原題:“Up in the Air” / 原作:ウォルター・カーン(小学館文庫・刊) / 監督:ジェイソン・ライトマン / 脚本:ジェイソン・ライトマン、シェルドン・ターナー / 製作:アイヴァン・ライトマン、ジェイソン・ライトマン、ダニエル・ダビッキ、ジェフリー・クリフォード / 製作総指揮:トム・ポロック、ジョー・メジャック、テッド・グリフィン、マイケル・ビューグ / 撮影監督:エリック・スティールバーグ / プロダクション・デザイナー:スティーヴ・サクラド / 編集:デイナ・E・グローバーマン,A.C.E. / 衣装:ダニー・グリッカー / キャスティング:ミンディ・マリン,C.S.A. / 音楽監修:ランドール・ポスター、リック・クラーク / 音楽:ロルフ・ケント / 出演:ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ、アナ・ケンドリック、ジェイソン・ベイトマン、ダニー・マクブライド、メラニー・リンスキー、エイミー・モートン、サム・エリオット、J・K・シモンズ、ザック・ガリフィナーキス、クリス・ローウェル、スティーヴ・イースティン、アディール・カリアン / モンテチト・ピクチャー・カンパニー製作 / 配給:Paramount Pictures
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:岸田恵子
第82回アカデミー賞作品・監督・脚色・主演男優・助演女優部門候補作品
2010年3月20日日本公開
公式サイト : http://www.mile-life.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/05/25)
[粗筋]
ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)の自宅はオマハにある、が、そこには昨年、43日しか戻っていない。彼は常に飛行機でアメリカ各地を巡っており、自宅よりも空港、空の上こそが彼の居場所と言ってもいいほどだった。
各地の企業に請われ、ライアンが行うのは、従業員への解雇通知である。自らクビを言い渡す度胸のない上司や雇い主に代わって、解雇される人々を納得させ、再就職プログラムに臨むよう促す。折からの世界不況により、各業種でリストラの嵐が吹き荒れる昨今は、ライアンと彼の勤務先にとって絶好のビジネス・チャンスでもあった。
オマハの我が家は狭く、窓の景色も殺風景だったが、家でくつろぐなどという習慣もなく、共に過ごす子供も妻もいないライアンは拘泥しなかった。旅から旅へ、空から空へ、という生活に、不満も不安も抱いていなかった――そのときまでは。
その話は、青天の霹靂のようにもたらされた。ボスであるクレイグ・グレゴリー(ジェイソン・ベイトマン)によってオマハに呼び戻されたライアンと同僚たちの前に現れたのは、スーツ姿も板についていない新入社員のナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)。彼女はクレイグに対して、解雇宣告業務に新たなシステムを提言して関心を買い、この会社に飛び込んできたのだ。
ナタリーの示した新システムとは、解雇通告業務のネットワーク化。通知時に手渡す資料を各地に郵送して、ビデオチャットを経由して従業員に通達する。そうすれば、出張費用を大幅に削減でき、業績拡大に繋がるというのだ。
ライアンは動揺する。解雇通告する対象であっても、相手が人間である以上、チャットでの通知は非礼に当たる。――それに、会社の椅子はおろか自宅のベッドさえ暖める暇のない生活を続けたことで、ライアンの貯めたマイレージは間もなく1000万に達しようとしていた。出張なしの生活に戻ることなど、ライアンには考えられなかった。
必死に訴えるライアンに、クレイグはさらに驚くべき提案を持ちかける。それなら、解雇告知の作法を学ばせるために、当面ナタリーを出張に同行させろ、というのである……
[感想]
観終わったとき、実に風変わりな印象を抱く作品である。
