原題:“Rush” / 監督:ロン・ハワード / 脚本:ピーター・モーガン / 製作:アンドリュー・イートン、エリック・フェルナー、ブライアン・オリヴァー、ピーター・モーガン、ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード / 製作総指揮:ガイ・イースト、ナイジェル・シンクレア、トビン・アームブラスト、ティム・ビーヴァン、タイラー・トンプソン、トッド・ハロウェル / 共同製作:アニータ・オーヴァーランド、ジム・ハジコスタ、イェンス・メウラー、ダニエル・ヘッツァー、カイ・ニーセン / 撮影監督:アンソニー・ドッド・マントル,ASC,BSC,BFF / プロダクション・デザイナー:マーク・ディグビー / 編集:ダン・ハンリー,A.C.E.、マイク・ヒル,A.C.E. / 衣装:ジュリアン・デイ / キャスティング:ニナ・ゴールド / 音楽:ハンス・ジマー / 出演:クリス・ヘムズワース、ダニエル・ブリュール、オリヴィア・ワイルド、アレクサンドラ・マリア・ララ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、クリスチャン・マッケイ、デヴィッド・コールダー、ナタリー・ドーマー、スティーヴン・マンガン、アリステア・ペトリ、ジュリアン・リンド=タット、コリン・スティントン / 配給:GAGA
2013年アメリカ作品 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:佐藤恵子 / PG12
2014年2月7日日本公開
公式サイト : http://rush.gaga.ne.jp/
TOHOシネマズ渋谷にて初見(2014/02/14)
[粗筋]
ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)はオーストリアの裕福な実業家の血筋に生まれた。当然のように彼も実業家としての道を歩むか、と捉えられていたが、しかし自身に商才がないことを悟った彼は、家を飛び出し、レーサーになることを決意する。金銭的支援が期待出来ないなか、自ら銀行からの融資を受け、それを元手にしてチームに乗り込んでいく。ドライヴィング・テクニックのみならず、メカニックのセンスにも優れていたラウダは瞬く間にチームでの信頼を獲得していった。
そして初めて参加したF3で、のちに周囲から“宿命のライヴァル”と囁かれる男、ジェームズ・ハント(クリス・ヘムズワース)と出逢う。イギリス出身のハントは、何から何までラウダとは対照的だった。頭脳的で計画性を重んじるラウダに対し、ハントは自由気ままな天才肌のレーサーであり、レースの前日でも女と酒に溺れるような享楽主義者だが、いざレースに臨むと天性の勘を発揮し、ラウダよりも先にF−3で好成績を収めている。
だが、先にF1への出場を決めたのは、ラウダのほうだった。いちども優勝には届かなかったものの、チームメイトのクレイ・レガッツォーニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)がフェラーリに移籍を決めた際にラウダを推薦、その優れた調整能力を買われて、共にF1昇格を決めたのだ。
このことを知ったハントは焦りを覚えるが、F3から彼のパトロンを務めるヘスケス卿(クリスチャン・マッケイ)の英断により、スポンサーなしでの参戦を決意、かくしてハントもF1昇格を果たす。
先に頭角を顕したのは、またしてもニキ・ラウダのほうだった。緻密な調整と、精確なドライヴィング・テクニックにより、着実に成績を上げていったラウダはフェラーリと契約して間もない1975年、早くも年間チャンピオンの座に就いた。
幾度もラウダと競り合いながら、王座に就くことは出来なかったハントは、だが雪辱の前に深刻な事態に直面する。F1チームの経営は彼らの予測よりも遥かに多額の資金を必要とされ、1シーズンでヘスケス卿の財政は逼迫、撤退を余儀なくされたのだ。いっときは酒に溺れ、結婚したばかりの妻スージー・ミラー(オリヴィア・ワイルド)からも愛想を尽かされるハントだったが、やがてマクラーレンに空きが出来たことを知ると、恥も外聞もなく自らを売り込み、辛うじて翌シーズン参戦の権利を手に入れる。
1976年、この年のF1グランプリは、連覇を目指すラウダと、新天地にて王座奪取を狙うハントとが激しくしのぎを削る、壮絶なシーズンとなるのだった……
[感想]
公開されるだいぶ前から、TOHOシネマズの上映前スポット映像で採り上げられ、リアリティに裏打ちされた“壮大なヒューマンドラマ”と謳い、早い時期から期待を煽っていた作品である。
