「今日バイトの人まだ来ないから大変だよ〜」
中東系の人らしいマスターが異様に発音の確かな日本語でぼやきながら、手当たり次第に料理をばらまいていく。
「お兄ちゃん、働いてけば? お小遣い足りないんでしょ?」
「厭だよ。忙しすぎて頭が変になりそうだ。それに」僕はテーブル代わりにカーペットに敷かれた板を二枚挟んだ向こう側にいる、右から左に字を書くお国の出らしい人を指さす。「あの辺の国の人が来ても、言葉が解らなくて仕事にならないだろ、僕なんか」
「いいじゃない。高い時給で異国の言葉まで覚えられてお得だよ〜?」
妹はポテトサラダのようなものを包んで揚げたパンににこにこと齧り付きながら、抑揚のない調子で言った。
「……お前、さっきからなに拗ねてんの」
「別に。なんでも」
即座に返すひとことにもやっぱり抑揚がない。ふだん感情の起伏が激しいからこういう時のほうがずっと怖かった。僕は恐る恐る反論する。「さっきだって、そこの女の子見てただけで怒ったじゃないか」
「怒ってなんかないよ、可愛いよね、って返事しただけじゃない」
「僕が頷いてから言葉数減ったぞ」
「ほんと可愛いよね、お父さんロシアの人かな?」妹は横目でその小さな女の子を含む四人家族を見遣りながら、僕の耳許に頭を近づけると、ちょっとだけ感嘆めいた響きを籠めて呟いた。「あたしのお父さんも外国の人だったら良かったのに」
「……あのマスターみたいのとか?」
「絶対厭。お兄ちゃんは知らないけど、あたしは厭だよ」
「当人の店でそー強烈に否定するなよ。っていうか、僕の親父だったらお前の親父でもあるんだぞ?」
また返事をしない。妹を見遣ると、またぞろ軽く頬を膨らませてそっぽを向いていた。これ以上刺激しないように、ほっとくとどんどん増えていく料理を片づけていくことにする。
マスター同様この店のメニューは変わっていた。いちおうひととおり名前も値段も書いてあるけどそこから頼んだら損だ、といきなり言って、1000円でひたすらお腹が一杯になるまで料理を出し続けてくれるコースを薦めてくる。そうすると、カーペットにじかに座った客たちに手当たり次第料理を出してきて、「もういい」と止めるまであらゆるものを並べる。細長い米に似た豆の入ったチキンスープとお茶をメインにナン、バターで炒めたライス、様々なスープに肉料理などなど、何の料理か説明もなしにがしがし出してくる。僕たちぐらいの年代ならまだしも、端に座った年輩の夫婦はかなり早い段階でギブアップしていた。
が、のっけからぼやいていたように、このやり方は店の人間も結構消耗する。お茶にチキンスープ、ナンやライスのような基本のもの以外は順番も決めずに出していく代わり、給仕にも切れ目がない。まだお昼の時間になったばっかりのせいなのか、給仕をしているのはマスターひとりで、女の子のグループ相手に投げつける軽口もなんとなく精彩を欠いていた。
矢継ぎ早に食事を出される客のほうも食べるのに懸命のようだった。さっき僕と妹が話題にしていた、ハーフらしい繊細な顔立ちに金色の髪を肩ぐらいまで伸ばした女の子は、いっぱいになったお腹を持て余すみたいに隣に座る母親の膝に甘えている。お母さんは笑いながら娘を起こすと立ち上がり、カメラを構えようとした。そこへ、ちょうど盆を携えて通りかかったマスターが手を伸ばす。
「撮ってあげますよ〜」言って、受け取ったカメラを、何故かそのまま僕のほうに突き出した。「お兄ちゃん、この店に何しに来てるの〜?」
「って僕かよ!」
「そうだよ〜ここカップルで痴話喧嘩しに来るところじゃないからね〜、みんな一所懸命ゴハン食べに来るところだよ〜?」
「食べるのが義務なのか?! ってだいたい僕たちはカ――」
「はい、頑張って食べてね〜」
抗議に一切耳を貸さず、マスターは盆のうえの料理を適当に配るとまた厨房のほうへと消える。なんか無茶苦茶釈然としなかった――が。
「ほら、お兄ちゃん」肩を揺らして笑っていた妹が、涙ぐんだ目許を拭いながらついつい、と僕の服を引っ張る。「撮ってあげてよ、あの娘も待ってるよ?」
とりあえず妹の機嫌は直ったようなので、良しとしよう。
「はい、笑って」
東欧の人らしいお父さんと日本人らしいお母さん、そのふたりの子供達は、満面の笑みで僕の呼びかけに応えた。
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