この結末は、ある意味で“投げっぱなし”に等しい。多くの出来事を経たはずなのに、終わってみれば元の木阿弥、という顛末だ。釈然としない気分に陥る人もいると思う。
だが、それでいて救われたような気分になる人も、決して少なくないはずだ。ハッピーエンドとは言い難い、何かやるせない、と感じながら、不思議と気持ちは軽くなっている。
それはジョージ・クルーニー演じる主人公ライアンの人物像と作品の主題が紡ぎあげる、一風変わった効能であろう。ライアンは、容姿も立ち居振る舞いも、知性においても隙を感じさせない。そのうえ、天職ともいえる仕事は、ここ数年来の不況によってむしろ順調だ。休む間もなくアメリカ全土を飛行機で渡り歩く姿は、理想の人生を生きている、ように映る。
まして彼の仕事は、人生のどん底にいる人々と相対するものだ。ライアンに解雇を通告された人々のひとりが、「会社をクビになるストレスは家族の死に匹敵するというが、実際は違う。クビになるというのは、自分の死だ」と語っている。まさに己の人生の終焉を目の当たりにしている、という感のある人々を前にすると、ライアンはあまりに恵まれており、ひいてはそんな犠牲者たちの苦しみを食んで贅沢に暮らす、悪党とも映る。アナ・ケンドリック演じる新入社員ナタリーの提言によって、出張でマイレージを稼ぐ、という趣味を奪われそうになって懸命に抗弁する姿に、溜飲を下げた人もいるだろう。
しかし、観ている人もライアンも、物語を追ううちに気づく。何かが足りない、と。満たされているし、天職と言っても過言ではない仕事に就いていて遣り甲斐も感じている――そのことは、ナタリーを帯同しての出張を観ているうちに観客でさえも理解していくが、それでも何かが決定的に欠けている。
物語はライアンに、世間の多くの人が持っているのに、彼自身が持てずにいたものを、否応もなく自覚させるように展開していく。皮肉なのは、成り行きとは言い条、ライアンが仕事を通して育ててきた自らの話術が、最終的に彼を追い込んでいることである。妹の結婚相手・ビルを説得する場面で見せる、いつも通りにチャーミングなジョージ・クルーニーの笑顔が、微かに泣き笑いのように映るのはきっと錯覚ではないと思う。
ストーリー展開に用いられる要素のほとんどはあまり意外ではない。あの人にはこういう背景がありそうだ、とか、この人物はこういう行動に及んでこの人に影響を及ぼすに違いない、と予想するとだいたい的中するほどシンプルだ。
だが、それらの要素を活用する術、提示するタイミングが完璧なのである。ひとつひとつが不可避に繋がりあって、ライアンをある心境へと至らせ、かつては想像もしなかったような行為に及ばせ、彼を打ちのめす。
本篇の描写を振り返ると、実はライアンという人物が本質的にかなり純粋なのではないか、と思えてくる。ウイットに富んで、シニカルな物言いもするが、自らが手にした技能や暮らしに疑問を抱かず生きてきたこの男の根っこは案外、まっさらなのだ。だからこそ、観る者によってはあっさり察せられてしまうような罠に、簡単にハマってしまう。種類は違うが、違うからこそ、ある意味でライアンは、彼が解雇を通告する人々よりも不幸だ、とも言える。彼の不運や苦しみを共有できる人は、非常に稀なのだから。
そこまで理解したとき、多くの観客は、肩の荷が下りたような感覚を味わうはずだ。たいていの人は、彼よりもある意味で恵まれているのである。
そのことを観客が理解したところで、ライアンはかつてと同じ生活を取り戻す。多くの登場人物に加え、観客の抱えていた重荷さえも引き受けて、ふたたび空を往来する暮らしに戻っていくライアンの佇まいは、まるで傷だらけになった天使のようだ。だから、最後の彼の後ろ姿に、観客は悲哀と同時に、救われたような感覚を覚える。
――そう考えると、なんて切ない話だろう。そして、彼と似たような境遇にあったり、少しでも共鳴する点のある人にとって、こんなに痛い作品も滅多にない。
関連作品:
『JUNO/ジュノ』
『フィクサー』
『エスター』
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