『劔岳 点の記』

『劔岳 点の記』

原作:新田次郎(文春文庫・刊) / 監督・撮影:木村大作 / 脚本:木村大作、菊地淳夫、宮村敏正 / 製作:坂上順、亀山千広 / プロデューサー:菊地淳夫、長坂勉、角田朝雄、松崎薫、稲葉直人 / 照明:川辺隆之 / 美術:福澤勝広、若松孝市 / 装飾:佐原敦史 / 編集:板垣恵一 / 衣装:宮本まさ江 / 音響効果:佐々木英世 / 音楽プロデューサー:津島玄一 / 音楽監督池辺晋一郎 / 出演:浅野忠信香川照之松田龍平モロ師岡螢雪次朗、仁科貴、蟹江一平仲村トオル小市慢太郎、安藤彰則、橋本一郎本田大輔宮崎あおい小澤征悦新井浩文鈴木砂羽笹野高史石橋蓮司、冨岡弘、田中要次、谷口高史、藤原美子、タモト清嵐、藤原寛太郎、藤原彦次郎、藤原謙三郎、前田優次、市山貴章、國村隼、井川比佐志、夏八木勲役所広司 / 配給:東映

2008年日本作品 / 上映時間:2時間19分

2009年6月20日日本公開

公式サイト : http://www.tsurugidake.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/06/20)



[粗筋]

 日露戦争終結直後の1906年日本陸軍参謀本部陸地測量部の一級測量手柴崎芳太郎(浅野忠信)は少将大久保徳昭(笹野高史)らの前に喚び出され、ある命令を受けた。

 戦時に備える意味からも徹底して進められていた日本地図の作成だが、この時点でまだ1箇所、白紙の状態のまま残されている土地が存在した。立山連峰に属する山、劔岳である。まるで地獄の針山のように切り立った峻険な山容はこれまで一切人を寄せ付けず、それ故に地元の信仰の対象ともなっている。測量部でも登頂を試みた記録があるが、未だに達成した者はいない。

 この頃、日本では調査目的でも信仰目的でもない、趣味のために山を登る人々が日本山岳会を立ち上げていた。彼らは栄誉のために劔岳登頂を考えており、柴崎が呼び出されたまさにその直前、代表の小島烏水(仲村トオル)が資料を求めて参謀本部を訪ねていたという。

 神聖な仕事の一環として山を攻略する測量部にとって、趣味で山登りをするような素人に先を越されては沽券にかかわる。玉井要人大尉(小澤征悦)らの肝煎りで、柴崎はこの重要な任務の責任者に選ばれたのだ。

 柴崎は記録に当たり、かつて剣岳登頂を試みた前任者である古田盛作(役所広司)に助言を求める。既に測量部を退いた古田であったが、快く過去の経験を柴崎に語り、そして現地を訪れた際の案内人として、自分自身もかつて世話になった宇治長次郎(香川照之)という人物を推薦する。

 同年、雪が降り始める前に柴崎は下見のために立山連峰に赴いた。長次郎のもとに身を寄せると、翌年に予定している本番の剣岳登頂に必要な人員を借り受けるべく、かねてより測量部と交流のあった芦峅寺の総代・佐伯永丸(井川比佐志)に面会する。しかし、佐伯の返事は、「物資の調達は行うが、人手は貸せない」というつれないものであった。

 長次郎を伴っての下見では、どれほど巡っても劔岳攻略への切り口は見いだせない。地元の抵抗と劔岳そのものの険しさに曙光も差さないまま、翌年春、柴崎は同僚とともにふたたび現地へと向かった……

[感想]

 この前日に鑑賞した『愛を読むひと』と同様、予め原作を読んだうえで鑑賞したのだが、生憎こちらの原作は、私にはあまり評価できなかった。実際の記録にあたり、行間を推理や想像で埋めて小説の形に仕立てていった、という手法の作品だが、いまいちダイナミズムが感じきれなかったことと、文体が少々合わなかったことが原因と思われる。

 だが、読んだことで映画に対する期待は却って募った。もともと本篇が、カメラマンとして『八甲田山』などの名作に携わっていた木村大作が自ら企画、空撮もCGもなしでスタッフ自らが現地に機材を持ち込み、キャスト共々登場人物と同様に繰り返し山中に分け入って撮った作品である、という話を知っていたのである。文章では伝わりにくい、と感じた部分も、そうして偽りなしに撮った映像であれば、遥かに説得力を増す。何よりも、測量隊が挑んだ大自然をスクリーンで観られる、というのがとても楽しみに感じられたのだ。

