原題:“Les Triplettes de Belleville” / 監督・脚本・絵コンテ・グラフィックデザイン:シルヴァン・ショメ / 製作:ディディエ・ブリュネール / 音楽:ブノワ・シャレスト / 声の出演:ジャン=クロード・ドンダ、ミシェル・ロバン、モニカ・ヴィエガ / 配給:KLOCKWORX
2002年フランス、ベルギー、カナダ合作 / 上映時間:1時間20分 / 日本語字幕:加藤リツ子
2004年12月28日日本公開
2007年7月18日DVD最新盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://www.klockworx.com/belleville/ ※閉鎖
テアトルタイムズスクエアにて初見(2009/08/30) ※閉館特別上映企画
[粗筋]
終戦間もないフランス。郊外の家に、おばあちゃんは愛する孫シャンピオンとふたりきりで暮らしている。
シャンピオンは何事にも関心を示さない子供だった。喜ぶ姿を見たくて色々と工夫を死、犬を飼ったり、鉄道の玩具を与えたりしてみたが、その表情はいつまで経っても輝かない。だがあるとき、シャンピオンが自転車を撮した新聞記事の切り抜きを大切にしていることに気づいたおばあちゃんは、彼に自転車を買い与えた。
それから十数年後、おばあちゃんの協力のもと、特訓を重ねたシャンピオンは、世界最大の自転車レースであるツール・ド・フランスに参加する。
競技中も救護車の上に陣取ってその様子を見守っていたおばあちゃんだったが、タイヤがパンクして立ち往生しているあいだに彼の姿を見失ってしまった。やがて、孫が何者かによって攫われ、船に乗せられ何処かへと連れ去られようとしていることを知る。
逞しいおばあちゃんは、ここで他人に頼ろうとはしなかった。何と足漕ぎ式のボートを借りると、荒波をものともせず船を追いかける。
辿り着いたのは、高層建築がそびえ立つ絢爛たる街、ベルヴィル――愛する孫・シャンピオンはいったい何処にいる……?
[感想]
冒頭から、如何にもフランス、という趣のある、洒脱なセンスと柔らかな皮肉とが効いた語り口が、いきなり観る側を惹きつける。
オープニングはおばあちゃんと幼い孫とが眺めているテレビ番組を、画面の乱れもそのままに流すという形で綴られるが、最初のうちは意味がよく解らない。3人の女性が陽気に歌う合間に繰り広げられる奇妙なパフォーマンスが如何にもアニメーション的で、魅せられているうちに不意に本筋であるおばあちゃんとシャンピオンとの暮らしぶりが描かれる。不思議な静謐と孤独な翳りのなかに織り交ぜられるユーモアに惹かれ、画面を眺めているうちに少年は急に成長し社会の様相も変わり、そしていきなりの事件発生へ。静かだが巧みな語り口は、しかしそれまでの描写を大前提にして、おばあちゃんと愛犬ブルーノ、そしてベルヴィルのミュージシャン3姉妹の奇想天外な大活躍を正当化する。
まさしく、アニメーションでしか出来ない表現と物語を、さほど気負っているようにも感じさせないまま、フルパワーでやってのけている、これはそういう作品だ。実写で描けば、おばあちゃんのブルーノの利用の仕方などは確実に動物好きから罵倒されるだろうし(特にツール・ド・フランスのレース中の扱いなど、アニメだと解っても腹を立てる人がいそうだ)、ベルヴィルの3姉妹の生活の手段や演奏の方法など色々問題がありすぎる。だが、序盤でその無茶をたっぷり描いて、「これはこういう世界なんだ」と観客に納得させて、終盤で力業に結びつける。その一種マジックを思わせる手管が憎いほど見事だ。
終盤でおばあちゃんと3姉妹の見せる活躍も秀逸だが、もっと魅力的なのは彼女たちの演奏である。初登場のときこそシンプルなコーラスを披露するだけだが、中盤で再登場すると身体を使ってリズムを刻むかと思えば、意外な“楽器”を用いて自由自在に音楽を奏でてみせる。このあたりのおばあちゃんの状況も、3姉妹の生活ぶりも大変惨めに描かれているのだが、当人たちは気に留める様子がまるでない。そういう自分たちを面白がっているような節さえある。音楽そのものの力もあるが、彼女たちのポジティヴな生き様が、観ていて妙に勇気づけられるような感覚を齎しているのだろう。
本篇のユニークな点はもうひとつある。おばあちゃんや3姉妹を除くキャラクターが、見ようによっては「ほとんど意思の存在しないもの」であるかのように描かれていることだ。基本的に台詞は最小限に絞られているが、おばあちゃんたちはそれでも多少は喋る。しかしシャンピオンを攫う連中はろくに口を利かない。この連中については、なかなか目的が判然としないため、謎を引っ張る役割を果たしていると言えるのだが、異様なのはシャンピオン自身がほとんど自らの意思を語らないことだ。
プロローグでの問いかけに応えないことに始まり、やりたいことを口に出さない彼のためにおばあちゃんが試行錯誤し、攫われても手懸かりを残すことさえせず、唯々諾々と犯人たちの指示に従っている。終始消極的で、自分から語りかける部分が皆無に等しい。だからこそおばあちゃんたちのアクティヴさが強調されているのだが、そのあまりの木偶の坊ぶりには毒さえ感じさせる。そして、終始沈黙を保っているからこそ、僅かに口を開く場面で、奇妙な空虚さを漂わせる。陽気さとは異なる、底に暗く澱んだような感覚を、彼の存在が齎してくるのだ。
芸術的で洒脱で愛らしくて、それでいて奇妙に切ない毒を漂わせる。3D技術も流行りの絵柄も使わずに作りあげられた、愛おしくなるような傑作である。エンディングでふたたび歌われるメイン・テーマの別歌詞の、やたらと人を食った内容まで素晴らしい。
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