『ジョーカー(字幕・DOLBY CINEMA)』

丸の内ピカデリー DOLBY CINEMAスクリーン、階段下の通路部分にあしらわれた劇中イメージ風景。丸の内ピカデリー、チケット売り場前の柱にあしらわれたキーヴィジュアル。

原題:“Joker” / 監督:トッド・フィリップス / 脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー / 製作:トッド・フィリップスブラッドリー・クーパー、エマ・ディリンジャー・コスコフ / 製作総指揮:リチャード・バラッタ、ブルース・バーマン、ジェイソン・クロス、ジョセフ・ガーナー、アーロン・L・ギルバート、ウォルター・ハマダ、マイケル・E・ウスラン / 共同製作:デヴィッド・ウェブ / 撮影監督:ローレンス・シャー / プロダクション・デザイナー:マーク・フリードバーグ / 編集:ジェフ・グロス / 衣装:マーク・ブリッジス / 音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル / 出演:ホアキン・フェニックスロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ブレット・カレン、シェー・ウィガム、ビル・キャンプ、グレン・フライシャー、リー・ギル / ジョイント・エフォート製作 / 配給:Warner Bros.

2019年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:アンゼたかし / R15+

2019年10月4日日本公開

公式サイト : http://jokermovie.jp/

丸の内ピカデリーにて初見(2019/10/05)



[粗筋]

 ゴッサム・シティは静かに腐敗していた。衛生局のストライキにより放置されたゴミが悪臭を放ち、耐久力のあるネズミが繁殖している。そして、富裕層による富の収奪に、貧困層の不満は日増しに鬱積しつつあった。

 幼少の頃からこの街で生まれ育ったアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ピエロの大道芸人として生計を立てていた。コメディアンになることを夢見て、日々ノートにネタを書きためている。だが、病弱な母ペニーの看病に加え、脳の障害により突然笑いだす症状を抱えたアーサーにとって、コメディアンになることは容易ではなかった。

 その日、アーサーは楽器店の閉店セールの宣伝として、看板を回して人目を惹いていたが、その看板を不良どもに奪われてしまう。必死に追いかけるものの、袋叩きに遭い、看板も壊されてしまった。だが、雇い主はアーサーの弁解を信用せず、取引先の看板を紛失した、とアーサーを詰る。

 そんなアーサーに同僚のランドルは、護身用に携帯しろ、と一挺の拳銃を押しつけた。気乗りはしなかったアーサーだが、悪化する治安への恐怖もあって、仕事中も身につけていた。しかし、小児病棟での営業のさなかに懐から銃を落としてしまう。電話口で必死に謝罪したが、雇い主は受け入れず、アーサーは解雇されてしまった。

 ピエロの扮装のまま地下鉄に乗ったアーサーは、泥酔した3人のビジネスマンが、女性に絡むのを目撃する。気づけばアーサーは笑っていた。ビジネスマンたちの関心はアーサーに移り、やがて手を上げてきた彼らに向かって、アーサーは発砲した。ふたりを車内で射殺し、残る1人をホームで追いつめ、蜂の巣にした。

 この事件はゴッサム・シティに、アーサーが想像もしなかった影響を及ぼす。かねてから富裕層への不満を燻らせていた貧困層は、地下鉄に現れたピエロ姿の殺人犯を“私刑人”と捉え、次第に反逆の象徴にしはじめた。

 職を失ったアーサーは、意を決し、地元のナイトクラブで初のステージを踏んだ。笑いの発作に襲われ、お世辞にも出来のいい演技は出来なかったが、それはまた、アーサーの想像もしない事態へと結びついていった――

[感想]

 世界的に最も有名なヴィラン=悪役をリストアップするなら、本篇の題材であるジョーカーは確実に挙がるだろう。だが、アメコミの多くが長年、多数の作家によって書き継がれ、時代によって設定の変遷があるが故に、ジョーカーの設定も決して一貫はしていないらしい。そんななかでも、印象の強い特徴、際立った特質は幾つか存在する。本篇は、そうした特徴の幾つかに焦点をあて、どのように“ジョーカー”が形成されていったのか、を描いた作品である。

 この物語における、やがてジョーカーとなる男アーサー・フレックは、登場した段階で悪人ではない。

 悪人ではない、と書いたが、厳密には、悪人にすらなれなかった男なのだ。当初の彼は、病身の母を支えて生活するのが精一杯で、憧れているコメディアンへの道を突き進むことも出来ない。商売道具を奪われても追いかけるのが精一杯で、打擲されても抵抗も出来ない。決してただお人好しなだけではなく、言動に危うさは見え隠れするが、ほんの少し状況が違えば、それなりに平凡な人生を送ることぐらいは可能だったかも知れない。そう思えるほど、本篇における日常の点綴から窺えるこの男の素顔は、良くも悪くも凡庸なのだ。しかし、現実はそんな彼を着実に“狂気”へと駆り立てていく。

