原題:“Jumper” / 原作:スティーヴン・グールド(早川書房・刊) / 監督:ダグ・リーマン / 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー、ジム・ウールス、サイモン・キンバーグ / 製作:アーノン・ミルチャン、ルーカス・フォスター、ジェイ・サンダース、サイモン・キンバーグ / 製作総指揮:ステイシー・マース、ヴィンス・ジュラルディス、ラルフ・M・ヴィシナンザ / 撮影監督:バリー・ピーターソン / プロダクション・デザイナー:オリヴァー・スコール / 編集:サー・クライン、ドン・ジマーマン,A.C.E.、ディーン・ジマーマン / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジョエル・ハイネック / 衣装:マギャリー・ギダッチ / 音楽:ジョン・パウエル / 出演:ヘイデン・クリステンセン、ジェイミー・ベル、レイチェル・ビルソン、ダイアン・レイン、サミュエル・L・ジャクソン、マイケル・ルーカー、アンナソフィア・ロブ、マックス・シエリオット / 配給:20世紀フォックス
2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間28分 / 日本語字幕:林完治
2008年03月07日日本公開
公式サイト : http://movies.foxjapan.com/jumper/
[粗筋]
始まりはデヴィッド・ライス(マックス・シエリオット)15歳の冬。“ライスボウル”呼ばわりされてからかわれていた彼は、密かに恋心を抱いていたミリー(アンナソフィア・ロブ)に渡そうとしたプレゼントを友人に凍りついた湖に放られ、取り戻しに行ったところで割れた氷の下に引きずり込まれてしまう。死ぬ、と思った次の瞬間――彼は、馴染みの図書館にいた。
自分には、瞬間移動の能力がある――5歳の頃に母が家を出て以来、アル中の父親に悩まされ学校でも馬鹿にされていたデヴィッドは、この境遇を抜け出す好機を得た、と思った。僅かな金を持ち出すと街のホテルに移り、近くの銀行の金庫に潜入して大金を強奪し。斯くしてデヴィッドは郷里を失う代わりに、自由を手に入れた。
……それから8年。
ニューヨークに居を構え、大金を携え世界中を飛び回り気ままな生活を謳歌していたデヴィッド(ヘイデン・クリステンセン)だったが、その幸せに突如として危機が訪れる。例によってロンドンを筆頭に遊び“歩いた”デヴィッドが自宅に戻ると、そこにはローランド(サミュエル・L・ジャクソン)と名乗る男が待ち構えていた。8年前、郷里で銀行を襲ったのがデヴィッドであると特定し、瞬間移動の能力を理解し、それどころか特殊な機器で妨害することさえ出来るローランドにデヴィッドは翻弄されるが、辛くも逃げることに成功した。
帰る場所を失ったデヴィッドが辿り着いたのは、他でもない彼の生まれ故郷。懐かしさから、かつて想いを寄せた少女ミリーの家を訪ねると、彼女はまだこの街にいた。彼女の母親から、今はひとり暮らしをしてバーで働いている、という話を聞くと、デヴィッドはこっそり様子を窺いに行く。ただ顔を見るだけのつもりだったが、かつて自分を苛めていた男に発見され、ミリー(レイチェル・ビルソン)にも気づかれてしまう。揉み合いの末旧友を“遠ざける”ことに成功すると、デヴィッドは思いついて、ミリーをデートに誘う――はるばる、ローマへと。
彼の金回りの良さに戸惑いながらも、想いを寄せ合っていたことを打ち明けるミリーと甘い時間を過ごしていたデヴィッドだったが、しかし既に閉鎖されていたコロッセオに侵入したとき、予想外の人物と遭遇する。その男、グリフィン(ジェイミー・ベル)は、デヴィッドと同じく、時間を跳躍する力を備えていた。
そしてそこに、ローランドと同じ組織に属する刺客が出没する――!