宣伝はあくまで宣伝に過ぎず、出来映えは実物を観るまでは解らない。当然のことなので出来る限り期待しすぎないようにしていた、とはいえ監督はじめスタッフは一流、断片的な映像からも気合のほどは窺い知れるので、どうしても期待はしてしまうものだが――そういう意味では、ちょっと物足りなさを禁じ得なかった。
問題があるとすれば、あまりに堅実で、突出したところがない、という点であろう。プログラムを参照すると、どうやら本篇の展開はほぼ現実をなぞっているようで、つまり登場人物の個性やその関わり合いはほぼ実際にあった通りと考えられる――設定の圧縮や省略があったことは想像出来るが、潤色を超える大幅な改竄は施していないようだ――から、仕方のないこととは言え、あらゆるものが丁寧にかたちを揃えられて並んでおり、もたらす興奮や感動が予測を超えないので、どうも強いインパクトには欠けている。
丁寧すぎたが故の弊害の最たるものは、中心となるふたりが良くも悪くも、決して特異な人物には映らないことだろう。無論、ふたりとも傑出した人物であったことは確かだろう。ジェームズ・ハントは優れた感性でギリギリの駆け引きを勝ち続け、他方ニキ・ラウダはマシンの状態にも目を光らせた緻密な計画性によって着実に表彰台へと上り詰めていっている。凡人には容易に成し得ないことなのだが、しかし本篇はそんな彼らの、ひととして当然の側面を描くことに重点を置いている。ハントは天才肌ながら、レースの重圧から逃れるために酒色に耽り、本番前には嘔吐して緊張と戦う。ラウダは安全と確実な勝利を挙げていくために、自ら最善の環境を求め、そのためにはいっさい脇目を振ろうとしない――ストイックだが、その根っこにある慎重さは、むしろごく常識的な人物のそれであることが察せられる。両者とも、序盤から明白な人間らしさが、作中のレースの迫力はあるが危険性については少々抑えた節度ある描写と変に調和しすぎてしまい、毎年のように死者が出る、というF1レースの世界に身を置き、そこで栄冠を勝ち取る者たちのオーラ、狂気といったものが中和されてしまったようだ。あえて過剰にすることを避けたのだとしたら、それがもうひとつインパクトに欠く原因となってしまったのかも知れない。
ただこれらは、ほぼ全てがハイレベルで維持されているが故の難点、と言える。最初から最後まで牽引力が途切れず、確実に昂揚感を味わえる仕上がりは見事だ。
前述した通り、どうやら本篇のエピソードはほぼ事実通り、それをほどよく圧縮したり省力したり、と手を加えているのが窺えるが、それが見事に、中心となるふたりの関係性を際立たせている。本篇において、ラウダとハントが会話する場面は決して多くない。どちらかと言えば悪態をつくくらいで、決して心を通わせるような会話を交わしてはいない。だが、同時期に、異なるアプローチで王座に肉迫していく互いを、否応なしに意識する。そこには強い敵対心があるが、しかし同時に、自分では出来ない方法を取る相手に対する敬意も垣間見える。そして、相手が着実に成果を挙げているからこその焦りや反発が、予告篇でも大きく採りあげられる悲劇に結びついていく。そこまでの積み上げがあるから、悲劇のあとに見せる両者のやり取り、なおも続く戦いの熱気が力強く伝わってくる。
全般に、その危険性をソフトに表現していることはちょっと惜しまれるのだが、しかしF1レースの臨場感を味わわせる映像、音響のクオリティは極上だ。時としてヘルメットの中にあるドライヴァーの眼からレースの様子を描き、激しく動くピストンや火を噴くマフラー、焦げつくタイヤの映像を、押し潰されそうなほどの猛烈な音圧で体感的に描き出す。
恐らくは必ずしも万人の予想通りではない決着まで含め、そこには人間の生き様、情熱が濃密に湛えられ、味わいは深い。最初にも触れた通り、個人的には売り文句にやや強い期待を持たされてしまったことが惜しまれたが、しかし『ロッキー』にも通じる、まさに“完全燃焼”の趣のあるドラマは、これも作品の宣伝コピーにあるような“生涯の1本を塗り替える”結果をもたらしてくれるかも知れない。それだけのパワーは確かに秘めている。
関連作品:
『アメリカン・グラフィティ』/『ビューティフル・マインド』/『シンデレラマン』/『フロスト×ニクソン』/『天使と悪魔』/『クイーン』/『ヒア アフター』
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』/『イングロリアス・バスターズ』/『スリーデイズ』/『愛を読むひと』/『セントアンナの奇跡』
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