『湖のほとりで』

湖のほとりで [DVD]

原題:“La Ragazza del Lago” / 原作:カリン・フォッスム(PHP文芸文庫・刊) / 監督:アンドレア・モライヨーリ / 原案&脚本:サンドロ・ペトラリア / 製作:フランチェスカ・シーマ、ニコラ・ジュリアーノ / 撮影監督:テミロ・シビータ / プロダクション・デザイナー:アレッサンドラ・ムラ / 編集:ジョジョ・フランチーニ / 衣装:ジェシカ・ザンベルリ / メイクアップ:フェルナンダ・ペレス / 音楽:テオ・テアルド / 出演:トニ・セルヴィッロ、ヴァレリア・ゴリノ、オメロ・アントヌッティ、ファブリツィオ・ジフーニ、ネッロ・マーシャ、アンナ・ボナイウート、マルコ・バリアーニ、アレッシア・ピオヴァン / 配給:Alcine Terran / 映像ソフト発売元:Softgarage

2007年イタリア作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:?

2009年7月18日日本公開

2009年12月25日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2013/05/31)



[粗筋]

 北イタリアののどかな村で、事件は起きた。

 発端は、幼い娘が朝、出かけたきり行方をくらます、という出来事だった。心配した両親は、最近越してきたばかりのサンツィオ警部(トニ・セルヴィッロ)に捜索を頼むが、ほどなく娘は見つかった。マリオという知的障害のある男のもとに遊びに行っていた、というのである。

 だが、発見された娘の話が、村に衝撃をもたらした。マリオと別れたあと訪れた湖のほとりで、少女は女性の屍体を見つけていた。

 死んでいたのは、村に暮らすアンナ(アレッシア・ピオヴァン)という少女である。少女の遺体は、奇妙なほどに美しかった。殺される際に抵抗することなく死を受け入れたかのように身体は柔らかく、全裸ではあったが暴行は加えられておらず、上着がかけられていた。

 一風変わった状況から、サンツィオ警部は彼女が、愛し合う何者かに命を捧げたかのような印象を受ける。自然と、警部たち司直の疑いの眼は家族や恋人、彼女に対して好意を抱いている人間に向けられた。

 アンナは思慮深く忍耐強い人柄で、およそ憎まれるような人間ではなかったらしい。その代わり、彼女の父親(マルコ・バリアーニ)は、義理の娘であるシルヴィアを疎んじ、アンナに異常なまでの執着を示している。サンツィオ警部がより関心を惹かれたのは、アンナの恋人ロベルトである。彼は当然のようにアンナとの親密な関係を明言していたが、しかし司法解剖の結果、アンナには性的経験がないことが判明する。だが彼女の身体はそれ以外にも、哀しい秘密を警部たちに物語っていた……

[感想]

 いわゆるミステリ映画、というと、一時期はやたらと艶めかしい描写を盛り込むことが望まれたり、近年は鮮血描写、残酷描写を採り入れるか、終盤にあっと驚くような逆転がある、といった具合に、扇情的な要素が不可欠のように考えられている傾向にある――いまに始まったことではなく、それはヒッチコックよりも更に前からあったことだが、最近はとみに派手なもの、どぎつく尖った趣向が持てはやされている感がある。目を覆うばかりの残酷描写と結末の逆転が目玉である『SAW』シリーズが、映画史上最も成功したシリーズ(“ホラー”というカテゴリの中で、だが)という評価を得たのも、そういう背景があるからと言えよう。

 しかし、謎を解く過程は常に華々しいわけではない。長閑な村でも殺人は起こるし、異能の探偵が闊歩したり、観客の予測を超える背景をもった犯人が隠れているとは限らない。本篇はそんな、概要だけを眺めると彩りに欠きそうな事件を、実に魅力的に描いている。

 淡々としているようでいて、本篇の展開は最初から、予想とは異なる方向へと推移していく。恐らく予備知識を持っていたとしても、たとえば原作を読んでいる、というレベルでもなければ、先を察知するのは難しいだろう。冒頭、投降する途中で軽トラックに乗る男に声をかけられ、車内に入ってしまう幼女の様子は、彼女が被害者になるかのようだが、至極あっさりと発見され拍子抜けする。その少女の証言がきっかけで屍体が見つかり、いよいよ本筋に入っていくが、その後の捜査の成り行きも、定番通りのようでいて微妙に予測からずれていき、着地点がなかなか見えてこない。決して込み入った謎解きをしているわけでもないのに、それをここまでミステリアスに思わせるシナリオが実に秀逸だ。

 どんどん脇道へとずれていくかのようなストーリー展開は、ミステリとしてはともかく、ドラマとしては一貫性を欠きそうだが、しかし本篇を観終わると、そこに通底するものを感じさせる。車椅子に頼らざるを得ない身体でも依然として父親が我が子に対して支配力を発揮する親子に、実の娘である被害者に対する執着が強く、義理の娘をお座なりにする男。そうした容疑者、関係者のエピソードはまだしも、サンツィオ警部自身の家庭の話まで絡んでくるのは少々余計なのでは、という印象を最初は受けるが、それもまた事件と柔らかに呼応しあい、物語全体の情感を深めている。それぞれの抱える問題や悩みがまったく一致するわけではないが、どこか似通い、通底する様が、観る側にも思索を促し、観終わったときにはきっと、観客ごとに異なる感慨をもたらしていることだろう。

 何より本篇を個性的なものにしているのは、被害者そのものの描き方だ。全裸だがいっさい汚されていない姿は不思議に気高く感じられるほどの美しさを湛え、作中描かれる彼女の身体的状況も、およそ殺人事件の類型からは程遠い。その死の有様が、被害者の生前の振る舞いと重なることで、彼女自身が行動する場面はごく限られているのに、凄まじい存在感を発揮している。作中、登場人物が被害者について「思慮深く、忍耐強い」と語っているが、本当にそんな、繊細でありながらも力強い姿が思い描けるのである。そしてその姿が、本篇の背景のもの悲しさと、結末の不思議な清澄さとを生み出しているのだ。

 ストーリーや構成の巧みさ、そしてそれを100分にも満たない手頃な尺に収めているので、観ているあいだ退屈することはないが、それでも恐らく“地味な作品”というイメージはまとわりつく。だが、だからこそ“端整”という言葉がよく似合い、観終わったあとに充実感が味わえる、文句なしの良品である。もっと派手なものが好きだ、と己の嗜好ゆえに外すことは出来ても、クオリティの高さを否定できるひとはいるまい。

関連作品:

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