[感想]
超能力が映画で扱われることは少なくないが、いわゆるテレポーテーションが主題になることは珍しい、とプログラムに書かれている。確かに、千里眼や予知、念動力はよく登場するものの、テレポーテーションはあまり類例が思いつかない。特殊能力者が大挙する『X-MEN』シリーズでも、2作目に登場するナイトクロウラーぐらいのもので、ほとんど思い浮かばないのだ。
それだけに沃野とも言える分野だったわけだが、本篇はまずヴィジュアル的に充分この主題を活かしている。さながら世界中の名所観光案内で、思いつく景勝地はとりあえずあらかた押さえていると言っていい。しかも能力の特徴からして、普通なら侵入できない場所に立ち入ることが出来るので、たとえばスフィンクスの頭上で食事を摂るといったあり得ない映像をきちんと披露してくれる。
しかし本篇が物語として出色なのは、この特殊能力者=“ジャンパー”が人類の歴史にしばしば登場し、その存在を把握したうえで人類の敵として追い詰める組織を設定したことだろう。確かにあり得るそうした背景をもとに、別の能力者との接触なども含めて、ややこんがらがりながらも勢いのある物語を構築している。
また、こういう特殊能力にも拘わらず、ありがちなヒーローものに話を発展させていないところも大きな特徴のひとつと言えるだろう。普通の人間なら、こういう特殊能力を得たときに「誰かを助けたい」と考えるよりも先に私利私欲に意識が向くもので、そういう当たり前の心理をきちんと敷衍している。そのうえで、いわゆるヒーローものと一線を画した物語を描いている。
そういう描き方が決して偶然によるものでないことは、幾つかの表現からも解る。たとえば、成長したデヴィッドが初めて登場する場面では、彼が点けたテレビのなかで、洪水により孤立した人々の姿を報じるニュース番組が流れているが、デヴィッドは特に関心もなさそうに横目で見ているだけ、以降もこの出来事に対するリアクションはない。また、中盤のある出来事のあと、デヴィッドがもう一人の能力者グリフィンに共闘を持ちかけることになるのだが、ここでデヴィッドが例として掲げるのはアメコミではよく用いられる手法、ヒーロー同士の競演だ。最後にはこの言葉を引いて、グリフィンが決定的なことを口走りもする。こうした辺りからして、本篇にははなからヒーローものへのアンチテーゼとしての意識が滲んでいるのだ。
とは言えそれを過剰に打ちだしてはおらず、基本的にはあらゆる描写を90分にも満たない短い尺に詰め込んだ、コンパクトでスピーディな娯楽映画として仕立て上げている。その割り切った姿勢は非常に好もしいものの、反面、折角の主題にも拘わらず人物の掘り下げが全般に不充分であったことがやや惜しまれる。終盤におけるデヴィッドの行動にはもう少し心理的な裏打ちが欲しかったところだし、“ジャンパー”たちを追う“パラディン”の組織全容を窺わせる描写も欲しかった。そもそも作中でもパンフレットの製作者コメントにおいても“ジャンパー”と“パラディン”の暗闘が長年に亘って繰り広げられたことを匂わせているわりに、作中で言及されるのが魔女狩りぐらいしかないというのが引っ掛かる。
斯様に、折角の素材なのにいまいち膨らませきっていないきらいもあるが、しかしそれを割り切ってコンパクトにまとめ、スピード感に富みながらもクセのある娯楽大作に仕立て上げた手腕は間違いなく傑出している。如何せん、主人公達の行為が善意とはかけ離れているために共感できない、あまりに急速に展開するためついていけない、といった好き嫌いが生じる恐れは大きいものの、ポリシーを備えた作品であることは確かだろう。特殊能力をふんだんなヴィジュアルエフェクトを駆使して、充分に活かして作りあげたアクション映画としても完成度は高い。
主人公が、幾つか制約があるとはいえほぼありとあらゆる場所に瞬時で移動できる能力の持ち主であるため、必然的に世界各地の名所がふんだんに採り上げられている。お約束のように、重要な場面で日本もきちんと登場するのだが――ここが、東京を知っている人間には非常に楽しい。
風俗まで細かく描写する程の尺がないこともあって、その意味では不自然さはないのだが、しかしそれ以前に、いったい彼らが何処にいるのかが解らない。最初、地下鉄の通路から地上に出てくる姿を正面から撮しており、背後にはきっちりと“銀座駅”の看板が見えるのだが、すぐにその後ろ姿にカメラが切り替わると――背景が、渋谷駅になっている。また前からのアングルになると銀座に戻り、後ろ姿になると渋谷。そのあと盗んだ乗用車で疾走する際、あちこちに移動しているのは、能力が能力なのであまり気にならないのだが、この場面だけは見ていて非常に笑える。お前ら何て無駄な力の使い方をしてるんだ。
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