが、グイドは持ち前のポジティヴさと、自分にゆかりのあるものを巧みに操って魔法のような出来事を演出する才覚で彼女にアピールを続け、いよいよ開催された婚約パーティーの席で彼女を奪って逃げる、という荒技をやってのける。
やがて結婚したふたりはジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)という子供にも恵まれ、幸せな日々を送っていた――だが時は第二次世界大戦下、ムッソリーニによるファシズム政権が台頭しており、ユダヤ人を排斥しようとする風潮がこの小さな町にも流れ込んでいた。持ち前の前向きな解釈でジョズエには世間に蔓延る醜い感情を伝えまいとするグイドだったが、やがて最悪の事態が彼ら家族を襲う。ジョズエの誕生日、パーティーを開くための準備をしているところを襲われ、グイドとジョズエは収容所へ送られる列車へと運ばれてしまった。ちょうど母を迎えに出て現場に居合わせず、また収容所行きの名簿にも名前の載っていなかったドーラは難を免れるはずだったが、毅然と家族のあとを追い、自ら進んで列車へと乗り込む。
しかし収容所では男女が別々にされるため、けっきょく家族は引き裂かれてしまった。どう考えても明るい未来の想像できない状況下で、しかしグイドは諦めなかった――我が子ジョズエに醜い現実を知らせることなく、そして生きて町に帰れる日まで守り抜こうと、自らの資質を総動員して、ジョズエに“楽しい嘘”をつきつづけるのだった……
[感想]
日本時間の3月6日に第78回アカデミー賞授賞式が開催されるのに合わせて、丸ビルを中心に衣裳の展示などを行う『アカデミー・シネマフェスティバルin丸の内』というイベントが開催された。そのなかで、これまで各部門に絡んできた作品について投票を募り、上位10作を上映する、という企画が行われ、運良く当選したので鑑賞した次第である。敢えてこれを選んだのは――未鑑賞作品のなかで、ずっと興味を抱いていたからだ。
鑑賞したあとになると、これほど遅れて出逢ったことを悔いずにはいられない。喧伝されているイメージがどこかお涙頂戴を強調しているきらいがあるように思われ、それ故に抱いていた偏見が積極的に観ようという気を起こさせなかったのだが、とんでもない誤解であった。
序盤はまるっきりロマンティック・コメディの趣である。口数が多くいささかハイテンション過ぎる主人公グイドが初めのうちは鼻につくが、明らかに逆境にあると思われる自らを嘆くことなく、あらゆることをポジティヴに捉え、楽観的に脚色する手管に次第に魅せられていく。
そのテクニックを駆使して、想い人・ドーラに近づく過程がまた、ユーモアたっぷりながらも非常に巧い。婚約パーティー直前あたりまでに何気なく描かれた出来事が、ドーラに対して奇跡のようなひと幕を披露する演出に織りこまれていく。ホテルでの給仕の仕事をしているうちに親しくなったクイズ好きの医師との交流が、あんな形で役立つとはいったい誰が想像するだろう。出来過ぎ、という感がなくもないが、同時にグイドの機を見るに敏な一面を際立たせてもいる。
そして、好機に敏感なグイドの特質、ひいては序盤で描かれたポジティヴなものの捉え方が、後半部分でふたたび、力強く意味を備える、このくだりが絶妙だ。
まったく唐突にふたりの子供ジョズエが登場して以降、物語は急激にトーンを変える。ファシズムの台頭によって過激化するユダヤ人への差別中傷、そして収容所での過酷な現実。たいていの人が歴史を知っているだけに、僅かに匂わせられるだけでも、悲劇を色濃く予感してしまう。
だが、ことここに及んでも、グイドは変わらない。それまで自らを利するために駆使していた詭弁を、子供を守るために総動員する。しかも、肉体的なものだけでなく、その心を守るために利用している点が出色なのである。収容所でユダヤ人たちを管理しているのはドイツ兵であり、通訳なしに言葉が伝わらないのをいいことに、兵士の言葉をフィクションで彩ってジョズエに伝える。グイドの語るファンタジーが滑稽で楽しげであればあるほど、その姿は痛々しくも、感動を誘わずにおかない。
そうして辿り着くラストシーンの、選び抜かれた映像と言葉も見事だ。最後に幼いジョズエが放つ叫びは、そのまま彼を守り抜いた父への惜しみない賞賛となり、いつまでも観る側の胸に響き続ける。
本編はかなりの変わり者だけど、素晴らしい父親となった男のドラマであるが、それ以前にコメディがコメディのままで感動を誘うことも出来るということまで証明してしまったあたり、もはや古典の域に達したとすら言える。
世評も納得の名作であった――心底、今まで観ずにいたことを後悔したくなるくらいに。劇場の状態は決して良くなかったものの、これだけ遅れながら大スクリーンで鑑賞できたのは幸運だったかも知れない。
――以上は、初めて鑑賞した際に書き上げた感想である。午前十時の映画祭8での上映を機にリライトしてアップすることを考えていたが、改めて鑑賞してみても、基本的な評価は変わらず、また当時の感想が自分なりにきちんと書けていたので、そのまま残すことにした。
あえて付け加えるとするなら、物語の作り方が非常に誠実だ。ある程度現実の厳しさを描きつつも、我が子を相手に必死の芝居を続けるグイドを無視するかのような振る舞いをする者がいたり、収容所側の人間にも多少なりとも配慮があるかのような描写をしている。善悪が解り易く分離しているわけではなく、敵対する側にも一定の善意があることをちらほらと窺わせる。現実の中にハートフルなコメディを構築するために、やや跳躍するような表現を用いつつも、安易に悪役を作らないよう、節度は保っているのである。
グイドの人柄とも通じるこの姿勢こそ、公開時に高く評価され、その後も名作として愛されている所以ではないかと思う。
関連作品:
『戦場のピアニスト』/『ぼくの神さま』/『ディファイアンス』/『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』/『チャップリンの独裁者』/『サラの鍵』
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