
TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『怪談(1965)』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。
英題:“Kwaidan” / 原作:小泉八雲 / 監督:小林正樹 / 脚本:水木洋子 / 製作:若槻繁 / 撮影監督:宮島義勇 / 照明:青松明 / 美術:戸田重昌 / 装飾:荒川大 / 色彩技術顧問:碧川道夫 / 編集:相良久 / 録音:西崎英雄 / 音楽音響:武満徹 / 題字:勅使河原蒼風 / タイトルデザイン:粟津潔 / 初公開時配給&映像ソフト発売元:東宝
1964年日本作品 / 上映時間:3時間3分
1964年12月29日先行公開/1965年2月27日一般公開
午前十時の映画祭16(2026/04/03~2027/03/18開催)上映作品
2020年7月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video]
TOHOシネマズシャンテにて初見(2026/8/8)
[粗筋]
『黒髪』
原作:『明暗』より『和解』“The Reconciliation”/出演:新珠三千代、渡辺美佐子、三國連太郎、石山健二郎、赤木蘭子、北原文枝、松本克平、家田佳子、月宮於登女、田中謙三、中野清
昔の京都に暮らす武士(三國連太郎)は貧しさに喘いでいた。妻(新珠三千代)は機織で収入を得、武士を甲斐甲斐しく支えていたが、男たる者、立身出世を目指すべきだ、という強迫観念に駆られていた武士は、さる名家の娘(渡辺美佐子)と結婚して、地方で仕官する、という話に飛びついて、妻を捨ててしまった。
だが、第二の妻は冷酷な性格で、我が儘だった。そんな彼女の様に、第一の妻がどれほど自分にとって代えがたい存在であったか、を思い出した武士は、第二の妻を実家に戻した。
任期を粛々と終えた武士は、逸る思いを胸に京へと帰還する。かつてよりも荒廃した屋敷に踏み入ると、しかしそこには、昔と少しも変わらぬ第一の妻の姿があった――
『雪女』
原作:『怪談』より『雪女』“Yuki-Onna”/出演:仲代達矢、岸惠子、望月優子、菅井きん、千石規子、野村昭子、浜田寅彦、浜村純
武蔵国で母(望月優子)とふたり暮らす巳之吉(仲代達矢)は、ある冬の日、木樵の茂作(浜村純)とともに薪を収穫しに行った矢先、吹雪に遭ってしまう。川の渡し守(浜田寅彦)が対岸に船を係留して帰ってしまったため、二人は船小屋に待避する。
その夜、ふと目覚めた巳之吉は、恐ろしいものを見た。長い黒髪と真っ白な衣裳に身を包んだ女が、茂作に息を吹きかけ、凍らせていたのだ。女は巳之吉にも近づいてきた。死を覚悟しながらも、美しい女に見蕩れていた巳之吉に、女は「お前を見逃す。だが、このことを他人に口外したら、そのときは殺す」と告げ、扉をすり抜け消えていった。
それから一年ほど、身体が弱り寝込んでいた巳之吉だが、どうにか仕事に復帰することが出来た。そんなある日、山から薪を拾った帰り道に、巳之吉は旅の女と出会う。江戸に向かう途中だ、という女を、巳之吉は家に招くと、泊まっていくように勧めた。
お雪(岸惠子)というその女は、そのまま巳之吉の家に留まり、彼の妻となった。息子が妻を娶り、安心した母はほどなく他界するが、巳之吉はお雪とのあいだに三人もの子宝に恵まれた。美しく働き者で、祥月命日の墓参りも欠かさないお雪に、「巳之吉はいい嫁をもらった」と近所の者も称賛を惜しまなかったが――
『耳無し芳一の話』
原作:『怪談』より『耳無し芳一の話』“The Story of Mimi-Nashi-Hoichi”/出演:中村賀津雄、丹波哲郎、志村喬、林与一、村松英子、田中邦衛、北村和夫、中谷一郎、友竹正則、花沢徳衛、夏川静枝、龍岡晋、北城真記子、桑山正一、鶴丸睦彦、谷晃、近藤洋介、山本清、小美野欣二、中村敦夫
