原題:“Around the World in 80 Days” / 原作:ジュール・ヴェルヌ / 監督:フランク・コラチ / 脚本:デヴィッド・ティッチャー、デヴィッド・ベヌロ、デヴィッド・ゴールドスタイン / 製作:ビル・バダラート、ハル・リーバーマン / 製作総指揮:ジャッキー・チェン、アレックス・シュワルツ、フィリス・アリア、ウィリー・チャン、ソロン・ソー / 撮影監督:フィル・メヒュー / プロダクション・デザイナー:ペリー・アンダリン・ブレイク / 編集:トム・ルイス / スタント・コーディネーター:ジャッキー・チェン / キャスティング:アヴィ・カウフマン / 音楽:トレヴァー・ジョーンズ / 出演:ジャッキー・チェン、スティーヴ・クーガン、セシル・ドゥ・フランス、ジム・ブロードベント、ユエン・ブレムナー、ロブ・シュナイダー、カレン・ジョイ・モリス、イアン・マクニース、キャシー・ベイツ、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジョン・クリーズ、オーウェン・ウィルソン、ルーク・ウィルソン、マーク・アディ、サモ・ハン、ダニエル・ウー、マギー・Q / 日本語吹替版声の出演:石丸博也、原田泰造、中山エミリ、松方弘樹、江原正士、石塚運昇、杉本彩、玄田哲章、魔裟斗、中川礼二、中川剛、蝶野正洋、緒方賢一、内海賢二、森公美子、中村正 / 配給:日本ヘラルド
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 吹替版翻訳:平田勝茂
2004年11月6日日本公開
2005年3月16日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
角川シネマ新宿にて初見(2013/03/24) ※世界の果てまでイッテJ!朝までジャッキー・ナイト!!にて鑑賞
[粗筋]
19世紀末のロンドン。故郷から盗まれた翡翠の仏像を取り返すため、イングランド銀行に白昼押し入ったラウ・シン(ジャッキー・チェン/石丸博也)は、だが警察に追い込まれ、窮した末に発明家フィリアス・フォッグ(スティーヴ・クーガン/原田泰造)の屋敷に潜りこむ。折しもフォッグは、使用人にたびたび無理な実験の手伝いを強いていたのが災いして逃げられたばかりで、「フランス人しか雇わない」という彼に、ラウ・シンは“パスパルトゥ”というフランス人だ、と偽って取り入り、警察から逃れることに成功する。
しかしこのフォッグという人物はなかなかの変わり者だった。奇矯な発明ばかり繰り返し、王立科学アカデミーからも鼻つまみ者として扱われている――実際には、理論こそ追いついていないものの、その志には先見の明があったのだが。“パスパルトゥ”となったラウ・シンを伴いアカデミーを訪れたとき、新たな実験が成功したことを告げると、アカデミー長官のケルヴィン卿(ジム・ブロードベント/松方弘樹)に悪し様に罵られたことで激昂、もののはずみで、「80日間で世界一周することは可能だ」と豪語してしまう。
フォッグは直後に失言を悟ったが、ケルヴィン卿はそれを察したうえで更に煽り、失敗した場合はアカデミーから永久追放、金輪際実験を行うことを認めない、と言い放つ。一方、アカデミーの内部で、先日の銀行強盗事件が話題になっており、未だに警察が“東洋人”である犯人を追っていることを知ったラウ・シンも、この賭けに応じるようフォッグを焚きつけた――成功した暁には、アカデミー長官の座を譲り受ける、という条件で。
かくして、変わり者の発明家と、フランス人を装った泥棒、という奇妙なコンビは、無謀な冒険の旅へと赴いた。ケルヴィン卿の妨害に屈することなく、80日以内にロンドンへと帰着することは出来るのか……?