 もちろん、誰もがこの男のような変遷を辿るわけではないだろう。不意に笑いだしてしまう発作など誰もが持っているわけではないし、やがて彼が知ることになるバックボーンは、やはり特異なものだと言わざるを得ない。なるべくして“ジョーカー”になる男であるのも間違いない。

 しかし、彼を逸脱させていく経緯には逃れられないものが多く、それ故に随所で発露する感情、衝動に同情し、共感を誘われてしまう。しばしば立ち現れる“事実”に、観客はアーサーと同様の驚き、感情の変化を経験し、同調し、しまいには一種のカタルシスさえ味わい、そしてそんな己に慄然とするはずだ。

 興味深いことに、本篇は冒頭から境遇故に激しい抑圧を受けているアーサーだが、あのスクリーンが歓喜で彩られんばかりのクライマックスを経ても、決して彼は本質的に解放はされていない。物語を読み解いていけば、アーサーは終盤の行動により解き放たれたかのように見えてその実、けっきょくは抗いがたい現実によって動かされ、そして同様に抑圧された多くのひとびとの要求によって“起こされている”のである――アーサーは決して自ら望んで“ジョーカー”になったわけではなく、いわば祭りあげられて成ったのだ。

 しかもアーサーは、そうしていわば“踊らされて”ピエロとなった己を受容し、それによって“ジョーカー”として完全に覚醒する。エピローグにおいて、冒頭での鬱屈を覗かせながらも、その状況を楽しんでいるようにすら映るアーサーは、メイクをしていないにも拘わらず“ジョーカー”にしか見えない。

 決してアーサーは、普通の人間とは言えない。その境遇と、持って生まれた個性とが、社会により熟成された結果、彼は最悪のヴィランとなった。だがそれでも、本篇の語り口はあまりにも親しみやすく、観る者を共感させてしまう説得力がある。だからこんなにも面白く、恐ろしいのだ。

 本篇の監督トッド・フィリップスは『ハングオーバー!』シリーズを大ヒットさせた、コメディの旗手として知られている。そんな彼が本篇のようなダークな作品を自ら企画に携わり完成させた、というと不思議に思えるが、むしろコメディに通じた監督だからこそ、本篇に相応しかったのだろう。何故なら、笑うことも笑われることも、その背後には抑圧や悪意が秘められている。本篇は、捉えようによってはコメディにも転化しうる出来事や描写をちりばめ、その発想、趣向に潜む闇を意識的に剥き出しにして突きつけるような構造となっているのだ。

 冒頭で見せるアーサーの哀切な“笑顔”と、すべての出来事を経てエピローグで浮かべる“笑顔”とは、その意味合いも本質も異なるはずなのに、しかし思い返してみると、何処か似通った雰囲気がある。そこに1本、太い芯が通っていることこそ、本篇の凄味、怖さを何より象徴しているように思う。アメコミの世界観が多くの人々に受け入れられ、無数のヒーロー譚が生み出されたいまの時代と、ホアキン・フェニックスという異端の名優が揃ったからこそ作り得た、稀有な傑作である。

 世界中で賛否両論を引き起こしつつも大ヒットを遂げた本篇は、現在、原作の権利を持つDCにて展開する、複数のヒーローが同一の世界で活躍するシリーズ“DCエクステンデッド・ユニヴァース”には組み込まれない、という前提になっている。実際、“DCEU”には既にジャレッド・レトが演じるジョーカーが登場しているが、年齢にしてもキャラクター性にしても、本篇で描かれるジョーカーとは一致しておらず、内容的にも繋がっていく印象はない。

 だが、近年のDC作品でも記録的なヒットとなったことで、ホアキン・フェニックスによるジョーカーを続投させる、という計画が持ち上がっているようだ。現時点では未だ確定はしていないが、もし仮に続篇が作られるとするなら、興味深いのは、ジョーカーと表裏一体にあるもの――バットマンの存在である。

 ジョーカーというヴィランの成立を中心に据えた本篇であるが、そのキャラクターが生み出されたのが“バットマン”のいる世界であり、“バットマン”なくして成立しない、という大前提は踏まえている。本篇においてジョーカーが誕生するその瞬間に、“バットマン”の萌芽も描かれているのだ。もし続篇が作られるとするなら、この事実を無視することはもちろん、軽視することも出来ないだろう。

 本篇は本篇のみで特筆すべき傑作に仕上がっている。だが、もしふたたびホアキン・フェニックスによるジョーカーが描かれるとすれば、人間に潜む“悪”と“善”とをより深く掘り下げる作品となるに違いない。

関連作品:

ダークナイト』/『スーサイド・スクワッド

スタスキー&ハッチ』/『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』/『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』/『ハングオーバー!!! 最後の反省会』/『デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~』/『8 Mile

容疑者、ホアキン・フェニックス』/『ザ・マスター』/『アメリカン・ハッスル』/『デッドプール2』/『ウィッカーマン』/『ロスト・バケーション』/『キングコング:髑髏島の巨神』/『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

タクシードライバー』/『エンゼル・ハート(1987)』/『ノーカントリー』/『クロニクル』/『ヴェノム

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