 かくて期待に期待を上乗せして膨らませて、私にとっては今年に入って延べ100本目という節目に敢えて選んでまで観に行った本篇は、そこまで肥大化した期待にきっちりと応えてくれた。

 内容云々よりも、まずこういった映像をひとつひとつ築きあげていった、その弛まぬ努力に頭が下がる。大自然の美しさにも、それを捉える構図の見事さにも胸を打たれるが、そもそもその構図を得るために、空撮もCGも封じられた中でどんな工夫が必要だったか、を想像すると、特にそう感じるはずだ。遠い尾根を歩いていく一団の姿であるとか、雲海を下に望みながら夕陽を見つめている男たちの姿であるとか、そうした美しい絵にしてもそうだが、とりわけ解り易いのは根雪に覆われた渓谷を進んでいくワンシーンだ。あまりに構図として決まっているので観逃してしまうかも知れないが、あの場面は明らかにカメラが大きなクレヴァスの中に入っている。どんな風にカメラを据えて構えたのか、その様子を想像するだけで、怖気さえ震ってくる。

 率直に言えば、物語として眺めたとき、台詞の組み立てや使いどころはあまり巧いとは感じなかった。映像や、過酷な旅に出る人々の心情を汲み取ることに重点を置いているために全般に抑え加減にしてあるのはいいのだが、それでもところどころ喋りすぎている印象は否めない。モノローグにしても、柴崎のみならず先達の古田に山岳会の小島まで喋らせているので、どうも散漫になったきらいがある。

 ただ、この点については言うほど欠点とは感じなかった。ちゃんと抑制を利かせていること以外にも、たとえば本番の測量に赴く直前の測量部にて、本筋の会話と背景で進んでいる会話とを不意に絡めることで、現場の雰囲気にリアリティを添えていたりと、工夫の痕跡が窺える。全般に、本筋とは関係のない会話もある程度内容が分かるように響かせることで、臨場感を演出しているのはなかなかのアイディアと言えるだろう。こと、物語としての詳細よりも現場の雰囲気をこそ重視した本篇にとっては効果的な手法だった。

 実際、引っ掛かったのは台詞の内容くらいのもので、あとはまったく文句がない。ひたすら圧倒されっぱなしの2時間19分であった。

 映像が伝える状況の過酷さが真実味に富んでいるので、登場人物たちの表情、言葉にいっそうの説得力が備わっている。最も露出の多い浅野忠信香川照之を筆頭に、メインキャストはこれほど過酷な条件を前提にしたものとしては驚くほどに名優揃いなのだが、あの峻険な山容に激しい吹雪の場面などを見ると、実際にあの状況に直面すれば誰でもあんな表情をするだろう、と頷かされる。

 パンフレットに因れば、撮りやすいシーンから撮影せず、敢えて物語の順に添って撮影したそうで、これも実感を持った演技にひと役買っているようだ。映画の中で、山岳会のメンバーの一人が膝の古傷を再発させて下山するひと幕があるが、これなどは原作にはないシーンで、実際に山岳会のメンバーを演じる俳優が膝を傷めたために急遽こういうくだりを挿入したのだという。「畜生」という小声の呟きにも備わる説得力は、こういうところから来たわけだ。

 必ずしも話運び自体は洗練されていない。しかし、そうした過酷な状況を、丹念に裏打ちした映像と演技によって再現することで、面子にこだわる軍上層部の愚かさや、はじめのうちこそ功名心に逸っていた測量部の若手・生田信(松田龍平)が現地の案内人たちの誠実さに少しずつ敬意を表していく様、そしてもともとは初登頂を競っていたはずの山岳会との関係がじわじわと変化していく成り行きに、これ以上ないほどの真実味が加えられている。ラスト、別々の測量点にいる状況で行われるやり取りはいささか臭くさえあるのだが、あの“苦行”を乗り越えたあとだから、まっすぐな感動に繋がる。

 映像の質といい臨場感といい、劇場で観てこそ価値のある映画である。VFXを駆使し、あり得ない映像を大迫力に演出した娯楽作品も私は好むが、こういう気骨のある映画を撮る人々が未だ日本にいるということを心から喜び、敬意を表したい。

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