『ザ・スピリット』

『ザ・スピリット』

原題:“The Spirit” / 原案コミック・ブック・シリーズ:ウィル・アイズナー / 監督・脚本:フランク・ミラー / 製作:デボラ・デル・プレト、ジジ・プリッツカー、マイケル・E・ウスラン / 製作総指揮:ベンジャミン・メルニカー、スティーヴン・メイヤー、ウィリアム・リシャック、マイケル・パセオネック、マイケル・バーンズ / 撮影監督:ビル・ポープ,A.S.C. / 視覚効果スーパーヴァイザー:スチュー・マシュウィッツ、ナンシー・セント・ジョン / 美術:ロザリオ・プロヴェンザ / 編集:グレゴリー・ナスバウム / 衣装:マイケル・デニソン / 音楽:デヴィッド・ニューマン / 出演:ガブリエル・マクトサミュエル・L・ジャクソンエヴァ・メンデススカーレット・ヨハンソンサラ・ポールソン、ダン・ローリア、パス・ヴェガ、スタナ・カティック、ルイス・ロンバルディ / オッド・ロット・エンタテインメント/ライオンズ・ゲート製作 / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:林完治

2009年6月6日日本公開

公式サイト : http://www.thespirit.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/06/06)



[粗筋]

 セントラル・シティにはひとりの、覆面をしたヒーローが存在する。彼の名は、スピリット(ガブリエル・マクト)――かつてはデニー・コルトという新米警官に過ぎなかったが、捜査中に殺害され、いちど埋葬されたのちに何故か蘇生、同時に驚異的な回復力を手に入れた。以来、かつての同僚たちを影から手助けし、街の悪党退治に昼夜の別なく力を注いでいる。

 英雄だが女たらしの気のあるスピリットにとって女性関係は常に悩みの種だったが、それ以上に彼を悩ませていたのはオクトパス(サミュエル・L・ジャクソン)の存在である。美しき参謀シルケン・フロス(スカーレット・ヨハンソン)とクローン精製の部下フォボス(ルイス・ロンバルディ)たちを使い、セントラル・シティの裏社会に君臨するこの男は、スピリット同様に不死身の肉体を持ち、まるで退屈を紛らわせるようにスピリットとの格闘を楽しんでいた。

 その晩、刑事から極秘の連絡を受けたスピリットが川岸に駆けつけると、そこには殺害された警官と、瀕死の重傷を負った刑事、そしてオクトパスたちがいた。何らかの取引をしていたらしいオクトパスはスピリットを散々翻弄した挙句に、そろそろこの腐れ縁に決着をつける、といったことを仄めかして去っていく。瀕死の状態の刑事から事情を聞くと、彼はオクトパスに銃撃される直前、ある女と出逢ったことをスピリットに告げ、彼女の首からもぎ取ったネックレスを託す。

 スピリットは、そのネックレスに心当たりがあった。幼い頃、初めての恋人に、なけなしのお金をはたいて捧げたプレゼントだった。不幸な出来事が原因で別れ、この町を去っていった少女。オクトパスの取引に、彼女が絡んでいたというのか。警官を殺害したのは彼女なのか。そんなはずはない、彼女が人を殺すはずはない――動揺しながら、彼は真相を究明するべく動きはじめた。

 成長し、美しく高価なものを求めて裏社会を暗躍する女怪盗サンド・サレフ(エヴァ・メンデス)となったスピリット=デニー・コルトの最初の恋人は、忌まわしい記憶のあるセントラル・シティで、オクトパスを相手にいったい何を取引していたのか。スピリットの不死身の肉体についての秘密を握っているらしいオクトパスを交えて、三者の奇妙な駆け引きが始まる……

[感想]

 コミック・ブックのクリエイターとして熱狂的な信者の多いフランク・ミラーは、自身の作品の映画化について苦い記憶があったことから、長年映画業界とは距離を置いていたが、やはり熱烈なファンであったロバート・ロドリゲスに説得される形で『シン・シティ』に共同監督として参加して以来、積極的に映画制作に携わるようになったらしい。ザック・スナイダー監督が見事に映像化した『300<スリー・ハンドレッド>』でも製作総指揮に名前を連ね、現在は『シン・シティ2』制作開始の噂も流れるなかで、初めて単独名義の監督作品として登場したのが本篇である。

