原題:“Potiche” / 監督、脚本&脚色:フランソワ・オゾン / 原作:ピエール・バリエ、ジャン=ピエール・グレディ / 製作:エリック・アルトメイヤー、ニコラス・アルトメイヤー / 撮影監督:ヨリック・ル・ソー / 美術:カーチャ・ヴィシュコフ / 編集:ロール・ガルデット / 衣装:パスカリーヌ・シャヴァンヌ / 音響:パスカル・ジャスメ / 音楽:フィリップ・ロンビ / 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ファブリス・ルキーニ、カリン・ヴィアール、ジュディット・ゴドレーシュ、ジェレミー・レニエ、エヴリーヌ・ダンドリー、エロディ・フレージェ、セルジ・ロペス、ブリュノ・ロシェ / 配給:GAGA Communications
2010年フランス作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:松岡葉子
2011年1月8日日本公開
公式サイト : http://amagasa.gaga.ne.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/01/20)
[粗筋]
スザンヌ・ピョジュル(カトリーヌ・ドヌーヴ)の日課は、早朝のジョギング――ただそれだけ。父から受け継いだ雨傘工場は夫ロベール(ファブリス・ルキーニ)が経営しており、スザンヌには一切手出しを許さない、台所に入ることさえ「家政婦に任せておけばいい」と不平を漏らすのだ。そんな彼女のことを、娘のジョエル(ジュディット・ゴドレーシュ)は“飾り壷”呼ばわりする。
それでも、そんな生活が幸せだと思いこもうとしていたスザンヌだったが、工場で大規模なストライキが発生したことから、変化が始まった。ロベールの強硬な経営姿勢が労働者たちの反発を招いたことが原因なのだが、監禁される事態に至ってもロベールの態度は改まらず、代わりに人質になろうと駆けつけた息子ローラン(ジェレミー・レニエ)を殴って追い返す始末。
結果、スザンヌが腰を上げざるを得なくなった。労働運動の旗手であり、彼女にとって若き日の過ちの相手でもあるババン市長(ジェラール・ドパルデュー)を訪ねると、ロベール解放のために交渉の仲介を求める。それでもなお強気を通していたロベールが持病の心臓病を悪化させたことを契機に、とうとうスザンヌ自らが交渉のテーブルに着いた。
30年間、“飾り壷”として暮らしていた彼女に何が出来る? ロベールも、彼女がただ椅子に座っていればいい、と思って代役を認めたのだ。
しかし、ことここに及んでスザンヌは、意外な指導者の才覚を発揮する。もともと夫の横暴な物言いに耐え忍んでいた彼女は、ロベールに酷使されていた労働者たちの共感を得るのも早かった。ふたりの子供たちも仕事に参加させ、それまでとはがらりとイメージを変えた経営は、ストで発生した赤字を瞬く間に取り戻し、雨傘工場を以前よりも活気づかせる。
だがそれも、ロベールが療養から戻るまでの話だった。大きく意識を変えたスザンヌに対し、意固地なままのロベールが、易々と経営者の椅子を明け渡すはずはなかったのである……
[感想]
基本的に俳優、それも長年スターの座に就き続けるような人々は、常人とはまるで異なる歳の取り方をするものだ。いつまで経っても若々しい、容色が衰えない。確かに若い頃と較べれば皺も増えたし皮膚も弛んできたし、と老いは感じさせるが、その輝きは失せていない、という人が多い――だからこそスターたり得る、とも言えるのだろうが。
そうしてみると、カトリーヌ・ドヌーヴはまさに真正のスターだ。既に60代も後半にさしかかっているが、未だに妖艶な魅力を放っている。そして本篇は、そんな彼女の魅力を存分に引きだしている。
冒頭のシーンからして、ちょっとした驚きだ。これほどの大女優がいきなり、ジャージ姿でジョギングする場面から始まる。それが決してみすぼらしくもなければ、気取りも感じさせないのに、気品と色香に満ちあふれている。動物たちと遭遇する際のキュートな仕草を見せつけられるあたりまでで、確実に彼女に心を掴まれる。
設定がもともとお嬢様で今はブルジョワ主婦、というものなので、よく見ればジャージもものは良さそうだし、以降の服装に隙はない。ただ、物語の内容に合わせ、板についた上品さがまったく嫌味のない、親しみやすい人物像を見事に構築している。孫もおり、既に性的な昂揚は望んでいない節があるなど、年齢相応の描写もあるが、そういうリアリティを保持してなお、非現実的なキュートさを醸しだしているのが驚異的だ。監督のフランソワ・オゾンは日本でも大ヒットを飛ばした『8人の女たち』でいちどドヌーヴを起用しており、その魅力の引きだし方を自分なりに充分把握していたのだろう。敢えて書き割りっぽさを強調したセットとも相性が良く、現実ではあり得ない、映画ならではの映像のなかで、ドヌーヴ演じるスザンヌは光り輝いてさえ見える。彼女目当てで劇場に足を運ぶのであれば、まず満足出来る内容と言っていいだろう。
舞台や衣裳が非現実的なのに加えて、ずっと家庭にいた主婦がいきなり社長として見事な経営手腕を振るう……と来たらとことんファンタジーのようにも思えるが、しかし主婦が社長として成功する、というのは決して無理筋ではない。だが、それを敢えて空想的なタッチで表現することで、話の背後に見え隠れする重苦しさを和らげ、作品全体の軽快さを保っている。
そして、単純に“幸せになりました、おしまい”という話ではないのがこの物語のミソだ。予告篇の趣旨や序盤の流れから、もう少しストレートな愛情が描かれるのでは、と思っていると、中盤あたりから次第に怪しくなってくる。本篇の奇妙なリアリティにも繋がるところだが、まずスザンヌからして決してただの純情なお嬢様というわけではない。だからこそ、突然の災難にも思わぬ手腕を発揮するだけの度胸があることが保証されているわけだが、ここで明らかにされる過去の行状が生々しくもユーモラスだ。それが現在進行形の人間関係と絡みあって、予想通りのように見せかけていた物語は急速にねじれていく。話をどのように運び、観客にどのような感想を齎すか、を非常によく考えた人物配置が絶妙だ。
そうして物語が決着してみると、本篇はある主婦が己の本分に目醒めて、自分なりの幸せを勝ち取る――という風に判断してもいいのだが、彼女に限らず、多くの登場人物が己の固定観念や社会的地位の束縛から解き放たれ、新しい人生を開いていく物語であった、と捉えられる。他人の感情や、世間一般の抱く先入観通りに生きる必要などないのだ、と優しく、快活に囁きかける物語と見えるのだ。
だからなのだろう、本篇はこれから解決するべき問題も残しながら、余韻は清々しく、劇場を出るときの足取りを軽くしてくれる。ラストシーン、カトリーヌ・ドヌーヴ演じるスザンヌが唐突に歌い出すのだが、その行為も歌っている内容も、物語の余韻にぴったり重なるのだから文句のつけようがない――確かに“人生は美しい”と思わせてしまう、そんな映画である。
関連作品:
『8人の女たち』
『ぼくを
『昼顔』
『夜顔』
『つぐない』
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