原題:“Fast Food Nation” / 原作:エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社・刊) / 監督:リチャード・リンクレイター / 脚本:エリック・シュローサー、リチャード・リンクレイター / 製作:ジェレミー・トーマス、マルコム・マクラーレン、アン・カーリ、エリック・シュローサー / 製作総指揮:ジェフ・スコール、リッキー・ストラウス、クリス・サルヴァテッラ、エド・サクソン、ピーター・ワトソン、デヴィッド・M・トンプソン / アソシエイト・プロデューサー:アレクサンドラ・ストーン、サラ・グリーン / 撮影監督:リー・ダニエル / プロダクション・デザイナー:ブルース・カーティス / 編集:サンドラ・エイデア / 衣装:カリ・パーキンス、リー・ハンサカー / 音楽:フレンズ・オブ・ディーン・マルティネス / 出演:パトリシア・アークエット、ボビー・カナヴェイル、ポール・ダノ、ルイス・ガスマン、イーサン・ホーク、アシュレイ・ジョンソン、グレッグ・キニア、クリス・クリストファーソン、アヴリル・ラヴィーン、イーサイ・モラレス、カタリナ・サンディノ・モレノ、ルー・テイラー・プッチ、アナ・クラウディア・タランコン、ウィルマー・バラデラマ、フランク・エルトル / 配給:Transformer
2006年イギリス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:石田泰子
2008年02月16日日本公開
公式サイト : http://www.fastfoodnation.net/
[粗筋]
新商品“ビッグ・ワン”の大ヒットにより劇的に売り上げを伸ばすことに成功したミッキー・ハーガーだが、ある日、予想もしないトラブルが舞い込んだ。ある理科系の大学生がファーストフード店の肉類を検査したところ、“ビッグ・ワン”に使用している冷凍パテから、糞便性大腸菌が検出されたという――つまり、“ビッグ・ワン”の肉に牛の排泄物が混ざった可能性があるというのである。社長(フランク・エルトル)はマーケティング部の部長であるドン(グレッグ・キニア)を呼び出し、現地に赴いて調査をするよう要請する。
現地――コロラド州コーディの店舗を支える従業員は現地の学生ばかりだった。アンバー(アシュレイ・ジョンソン)は真面目に課題もこなし将来を見据えて堅実に働いているが、同級生のブライアン(ポール・ダノ)たちは近くの別のチェーン店が元従業員に襲撃されただの、うちも金庫の金がいつ動いているか解っているだの、不穏な話ばかりしている。やがてアンバーは、久々に帰郷して彼女の家に滞在している叔父ピート(イーサン・ホーク)の言葉に触発されて、ある決意を固めるのだった
他方、ドンは現地の食肉工場の清潔な状況を視察して満足したのち、ミッキー・ハーガーコーディ支店の店長であるトニー(イーサイ・モラレス)への聴取を行った。彼の言動に不穏なものを感じたドンは、更にトニーの親類である牧場経営者ルーディ(クリス・クリストファーソン)、そしてシカゴ支店の副社長ハリーと調査を続けていく。「ラインが早ければ排泄物が混ざるのは当たり前」「安い賃金で素人を使えば多少の問題は生じる」――剣呑な話ばかりが聞こえてくるが、むやみに踏み入れば根幹を覆してしまいそうな予感に、ドンは二の足を踏んだ。
ドンが踏み込むことの出来なかった深部――不潔で過酷な労働環境を強いられ、実質的に低価格での大量生産というシステムを支えているのは、メキシコからの密入国者たち。アメリカでの生活基盤確立を夢見て国境を越えたクラウディア(カタリナ・サンディノ・モレノ)の夫ラウル(ウィルマー・バルデラマ)と妹ココ(アナ・クラウディア・タランコン)は、それぞれに食肉工場で仕事を貰い、祖国では考えられない収入を確保した。だが、それでもアメリカで生活していくには最低限の収入でしかない。やがて彼女たちに訪れるのは、アメリカ低所得層が巻き込まれがちな、負のスパイラルであった……
[感想]
