放課後、プリントの整理を任され、黙々と手を動かしていたとき。
「チョコに毒を入れてプレゼントする女の子って、いるかね」
波奈のそのひと言に、陸はしばし絶句した。
「……恨んでる相手に、恋してるふうを装って、チョコをあげんの?」
「本気で憎いならやると思うよ、女の子は。全力で演じて、本気だ、って信じこませて、食べた瞬間に嘲笑ってやるの」
「おっかないこと考えるな、女は――っていうか、波奈は」
「陸は知ってるじゃん。あたし、そういうタイプよ」
「……ああ、知ってる」
何ヶ月か前までの波奈の振る舞い、というより攻撃に晒されていた自分の姿を脳裏に蘇らせて、陸は顔をしかめる。
「ね、あんたはどう? そういう関係の女の子に、いきなり『実はぁ、あなたのことが、大好きだったの! だからこれ、食べて?』ってチョコ差し出されたら、受け取る? 食べる?」
「演技が気持ち悪いよ」
「あたしの演技はどうでもいいから、答えろ」
ぎろ、と睨まれて、陸は本気で思案した。頭の中で手短にシミュレーションをして、答える。
「……いきなりじゃ、食べんな」
「……へぇ。あんたみたいに縁のない奴なら、飛びつきそうだけど?」
「縁がないのは否定しないけど、だったら尚更だろ。
だって、相手は自分のこと憎んだり恨んだりしてる女の子なんだろ? 昔からそれなりに付き合いがあれば、こいつ自分のこと嫌ってるな、ぐらいは解るって。そしたら、いくら好きです好きです心からー、とか言われたって、多少は勘繰るって」
「あんただからでしょ? 昔から、少しぐらいは用心深いみたいだから」
「……波奈の底意地の悪い罠に何回も引っ掛かったせいだよ」
「あっはっは」
陸の嫌味に、波奈は空虚な笑いで切り返した。
「じゃ、初対面の女の子に、いきなり」問いかけようとして、不意に波奈は言葉に詰まる。少し視線をさまよわせたあと、「さっきみたいなこと言われたら、受け取る?」
「んー……受け取るぐらいはするかも知れないけど、食べるのはちょっと気を遣うと思うぞ。それこそ、引く手あまた、ってぐらいチョコを貰いまくってるモテ男だったら疑いもしないで食べるか……」そこまで言ったところで、別の可能性に思い至って、陸は眉をひそめる。「いや、そんなに貰ってんだったら、全然関心のない娘のチョコなんか、食べないか……良くても、人にあげるぐらいするかもな。
どっちにしても、やっぱりチョコに毒盛っても、食べさせるのは難しいだろ」
「じゃあ、どうしてもバレンタインに、あげたチョコ食べさせて殺したい――」
「もうちょっと穏当な表現にしないか? それ」
「――目を回すところが見たい、って計画してたとしたら、どうするのがいいと思う?」
「どうしても、ねぇ……。
女の子の目的が確実に相手を仕留めることにあんなら、もっと周到に近づかなきゃ駄目じゃないか? もっと早い時期から、親しくなるとか、ぎこちない関係を修復するとかして、バレンタインまでに自然な会話が出来る関係になっておいて、『実は……』ってチョコを差し出す。そのくらい計画的にやって、ようやく確実に仕留められるんじゃないかな」
仕事を放り出していったい何の話をしてるんだ、と訝りつつ、陸はそう結論づけた。
正面に座った波奈は、背もたれに深々と身を委ね、妙に表情の乏しい瞳で陸を見つめる。陸が不安を覚えたころに、ようやく言った。
「……ってことは、陸は、自分が好きな相手じゃなきゃ、怖くて受け取れないよね」
「それは……極端だけど、今みたいな話、したあとじゃなぁ……」
「本当に、拒絶する?」
重ねて訊ねられて、陸は口をつぐむ。
「そこまで一所懸命、親しくなろうとしてたらさ……きっと、相手のいいところとか、好きになれる部分、探すと思うのよ。
そうやって、いいところ、好きになれるところばかり、目に入れるように努力してたら……本気になる、ってこと、考えられない?」
「……でも、それはいくらなんでも、受け取る方でそんな想像は出来ないだろ。あまりにも、希望的観測が行きすぎてる、っていうか……自惚れすぎてる、っていうか」
「考えられない? そこまで予想するのは、無理?」
「まあ、普通はそうだろ」
「でも、今なら考えられるよね?」
いつになく真剣な調子で問われた陸は、まるで操られるような心地で頷いた。
波奈が、小さく頷き返す。それから、机の下の鞄に手を突っ込み、掴んだものを机の上に置く。
巾着状に何かを包み、赤いリボンで飾った掌大のものを、そ、っと陸のほうに押し出すと、波奈は瞳を潤ませ、目のふちを火照らせて、絞り出すように言った。
「……食べて」
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