隆盛を誇った平家も、源氏に追い込まれ、壇ノ浦の戦いによって滅亡した。悲劇の舞台となった瀬戸内海には、その怨みを甲羅に刻んだヘイケガニが現れ、その悲劇の歴史は物語となり、やがて琵琶法師によって謡われ、各地に伝わるようになる。
琵琶法師のひとりである芳一(中村嘉葎雄)は縁あって、壇ノ浦に近い赤間関の阿弥陀寺に身を寄せていた。住職(志村喬)らが法事のため寺を留守にしていた晩、戸口から芳一を呼ぶ声があった。近くに逗留する高貴な方が、芳一が『平家物語』の名手であることを聞きつけ、演奏することを所望しているという。芳一は光栄に思い、訪問者に手を引かれるまま、貴人の元へ向かった。
貴人は芳一の演奏に感銘を受け、夜毎に彼を招いた。このことを口外してはならない、という貴人たちの言葉に従い、芳一は寺の者には何一つ打ち明けなかったが、周囲は異変に気づいていた。夜毎、寺を出て行く芳一が目に見えて痩せこけていたのだ――
『茶碗の中』
原作:『骨董』より『茶碗の中』“In a Cup of Tea”/出演:三代目中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、二代目中村鴈治郎、仲谷昇、宮口精二、佐藤慶、奈良岡朋子、神山繁、田崎潤、織本順吉、小林昭二、青木茂朗、天本英世、玉川伊佐男
明治三十二年。版元(二代目中村鴈治郎)の依頼で執筆していた作家(滝沢修)は、古来から伝わりながらも、結末が曖昧になっている話に、あえて結末をつける試みを考えた。
採り上げたのは、関内(三代目中村翫右衛門)にまつわる話。年始回りの途中で喉を潤そうと茶碗に水を注いだ関内は、その水面に見知らぬ顔が映りこんだのに気づく。水を捨て、何度注ぎ直しても、また顔は現れる。業を煮やした関内は、とうとうその水を飲み干した。
その日、主君の館で夜勤していた関内は、いつの間にか、あの水鏡に映りこんだ顔の人物が上がりこんでいたことに気づく。誰何する関内に、その人物は式部平内(仲谷昇)と名乗る。それ以上の素性を語らぬ平内を、関内は斬りつけたが、平内は壁をすり抜けて消えてしまった。
関内は家中の者を呼び、平内を探した。しかしどこにも見当たらず、同僚たちは関内が夢幻を見たのだ、と決めつける。
自身の宅に戻った関内は、狐につままれた心境だった。そこへ、不意に来訪者がやって来た。見知らぬ三人は、平内の家来と名乗った――
[感想]
日本の文化、精神性を世界に紹介し、盤面は帰化して小泉八雲となったラフカディオ・ハーンの代表作が、没年にアメリカ、イギリスで刊行された『怪談』である。
ただし、ハーンがいわゆる“怪談”を紹介したのは、この作品集が初めてではなく、それまでに発表した著作において、『鳥取の布団の話』などのいわゆる“怪談”に相当する民話、伝承の類は採り上げている。事実、本篇に採り上げられた4篇のうち『黒髪』の原作『和解』、『茶碗の中』は作品集『怪談』以前の発表である。
しかしいずれも一貫して、ハーンの日本文化に対する彼なりの理解と洞察により紡がれた、れっきとしたハーン=小泉八雲の“怪談”である。事実、独自にこうした“怪談”を『怪談』と題した著書以外からも選んでまとめた書籍も多く、本篇のアプローチは特異なものではない――そもそも、そこにこだわって、この作品を批判する人はごく稀ではあると思うけれど。
どの作品も、基本的な筋は原作から大きく変更していない。時代背景などは原作の説明を踏襲している。ただ、その表現が、本篇は執着的なほどに繊細だ。
ロケで撮影したと思しいシーンも一部あるが、多くはセットで構築されている。『黒髪』の邸宅、『雪女』で巳之吉が迷い込む雪原、『耳無し芳一の話』で芳一が誘われる屋敷など、現実にはなさそうだが、だからこその独創的な唯一無二の映像が展開する。この豪華で大胆、それでいて細やかな映像だけでも本篇の価値は高い。
