原題:“Man on Wire” / 原作:フィリップ・プティ自伝『To Reach the Clouds』 / 監督:ジェームズ・マーシュ / 製作:サイモン・チン / エグゼクティヴ・プロデューサー:ジョナサン・ヒース / 共同プロデューサー:モーリーン・A・ライアン、ヴィクトリア・グレゴリー / 撮影:イゴール・マルティノヴィッチ / 編集:ジンクス・ゴッドフリー / 音楽:マイケル・ナイマン、ジョシュア・ラルフ / 出演:フィリップ・プティ、ジャン=ルイ・ブロンデュー、アニー・アリックス、ジム・ムーア、マーク・ルイス、ジャン=フランソワ・ヘッケル、バリー・グリーンハウス、デヴィッド・フォアマン、アラン・ウェルナー / ウォール・トゥ・ウォール製作 / 配給:エスパース・サロウ
2008年イギリス作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:?
2009年6月13日日本公開
公式サイト : http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/
[粗筋]
1974年8月7日、奇しくもリチャード・ニクソン大統領が辞任を発表する前日のニューヨークが騒然となった。当時世界最大の高さを誇ったワールド・トレード・センターの2つのタワーのあいだにワイヤーを渡し、その上をバランス保持用の棒のみを構えた男が、命綱もなしに歩いていたのである。
大胆不敵なこの行動には、しかし非常に周到な準備が必要だった。警備の厳しい両タワーの屋上まで、どうやって機材を持ち込むのか? 重いワイヤーを、どうやって反対側のタワーまで到達させたのか?
その男――フィリップ・プティがこの計画を思いついたのは、まだWTCが建造を開始したばかりの頃。当時、彼はまだ10代半ばの少年だった。学校や権力に馴染めず、ジャグリングにのめりこむようになっていた少年は、雑誌に掲載された雲突く塔の完成予想図を見るなり、その屋上を繋ぐ綱を夢想したのである。
フィリップが初めて違法行為に及んだのは1971年の6月だった。ノートルダム寺院、厳かに儀式が執り行われるその頭上で、プティは宙を渡ったのだ。フランス国内での関心は低かったが、1年近く周到に準備を重ね、予期していた通りの成果を収めたことで、フィリップは自信を得る。続いてフィリップはオーストラリアに渡り、シドニー・ハーバー・ブリッジ北側の塔での綱渡りを成功させた。
そして遂に、未だ建造が続いているWTCへ下見に赴いたフィリップであったが、いざ現地に着き、2つの摩天楼を見上げたとき、彼の心に去来したのは絶望であった。「不可能だ」
だがそれでも、フィリップはタワーの傍に拠点を構え、調査を重ねる。ニューヨークの空を歩く、ほんの数分間のために彼と協力者は、2年以上の月日を費やしたのだ――
[感想]
この、世間の耳目を集めた“犯行”によって一躍時の人となったフィリップ・プティは、ゲリラ的なパフォーマンスを展開することはなくなり、企業や公的機関からの依頼で公式に“綱渡り”を行うようになったそうだ。
だが映画のなかでは、そんな“主人公”ののちの活躍についてはほとんど言及していない。本篇はあくまで、プティが大きな目標としてきたWTCでの綱渡りを、如何にして準備を重ね実現していったか、ということに絞り込んで証言を抽出している。恐らく、インタビューを受けた関係者のなかには、もっと率直に、複雑な胸中を語った人もいたはずだ。実際、そういう印象を与えるくらいに、本篇はかなりリアルな証言を拾っている。
のちに賞賛を得ることになるとしても、実行に移す段階でそんなことを承知していた者も、期待していた者もいない。
もともと社会に馴染めず、強い反骨精神の持ち主であったプティはともかく、彼の周囲にいた人間は、必ずしもこの計画に前向きではなかった。当時の恋人アニーは内心で賛成はしていなかったが献身的な胸中でプティを支え、幼馴染みのジャン=ルイは彼を死なせたくない一心で、万全な計画を練ることに手を貸している。このふたり以外の、頭数として加えられたメンバーや、半ば面白半分で協力した者のなかには、実行のさなかに怖じ気づいて手を引いた者もある。
政治的な意味合いは皆無、違法行為であることも予め承知しているうえ、もしかしたらプティだけでなく己の命に関わるかも知れない、という恐怖を覚えてしまえば、退きたくなるのも道理なのだ。そういう止むに止まれぬ経緯を、決して責めるような論調にせず、自然に語っているあたり、製作者たちの踏み込みの巧さを感じる。
長篇ドキュメンタリー映画は、ストーリーを構成しづらいためにいまひとつ観客の関心を保ちきれず、どうしても退屈な印象を与えがちな欠点があるが、本篇はWTCでの綱渡りの計画実行当日の模様を語る一方で、プティがジャグリングに開眼し大それた計画を少しずつ現実のものにしていった過程を並行して辿ることで牽引力のある物語を構築、実行中に警備員の目から如何にして逃れるか、また危険な場所での作業に予想外のトラブルが起きたり、といったサスペンス的な部分をきっちり拾うことで、ドラマティックな興奮を齎すことにも成功している。ただそれでも、基本的な素材はインタビュー映像ばかりであり、残念ながら肝心の綱渡りの場面は静止画しか残っていなかったりと、映像面でのインパクトが乏しいので、次第に単調に感じられるのは否めないが、それでも一般的なドキュメンタリーよりは遥かに惹きつける力がある。
そして“物語”は、世間の賞賛を浴びた事実とは裏腹に、当事者たちを襲った哀しい現実を仄めかしながらも、不思議と清々しい余韻を残して幕を下ろす。製作者の繊細な配慮に基づく素材の取捨選択と、実行から30年以上を経過して、記憶が純化されたから、という部分もあるのだろう、彼らの語る表情に屈託がないのが理由かも知れない。
たとえあとに不幸な成り行きがあったとしても、達成したという事実は決して消えない、消すことは出来ない。そのシンプルな真実をそっと差し出してくる本篇は、だからこそ観たあとで不思議と力づけられたような感覚を齎してくれるのだろう。プティたちの“史上最も美しい犯罪”もさることなから、本篇そのものも唯一無二の存在感を示している。
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