原題:“The Three Musketeers” / 原作:アレクサンドル・デュマ / 監督:ポール・W・S・アンダーソン / 脚本:アレックス・リトヴァク、アンドリュー・デイヴィス / 製作:ジェレミー・ボルト、ポール・W・S・アンダーソン、ロバート・クルツァー / 製作総指揮:マーティン・モスコウィック / 撮影監督:グレン・マクファーソン,ASC,CSC / 美術:ポール・デナム・オースタベリー / 視覚効果監修:デニス・ベラルディ / 編集:アレクサンダー・バーナー / 衣装:ピエール=イヴ・ゲロー / 音楽:ポール・ハスリンジャー / 出演:ローガン・ラーマン、ミラ・ジョヴォヴィッチ、オーランド・ブルーム、クリストフ・ヴァルツ、マシュー・マクファディン、レイ・スティーヴンソン、ルーク・エヴァンス、マッツ・ミケルセン、ガブリエラ・ワイルド、ジェームズ・コーデン、ジュノー・テンプル、フレディ・フォックス / コンスタンティン・フィルム/インパクト・ピクチャーズ製作 / 配給:GAGA Communications×テレビ朝日
2011年ドイツ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:佐藤恵子
2011年10月28日日本公開
公式サイト : http://34.gaga.ne.jp/
TOHOシネマズスカラ座にて初見(2011/11/15)
[粗筋]
17世紀、フランス。王の早逝によりまだ幼いルイ13世(フレディ・フォックス)が即位したことで、フランスは微妙な地位に立たされていた。周辺諸国が攻撃の機を窺う一方、王の側近・リシュリュー枢機卿(クリストフ・ヴァルツ)もまた実権を王から奪うべく、虎視眈々と待ち受けている。
そんな中でも、国の英雄たる三銃士は果敢に任務に臨んでいた。ヴェネツィアに潜入した彼らが狙ったのは、ダ・ヴィンチが密かに構想していた、飛行船の設計図である。厳重な警備をくぐり抜け見事に使命を果たした――かに見えたが、最後で手酷い裏切りに遭う。アトス(マシュー・マクファディン)の恋人と思われていたミレディ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が、実はイギリスのバッキンガム公爵(オーランド・ブルーム)に寝返っていたのである。勝利を祝う宴の席で、器に毒を盛られた銃士達は、苦悶に呻きながら、ふたりを見送るほかなかった……。
――それから、1年後。
フランスの田舎町ガスコーニュで、もと銃士の父親に剣の手解きを受けていたダルタニアン(ローガン・ラーマン)が、志を抱いてパリへと旅立った。だがその道中、愛馬を罵倒されたことに腹を立てて勝負を挑んだ相手に不意をつかれ、傷を負ってしまう。通りがかった女のひと声で救われたが、ダルタニアンは自分と愛馬を侮辱した男に対する恨みも抱くこととなる。
そしてようやく辿り着いたパリで、ダルタニアンはあの男を見つけた。復讐するために、人混みの中を追ったダルタニアンだが、途中で繰り返し悶着を起こし、3度もの決闘の約束をしてしまう。結局あの男を捕えることは出来ず、ダルタニアンはすべての決闘の場所に指定した広場へと赴いた。
驚いたことに、ダルタニアンが決闘の約束をした3人が、既に顔を揃えていた――実はこの3人こそ、彼が憧れていた三銃士だったのである。しかし、ヴェネツィアでの失態が原因で役を逐われ、今は浪々の身となっていた。折しもそこへ、決闘を始めようとしていた彼らを枢機卿の衛兵たちが見咎め、彼らを包囲する。そして、衛兵たちに指揮をしていたのは、ダルタニアンを愚弄したあの男――ロシュフォール(マッツ・ミケルセン)であった。
頭に血を昇らせたダルタニアンは、取り囲む衛兵を薙ぎ倒してロシュフォールのもとを目指す。手練れの彼といえどもさすがに多勢に無勢、四方を囲まれ、絶体絶命かと思われたそのとき、もと三銃士が彼に加勢した――!