この緻密に組み立てられた舞台で、呼吸や間を活かした演技と演出が乗ると、どこか歌舞伎や狂言のような、日本の伝統芸能のような趣がある。しかも本篇は、見せ所の効果音を、楽器を用いて表現している。まるで歌舞伎の囃子方のようで、恐らくは意識して採り入れた演出だろう。演技の様式や言葉遣いは現代劇に寄せているが、こうした演出によって、本篇が湛える“日本”的な空気感がより色濃くなっている。しかも、舞台のように、観客の目線が固定されず、カメラが空間に入っていくので、まるで物語の中に取り込まれたような感覚すらもたらす。2000年代に入ってから増えてきたシネマ歌舞伎のような、公演をスクリーンに映すのとはまた違っており、伝統芸能の映画的な換骨奪胎として、珠玉の仕上がりである。
そして、脚色もまた繊細で丁寧だ。基本的に小泉八雲の作品と大筋は変えていない、とは言い条、原作には経緯をざっと記しただけの部分を、かなり膨らませて詳細にしている。しかし、決して不自然さはない。本筋を壊さず、その情感を増すことに徹している印象で、むしろ本篇を観たあとだと、原作の描写がいささか淡泊に思えるほどだ。
題名こそ“怪談”だが、昨今のイメージと異なり、そこまで“怖い”という印象をもたらす作品、描写はない。もちろん、『黒髪』のクライマックスや、『耳無し芳一の話』の見せ場ではしっかりと恐怖を意識した表現が用いられているが、むしろ人ならざる者がまとう異質感、そこから滲み出す哀感といった、現実から一歩踏み出したような幻想的な雰囲気を表現することに主眼がある。そして更に、そこから滲み出す、日本独自の文化、価値観、倫理観といったものを描き出すことも、小泉八雲が来日以降、繰り返し選び、そして特に『怪談』という著作に窺える特徴なのだ。本篇は間違いなく、その精神性を踏襲し、映画として拡張している。
ただ、掉尾を飾る『茶碗の中』だけは、原作とは異なる展開がつけられている。この趣向による脚色は、人によっては承服しかねる可能性もある。しかし私は、作品世界の拡大解釈として、充分に評価しうる、と思う。
そもそも小泉八雲自身が、聞いた民話や伝承をそのまま書き起こしていたわけではない。日本語はある程度解するが、充分にニュアンスを読み解けないことも承知していた八雲は、妻のセツに語らせる、という過程を挟んだ。その際、セツには種本を朗読するのではなく、物語を理解したうえで、彼女自身の言葉で語らせた。ここには既にセツの理解と、彼女なりの解釈、という変化が加わっている。そのうえで、軸となる題材、主題を活かすために、別の説話の要素を引っ張って合わせたりもしている。実際、本篇でも採り上げられた『雪女』は、劇中で語られる通り、武蔵国付近での説話に、別の説話の要素を組み合わせたものだ。
故に、掉尾を飾る『茶碗の中』の趣向は小泉八雲作品の映像化の方法論として充分に肯定できるし、むしろ、“怪を語る”ということの魅力と恐ろしさを表現する、という意味では、素晴らしい脚色と私は評価する。
2025年から26年にかけて、小泉セツをモデルにしたNHK朝ドラ『ばけばけ』が放送されて好評を博し、小泉八雲とその作品世界がまた注目されている。本篇が午前十時の映画祭16の上映作品に選ばれたのも、この放送に合わせてのことだったと推測されるが、虚構であることを大胆に活かして作り上げた“日本”の精神世界を体現したかのような映像と語り口は、ドラマの存在と流行とは関わりなく、いまなお鑑賞に値するし、恐らく今後もその価値を保ち続けるのではなかろうか。小泉八雲作品に魅せられた人ばかりでなく、多くの人に、これからも干渉されるべき名作である。
関連作品:
『雪女(2016)』/『浮雲(1955)』
『死の十字路』/『天国と地獄』/『早春(1956)』/『黒蜥蜴(1968)』/『本陣殺人事件』/『椿三十郎(1962)』/『復讐するは我にあり』/『秋刀魚の味』
『劇場版 怪談レストラン』/『怪談 呪いの赤襦袢』/『怪談新耳袋 怪奇』/『怪談新耳袋 異形』/『日本橋』/『異人たちとの夏』/『機動警察パトレイバー 2 the Movie 4DX2D』/『女優霊』/『』/『画皮 あやかしの恋』/『鬼談百景』/『残穢 -住んではいけない部屋-』


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