人生の大半を、光を失った状態で過ごしてきた祖父の趣味は、映画鑑賞だった。
「映画、と言っても、何も愉しむのは映像だけじゃないよ。台詞、音響、音楽――聴く面白さもある」
昔はミュージカル映画に、荘重なオーケストラを導入した作品など、音楽に魅力があったが、最近は立体的な音響が生み出す臨場感をこよなく愛しているのだという。だから、御年八十を超えたのちも、静かに味わうドラマよりは会話の多いコメディ、それよりも身体が震えるほどの爆発が轟くようなど派手なアクション映画を好んでいた。
見えない祖父の補助、という名目で、大学生だった私は常に付き添いとして駆り出されていたけれど、苦に感じなかったのは、大半が娯楽映画だったからだろう。気づけば新作の情報を調べて祖父に報告し、観る映画も一緒に選ぶのが、私の習慣のひとつになっていた。
自宅からほど近い場所に、最近になって大規模商業施設が建設され、そのテナントとして大手シネコンが入ると、祖父と私は当然のように常連客の仲間入りをした。最初のうちはサングラスに白い杖の老人と小娘、という取り合わせに戸惑っていた従業員も、いつしか普通に扱ってくれるようになった。
爆発の激しい閃光が迸ったとき、乾いて筋張った掌で手を握られて、私はびくん、と飛び上がった。
「煙草の匂いがしないかね?」
繰り返し轟く爆音に遮られないよう、祖父は普段の音量で言う。視力を喪った祖父は、他の感覚が研ぎ澄まされているのを知っていたから、驚きながら私はあたりに注意を払った。
紫煙も、螢のような熱の灯火も見当たらない。でも、確かにほのかに煙草の匂いが漂っていた。
全面禁煙の館内で煙草を吸う不届き者は誰だ、と私も不愉快になる。でも、この暗がりの中、犯人を捜して注意するのは怖かった。向こうだって、灰皿もない闇の中で煙草を吸うのは決して楽じゃないはずだから、そのうちにやめるだろう。
そう自分を説得して無視を決めこもうとしたけれど、ふと目線を落とすと、前の席の人が怪訝そうに私たちを見やり、それから周囲に視線を巡らせていた。スクリーンの明滅する光の中で、前の観客の小鼻に皺が寄っているのが見てとれる。匂いを嗅いでいた。
いつしか複数の観客がひそひそと言葉を交わし始めていた。そしてとうとう数人が席を立ち、映写室のほうに向かって大きく手を振り回す。間もなく場内の照明が点り、映写が止まった。
「誰だ、煙草なんか吸ってるのは?!」
血の気の多そうな中年男性が声を荒らげるけれど、誰も応えない。観客全員が訝しげな眼差しで互いを牽制していると、係員が現れ、とりあえずロビーに集まるよう申し出た。
「火種が残っていると危険ですので、緊急の清掃を行います。終了次第上映を再開しますが、もしご希望のお客様がいらっしゃいましたら、無料鑑賞のチケットを差しあげますので……」
チケットを受け取って帰る客も数人いたが、不平を漏らしながらもほとんどの客はロビーに居残った。
サングラスに白い杖、という姿の祖父はそんな中で厭でも目を惹いてしまう。遠慮がちに、映画を愉しまれるんですか、と問いかけてきた人に、祖父はにこやかに頷いた。
「音だけでも映画は愉しいものです。皆様はあまり意識しないかも知れませんが、匂いも乙なものだ。いまはポップコーンの甘い薫りですが、昔は煙草の匂いも珍しくなかった」
この祖父の言葉に、同年代の観客が賛同の声を上げた。数十年前、日本映画が隆盛だった頃はもっと大らかで、いい加減だったという。指定席や定員入れ替え制なんて言葉もなく、どこの映画館も喫煙可能で、時によっては紫煙で映像が霞むほどだった。
「このあたりも賑やかで、幾つか映画館が建ち並んでましたねぇ。兄に無理矢理連れられて来たのを覚えてます」
「そういえば、そのうちの一軒が火事を出して、ずいぶん人が死んだこともあったな。大らかなのもいいけど、やっぱり映画を観ながら吸うのは危ないってことだな」
「昔は2本立て、3本立てが当たり前だったから、あたしなんか一日中座ってたこともありましたよ。夢中になって気がつかなかったのかねぇ」
気づけば、祖父と同年配の人たちが懐旧談を交わし、触発されるように観客それぞれが自分の映画体験をお披露目し始めた。私たちが観ていたのはハリウッド産の大味なアクション映画で、深みも何もなかったのだけど、その観客がこんなにも映画について愛情を持つ人たちばかりだったことに驚き、とめどなく溢れる話題に、私は呆然と聴き入っていた。
だが、しばらく経った頃、不意に祖父が眉をひそめて、視線を巡らせる。また? と思いながら、つられて四方に目を配る。鼻の奥の粘膜を撫でる、ざらりとした匂い。私が向けた眼差しを感じ取ったように、盲目の祖父はこちらに顔を向けると、微かに緊張した口振りで言った。
「今度は煙草じゃない。炎の煙だ」
途端に、けたたましい警報音が鳴り響く。スクリーンの並ぶ廊下から小走りに駆け寄ってきた係員の表情は、動揺を隠せていなかった。
「場内から火が出ました。係員の案内に従って、速やかに避難してください」
火勢は思いの外激しく、スプリンクラーの雨をかいくぐって、半分近いスクリーンを使用不能にした。以降数ヶ月にわたって、映画館のテナントは操業停止を余儀なくされた。
不思議なのは、結局原因が特定されなかったことだった。私たちのいたスクリーンでは、結局係員は煙草を吸った痕跡を発見できなかったらしい。勘違いか、一種の集団ヒステリーなのでは、と結論して、その後の上映を協議のうえ残っている観客に通達しようとした矢先に、どこからともなく火の手が上がった、というのが係員たちの話だった。
かつて同じ土地に建っていた映画館と、一緒に炎に焼かれた人たちの怨念の仕業だ、という噂が、街のあちこちでまことしやかに囁かれるようになったけれど、祖父はその説に頷かなかった。
「きっと、昔の火事で犠牲になった人たちが、儂たちに危険を知らせてくれたんだ。儂には、どうしてもそう思える」
映画を愛する人たちが、映画と共に焼かれたからって、同じように映画を愉しむ人々を羨んで同じ目に遭わせようとするのが、どうしても信じられないのだ、という。
いつになく厳しい口調で私に言ったあと、だが祖父は、ふ、と口許を緩めて、しかし死んだ人たちを悪者にしてしまいたい気持ちも解るし、そう考えたいならそれでも構わないと思う、と呟いた。
「捉え方は、人それぞれでいいじゃないか。――映画と一緒だよ」
その祖父も少し前に鬼籍に入った。
学校を卒業し、離れた街に就職した私は、障害者割引のおこぼれに預かれなくなったせいで少し縁遠くなったが、今も月に1回は映画館を訪れている。新しい家族が増えて、生活が変わっても、きっと時々は足を運ぶだろう、と思う。
いつか、火に巻かれた人たちや、サングラスを外した祖父と、映画談義に花を咲かせる日のことをうっすらと夢に見ながら。
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