ファーストフードの害悪を題材にした映画といえば、アカデミー賞候補にもなったドキュメンタリー『スーパーサイズ・ミー』を咄嗟に思い浮かべるが、あちらがあくまで大量摂取した場合の肥満・成人病といった身体症状中心に着目しているのに対して、本篇は経済や社会構造、更には環境面など、ファーストフード業界のシステム自体が齎す様々な悪影響全般を視野に入れている――寧ろ肥満の問題を敢えて採り上げていないように見えるあたり、既に語られていることを配慮して外したかのようにさえ思える。
それはいささか穿ちすぎにしても、全体を視野に入れるに当たって、リチャード・リンクレイター監督の傑出したダイアローグのセンスと構成力とが存分に活かされている。本篇はおおまかに分けて企業の管理職であるドンと、チェーン店舗でアルバイトをする女子高校生、そしてメキシコから密入国した女性、という3つの視点から描かれている。序盤ではそれぞれが直接結びつくことなく淡々と彼らの問題や日常が描かれ、やがてリンクしていくような気配を窺わせるが、しかしさすがに曲者リンクレイター監督だけあって、安易にそれぞれが遭遇したり物語が密接に絡みあうことはない。ただ次第に、それぞれの問題点の根っこが同じところにあるということを滲ませていく。その過程で、リンクレイター監督が『ウェイキング・ライフ』や『ビフォア・サンセット』で披露した、議論を深化させていく技の巧さが活きている。最初こそ、よくある多視点叙述映画のように、最後には結びついて決着するような雰囲気を匂わせているだけに、このじわじわと責め立てられるような感覚がなかなかに堪えるのだ。
そうして炙り出される問題は、だがファーストフード業界の構造をこそ糾弾しているように見えて、その実、私たちが普通に繰り返している“物を喰べる”という日常の営みに直結しているだけに、余計重々しい。観客としてはアルバイトの少女が最終的に選ぶ行為を賞賛したくなるところだが、しかしよくよく考えれば考えるほどに、ああしたシンプルな正義感では到底解決できないくらいに根が深いことを実感するはずだ。考えても絶対的な正解など見出すことが出来ず、作中の多くの人々が選ぶが如く、思考停止を選択せねばならなくなる。
だが、こうして見せつけられた“現実”を前に、とりあえず考えることだけは避けられなくなるはずだ。そしてそれこそ、製作者達の狙いであるに違いない。そのために敢えてドキュメンタリーそのものにせず、フィクションの文脈で綴ったのだろう。それが明白なのは結末の凄まじいまでのインパクトだ――語られた事実を思えば、話がやがてああした流れに辿り着くことは察せられるのだが、それでも生々しく見せつけられるその情景の衝撃は強烈である。考えることを止め、より深入りすることを選択したある人物の涙のあとでさらりと提示されるラストシーンは、しかしあのタイミングで提示されるからこそ戦慄に結びつく。
言ってみればこの作品の作りは、凍りついた湖のうえで、それぞれの場所に穴を開けて釣り糸を垂らしているようなものなのだろう。各々は穴のサイズに見合ったワカサギを釣るつもりなのかも知れないが、氷の下に横たわっているのはワカサギなどではなく、氷面を大破させるほど巨大な別の何かなのだ。本篇はその釣り上げ方を教えるものではなく、その魚が巨大であることを示唆し、釣り人に意識させることに務めている。
『スーパーサイズ・ミー』では主題をユーモアに傾斜させることで親しみやすさを演出しつつ観客を本来の論旨へと導く手法を取っていたが、本篇はややダイレクトにしながら、表現を洗練させ、なおかつ深化させている。やはりこの監督はただ者ではない、と改めて痛感させられる1本であった。
――最後に、これから御覧の方にひとつだけ警告しておく。観て損のない1本ではあるが、食事は予め済ませておいてほしい。もし劇場内で食べるつもりでも、たとえ洒落でもファーストフードを持ち込むべきではない。これを観た上で食べる食べないの選択は観客の自由ではあるが――クライマックスで、劇場や周囲の人に迷惑をかける可能性は極めて大きいだろうから。
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