[感想]
本篇は発表当時、毎年いちばん酷い映画を選ぶゴールデン・ラズベリー賞で、作品賞と助演男優賞(アーノルド・シュワルツェネッガー)の2部門で候補に選ばれる、という、あまり嬉しくない評価を受けている。受賞こそ免れたが、しかしこれですっかりリメイクに懲りてしまったジャッキー・チェンは、同じリメイク企画である『ピンクパンサー』への出演を断った、という噂があるほどである。私自身、公開当時に本篇の存在は認識していたものの、あのジャッキーが『80日間世界一周』、という組み合わせが腑に落ちず、世評が芳しくなったこともあって、鑑賞せずにやり過ごしてしまった。
だが今回、機会あって初めて鑑賞してみて――そこまで悪い作品だろうか、と却って首を傾げてしまった。
確かに、ストーリーはかなり幼稚、と言っていい。だいぶ工夫をしているものの、ジャッキー演じるラウ・シンがフランス人“パスパルトゥ”として発明家の助手になるくだりは大いに無理があるし、道中の展開も全般に大雑把で強引だ。いくら浮き世離れしているといっても、発明家のわりに単純すぎるフォッグや、やはり大雑把なやり方で彼らの道中を妨害しようとするケルヴィン卿の振る舞いには困惑するし、歴史的な事実、登場人物との絡め方も全般に不自然さが目立つ。
しかし、子供っぽい、というのは別段悪いことではない。そもそも原作が児童文学の名作であり、スタッフが狙って子供っぽい、解りやすい筋を志したのは明白だろう。だとすれば、そもそもその点を差して批判すること自体が筋違いだ。観た子供に喜んでもらえなければ“失敗”と呼んでも差し支えあるまいが、そこまで不出来なものか、は疑問が残る。
そして、その観点からすると、本篇のストーリーにジャッキー流のアクション、コメディ要素をほとんど違和感なしに組み込んでいることは、むしろ高く評価していいのではないか。
冒頭からいきなりジャッキーらしい外連味のある追いつ追われつが描かれ、助かったかと思えば発明家の実験によってとんでもない目に遭わされる。いざ旅が始まったあとも、フォッグとセシル・ドゥ・フランス演じるヒロイン・モニクとの妙にとんちんかんなやり取りの背後で、美術のモチーフを巧みに利用したアクションを描き出す。
特筆すべきは、ラウ・シンの郷里に到着したあとのくだりだ。セットの作りや登場人物の振るまい、何より出て来るキャラクター、それを演じる俳優に至るまで、まるでジャッキー・チェン初期の“拳”シリーズへのオマージュなのである。
ふんだんではないが随所に著名人が登場するのも、歴史を題材にしたファンタジーならではの面白みだが、ここで繰り出して来るのがウォン・フェイフォンである、というのはやはりジャッキーが携わっているからに他なるまい。しかも、それを演じているのが、サモ・ハンなのだから、往年のファンは感激を禁じ得まい。幼少期からともに香港映画界に関わってきたこの盟友は、近年もジャッキー作品にアクション監督として携わるなどしていたが、俳優として顔を並べるのは非常に珍しい。他にも、初期作品ではお馴染みのマースがいたり、ジャッキー自身が助太刀のひとりとしてスタントに加わっていたり、と趣向がどこまでも往年を思い出させる。まるでハリウッド資本とその技術で、往年のカンフー映画をコンパクトに復活させたような趣があるのだ。
たぶん本篇は、ある程度ハリウッドでの成功を確保したジャッキーが、ファンを低年齢層に拡大し、自身のスタイルを次世代に繋ごうと意図して製作に携わったのではなかろうか。だから、割り切ったように子供っぽい、ファンタジー性を押し出したストーリーを選択したうえで、かつて子供たちを熱狂させたカンフー映画のモチーフも採り入れた。あいにく、いくら子供向けを意図したとはいえ、やりすぎた感はあるし、豪華なゲストも却って幼い観客には解りにくい、と言わざるを得ないものの、製作意図にブレはなく、基本的には狙い通りの仕上がりになっている。幼稚だから不出来、というよりは、更に踏み込んで完成度を高められなかったこと、古典的名作に少々強引にジャッキー流アクションを織りこんでしまったのがミスだった、と言えそうだ。
前述したように、これでリメイクには懲りた、と言われるジャッキー・チェンであるが、しかしその後、武術を通して少年が成長するという筋立ての名作をリメイクした『ベスト・キッド』に出演、成功を収めている。それは本篇で、児童向けの筋に自分のお家芸を埋め込む、というスタイルよりも、年輪を経たからこそ出来る役柄で出演し、アクション映画の魅力を盛り込む、という方向へ転換したことが幸いしたのではなかろうか。だとすれば、本篇もまた無駄ではなく、ジャッキー・チェンという映画人の変遷を辿るうえで、鍵を握った作品のひとつと言えよう。
関連作品:
『ベスト・キッド』
『ヒア アフター』
『サイクロンZ』
『酔拳2』
『ピンクパンサー』
『キャットウーマン』
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