[感想]
ポール・W・S・アンダーソン監督は、己の役割をよく弁えた映画監督である、と思う。この人はとことん娯楽作に拘り、安易に文芸路線に流れたりしない。小さく収まった作品を生み出すのではなく、どこかしら尖った趣向を凝らして、良識派の首を傾げさせる代わりに、一部のマニアや、子供心を持つ観客に歓声を上げさせる映画を撮り続けている。
これまで近未来を舞台としたSF的趣向の作品が多かったアンダーソン監督が、今回は定番の冒険小説をもとに、過去を舞台に撮った、という点ではかなり趣を違えたように聞こえる。が、彼の旧作を知る映画ファンなら察しがつくだろうが、舞台を変えようとこの監督のスタイルはまったく変わっていない。いい意味でも悪い意味でもど派手で、娯楽映画のツボを押さえた作品に仕上がっている。
ただ、個人的には、悪い予想もあらかた的中してしまったことは言い添えておかねばなるまい。予告篇などでも、クローズアップされていたのはミレディを演じるミラ・ジョヴォヴィッチ、敵役のバッキンガム公爵に扮したオーランド・ブルーム、そして奸臣リシュリュー枢機卿のクリストフ・ヴァルツ、とすべて悪役であり、そこから想像はついたことだが、三銃士の存在感は少々、薄い。こちらも若手注目株のローガン・ラーマンがダルタニアンに配され、肝心の三銃士もキャリアを備えたいい俳優揃いなのは間違いないのだが、如何せん話題性、スター性に優れた悪役側の3人と比較すると華に乏しい。
話運びの大味さも予想通り、なのだが、しかし前述したようなアンダーソン監督の個性を承知している人は、この点に不満を抱いたりはしないだろう。むしろ大変に彼らしい、と感じるところだろうし、そういう“期待通り”は賞賛すべきところだろう。観客が欲しがっている興奮を齎すことに情熱を傾けているような監督なのだから、それは望む通りの作品をきちんと作りだしている、ということに他ならないのだ。
旅の過程で主な関係者のほとんどに遭遇してしまうこと、逢ってすぐに国王に気に入られてしまうこと(国王の立場や性格を思うと理解は出来なくもないが)、中盤以降の冒険で見せる至極大雑把な計画があっさりと成功してしまうこと、等々、御都合主義極まりない展開が随所に見受けられるが、しかしそうした絵空事じみた出来事やあからさまな障害、それを覆す痛快な逆転劇、といったものはフィクションだからこその醍醐味だ。興醒めするようなリアリティを敢えて排し、物語が備える爆発力を可能な限り発揮させたこういう作品は、観ていて理屈抜きに楽しい。
荒唐無稽なアクションの数々もそうだ。複数の銃を回転させながら発砲するなんて攻撃としては非効率的だが、あり得ないからこそ観ていてスカッとする。ふだん利用する人間が次々と犠牲になりそうな過剰すぎるトラップだって、くぐり抜ける際のミラ・ジョヴォヴィッチの華麗な振る舞いを魅せるためだけに存在しているのは自明だが、手段が目的化している愉しさもまた、冒険ものの醍醐味と言っていい――基本的に重要なのは目的ではなく、冒険、ということそれ自体なのである。
前作『バイオハザードIV アフターライフ』で既にいちど3D方式を採り入れた撮影を行った監督だけあって、2作目である本篇は確実にその扱いが洗練されている。過剰に立体感を主張しない、奥行きを描くことに注意を傾けつつ、ときおりカメラのほうに物体が迫ってくるシチュエーションを用意して観客をたじろがせることも忘れない。そして、冒険ものであるからこそ、この臨場感が活きてくる。
潔いほどに、娯楽に徹した作品である。荒々しく、観終わったあとにほとんど心には何も残らないが、そこがいいのだ。誰もが、リアリティに重きを置いた、胸にズシンと来る映画ばかりを望んでいるわけではないのである――そして、こういう映画は、ちゃんと作る人がいてこそ命脈を保てるのだから、ポール・W・S・アンダーソン監督は充分にいい仕事をしている。
ところで。
私と近い世代の一部の人間には、“アラミスは女”という意味不明の刷り込みが為されている。かつてNHKで放映されていたアニメーション版『三銃士』の悪影響なのだが、これのせいで、海外で実写化された『三銃士』を観ると、理不尽な違和感に襲われてしまうのである。
本篇のアラミスは、元牧師だが女たらし、という人物像に合わせて、かなりスマートな雰囲気を漂わせている。もう既にアニメ『三銃士』からだいぶ時間が経っているから、というのもあるのだろうが、本篇のアラミスは思いの外違和感が少なかった。三銃士それぞれのキャラクターが、悪役に食われがちだったとは言い条、きちんと立っていることも奏功しているのだろう。こうした描き分けの確かさも、実はアンダーソン監督の優れた手腕のひとつではないか、と思う。
……ただ、そのアラミスのイメージがしばしば、オーランド・ブルームが他の映画で演じる人物像に似通って感じられるのはどうかと思ったが。油断すると、仲間たちと並んでいるアラミスが、オーランド・ブルームに見えることがありました……。
関連作品:
『ヤング・ブラッド』
『バイオハザード』
『デス・レース』
『ロビン・フッド』
『キング・アーサー』
『タイタンの戦い』
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