突発掌篇『嵐の日の迎え火』

 夕方、買い出しついでに散歩している途中、玄関先で迎え火を焚いている家族を見かけた。

 いまどき都内で普通にこんな光景を見かけるのはこの界隈ぐらいだろうな、とほのぼのしながら、視線を上げると、暗い空で僅かに亀裂を開けた雲が真っ赤に燃えている。この夏最初の大きな台風が接近しているのを、このときやっと思い出した。

 いくら盆とはいえ、こんな日に迎え入れられる霊魂も気の毒だな、とふと思う。

 連想的に、妙な光景を思い浮かべた。今夜、眠ろうと横たわった私の耳許で、突如何者かが「流されるんだよ」と大声で言い放つ。見まわしても、部屋にはひとり。

 正直、それはあまりに月並みすぎる。その通りに現れたら笑ってあげようか、などと考えながら、ぷらぷらと歩いた。比較的静かなこの界隈では、夕暮れに往来の増える目抜き通りに差し掛かる。

 と、何処からともなく叫び声が聞こえた。見まわすが、周囲を行き交う人に不審な動きは見えない。それどころか、この肝を潰すような悲鳴が耳に届いていないかのように、ごく平然とした表情をした人ばかりだった。

 たったひとりだけ、ぽかんと口を開けて空を見上げている人がいる。その目線を辿って、私は上の方に目を向けた。

 このあたりでは高い建物の屋上に、旗を掲げるためのポールが立っている。いま、旗のかわりにそこではためいているのは、白髪の男性だった。強い風に流されて地面と水平になびき、大口を開けて絶叫している。

 やがてひときわ強い風が吹くと、遂に力尽きて、男性は手を離した。落下することなく、気流に乗って飛んでいき、あっという間に見えなくなる。

 呆気に取られてしばらく行く手を目で追い、やがて、は、っとなって視線を移すと、先ほどの人物と視線がぶつかった。その人は目を丸くして、宙を指さす。私は懸命に、こくこく、と頷くと、その人は安心した表情になって、立ち去っていった。

 この三連休、日本全土が台風の猛威に見舞われる。無事に送り火を焚いてあげられればいいのだけど。

コメント

  1. 冬野 より:

    > 「流されるんだよ」
    イッペン、死ンデミル? を思い出した。

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