 本篇はフランク・ミラー自身の原作に基づくものではなく、アメリカのコミック・ブックに多大な影響を齎した伝説的作家ウィル・アイズナーの作品を下敷きとしている。フランク・ミラーが師と仰いでいる人物の作品であるだけに、『シン・シティ』や『300』で基礎を築いた、コミック風の独特な作画がぴったりと嵌っており、これらの作品の美術に惚れ込んだ人であれば、オープニングから惚れ惚れとすることだろう。

 ただ、ストーリーの方向性まで一緒だと信じこんでいると、物足りない思いをするはずだ。シニカルな世界観、個性的なキャラクター造型といった作品世界の組み立ては一致していても、本篇は先に挙げた作品に見られる重々しいまでのシリアスさ、惚れ惚れとするような格好良さ、ストーリー構成の巧みさなどは見受けられない。

 冒頭こそ、スピリットの立ち位置を示すナレーションに、赤一色だけが鮮烈なパートカラーの映像、続くシリアスな成り行きに身の引き締まる思いがするが、直後のスピリットとオクトパスの際限のないどつき合いから様子がおかしくなってくる。オクトパスの同じ顔ばかりの部下連中に、スピリットの生前の恋人との情けないやり取り、果てはオクトパスが何故か日本風の装いをして、部下たちに八つ当たりをするくだりなど、緩いコントのような場面が続き、格好良さを期待していた人は恐らく呆気に取られるだろう。

 ストーリーのほうも微妙な印象だ。いちおうスピリットたちの側からしてみればオクトパスやサンド・サレフが何を目論んで動いているのかは謎めいて映るが、蓋を開けてみると大した仕掛けは用意していない。いずれも行動原理は非常にシンプルで、本質的に何も隠そうとしていないのだから当然だが、三者が絡むことで生じる複雑な駆け引きというのもなければ、クライマックスがあの場所、あの状況でなければならなかった必然性も作りだされていない。

 いちばんの問題は、テンポの悪さである。アメリカの漫画には、大人向けのシリアスな展開、成熟した台詞回しを駆使した作品に“グラフィック・ノベル”という呼称が存在しているくらいで、非常にテキストが多い傾向がある。今年日本で公開され好評を博した『ウォッチメン』も、原作は全体に文章が多く、作中人物の自伝や研究報告をそのまま掲載しているパートがあるほどだ。フランク・ミラーにしても、『シン・シティ』は全篇に挿入されたナレーションがひとつの雰囲気を構築しているほどで、台詞が長い傾向があるのだろう。別の監督が関わっていた他の作品では抑えられていたその傾向が、単独監督になったことで露呈したように思われる。冒頭のナレーションはまだしも、スピリットの独白やクライマックス間際でのオクトパスの演説あたりは、エピソードの量に対して少々尺を割きすぎているようだ。コミックでなら行数を増やしたり、テキスト自体を絵に組み込んでしまったり、という具合に応用を利かせることも可能だろうが、映画でそのまま台詞を流しこむと、バランスを崩してしまう。ストーリーそのものの牽引力も落ちているぶん、その欠点が如実に浮き彫りになってしまったようだ。

 しかし、それでも色彩を絞り込んだ絵画的な映像、個性的なキャラクター造型が醸成する魅力は相変わらず強烈だ。色香で誘い込んだ男が死んでもあっさりと状況を受け入れる一方で、どこか純情さを留めているサンド・サレフ。目的のために手段を選ばず、殺人もドラッグによる汚染も嬉々としてやり遂げるが、その代わり目的にさほど重要でないもの――貴金属の類には関心を示さない、妙に筋の通ったところも見せるオクトパス。だが何と言っても、ヒーローとしての高潔さを感じさせながらどうしようもない女たらしで、実はこの物語のきっかけも、彼を窮地に陥れるのも、一転して彼を救うのも、その女癖の悪さなのだから、ある意味徹底している。憎まれ口を叩きながらも誰よりもスピリットを理解し気遣うスピリットの元上司ドーラン(ダン・ローリア)と、その娘で外科医で現在進行形の恋人エレン(サラ・ポールソン)との奇妙な関係性も、ニヤリとさせるものがある。

シン・シティ』のような構成美、『300』のような熱いカタルシスには乏しいものの、そのぶんコミック原作ならではのキャラクターの魅力と、テンポを損ねているとは言い条洒落ていてウイットの利いた台詞回し、そして圧倒的な映像美の横溢した、いい意味で個性的な作品である。『シン・シティ』や『300』の毒や男臭さが苦手という人には、むしろバランスのいい仕上がりかも知れない。

関連作品:

シン・シティ

300<スリー・ハンドレッド>

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