モテるために自分を鍛える、という話。

 石野休日さんの4月29日付の日記、本論ではない所に突っ込んでみる。

ときめきメモリアル』はコミュニケーションを楽しむゲームではなく、自己育成シミュレーションだと思うのだが。何せ、あいだでデートに誘ったりしなくても、嫌われない範囲で連絡を取っていれば(しかもシステム上それが強制されているにも等しい)最終的にプレイヤーキャラの数値に合ったキャラクターとの結末に落ち着く。下手をすると、途中でそれなりに親しくなったつもりのキャラクターを置き去りに、まったく別の女の子がエンディングに現れたりする。はっきり言って、中盤のコミュニケーションというのはオマケに過ぎない。寧ろそれまでの交流をも台無しにするということから、反コミュニケーション的な作りとさえ言える。『ときメモ』が元ネタにしていたのが『同級生』だったのでそういう要素が残っただけなんじゃないか、と思うくらいに。

 もっと言えば、その育成シミュレーションゲームと女の子という組み合わせをまず確立したのは『プリンセスメーカー』で、並べてみると『ときメモ』はこの作品のコミュニケーション部分だけを温存・拡張して、育成対象をプレイヤー自身に変更したに過ぎないと極論するのも化。いずれにしても、コミュニケーションゲームと安易に捉えることには同意できません。

(ちなみにこの手のゲームの原点により近い『同級生』、スタンスとしては実は恋愛をテーマにしたRPGだったりする。マップがあって敵(女の子含む)との遭遇があって経験値を稼いでそれに合わせてエンディングがあって。その後のいわゆる美少女ゲームは煩雑だった「経験値稼ぎのためのマップ移動」を省いた結果、ノベル形式中心に推移していったという趣なので、個人的にこの手の作品の分水嶺は『同級生』にあるんじゃないかと考えてます以上閑話休題

 それ以外の所では別に異論はないのだけど、大前提の部分にだけ引っかかってしまったのでとりあえず書き留めておきました。ちなみに最初から私ゃ藤崎詩織というキャラクターが大っ嫌いでしたが、エンディングで自分から告白できるという要素が追加されたサターン版をひとまわり遊んだ時点で、実在したら殺意を覚える女にまで発展しました。言うに事欠いてこの女、「わたしに相応しい人になってね」とか口走ったんだぞ。

 あと、『トゥルーラブ・ストーリー』ではなく『トゥルー・ラブストーリー』或いは『トゥルーラブストーリー』だともっとどうでもいいところに突っ込んでみたり。

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