『ブリッジ・オブ・スパイ』

ユナイテッド・シネマ豊洲、スクリーン12入口に掲示された『ブリッジ・オブ・スパイ』ポスター。
ユナイテッド・シネマ豊洲、スクリーン12入口に掲示された『ブリッジ・オブ・スパイ』ポスター。

原題:“Bridge of Spies” / 監督:スティーヴン・スピルバーグ / 脚本:マット・シャルアン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン / 製作:スティーヴン・スピルバーグ、マーク・プラット、クリスティ・マコスコ・クリーガー / 製作総指揮:アダム・ソナー、ダニエル・ルピ、ジェフ・スコール、ジョナサン・キング / 共同製作:クリストフ・フィッシャー、ヘニング・モーフェンター、チャーリー・ウォーベッケン / 撮影監督:ヤヌス・カミンスキー / プロダクション・デザイナー:アダム・ストックハウゼン / 編集:マイケル・カーン / 衣装:カシャ・クリッカ・マイモーネ / キャスティング:エレン・ルイス / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:トム・ハンクス、マーク・ライランス、エイミー・ライアン、アラン・アルダ、スコット・シェパード、セバスチャン・コッホ、オースティン・ストウェル、ウィル・ロジャース、ミハイル・ゴアヴォイ、ドメニク・ランバルドッツィ、ノア・シュナップ、イヴ・ヒューソン、ジリアン・レブリング、ピーター・マクロビー / アンブリン・エンタテインメント/マーク・プラット製作 / 配給:20世紀フォックス / 映像ソフト最新盤発売元:Walt Disney Japan
2015年アメリカ作品 / 上映時間:2時間22分 / 日本語字幕:松浦美奈
第88回アカデミー賞助演男優賞受賞(作品・オリジナル脚本・美術・音響効果部門候補)作品 2016年1月8日日本公開
2018年3月16日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD VideoBlu-ray Disc]
公式サイト : http://www.foxmovies-jp.com/bridgeofspy/ ※閉鎖済
ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2016/2/26)


[粗筋]
 東西冷戦が激化していた1957年のニューヨークで、ルドルフ・アベル(マーク・ライランス)という芸術家がスパイ容疑で逮捕された。
 弁護士の伝手はない彼を法廷に立たせるために、政府は国選弁護人を立てることにした。“アメリカの敵”を弁護する、という明白な汚れ仕事を押しつけられたのは、ジム・ドノヴァン(トム・ハンクス)である。保険会社の代理人としての案件を多く抱える彼だが、ニュルンベルク裁判で検察側弁護人として刑事事件に携わった経験もあったために白羽の矢が立てられたのだ。
 世間からの非難を予測しながらも、断る道を断たれた格好のドノヴァンは、しかし引き受けた以上、手を抜くことはなかった。法の精神に則り、アベルが本当にスパイであるのか否かは二の次で、彼の罪を軽くするために全力を尽くした。
 有罪こそ免れることは出来なかったが、有罪となった罪状を考えれば即刻絞首台に上げられる可能性があったところを、判事に向かってひとつの“保険”をかけることで、何とか禁固刑に抑えることに成功する。
 依然として強い世間からの風当たりにも臆せず、可能な限りアベルの減刑に努め、最高裁まで話を持ち込むが、結局刑は確定してしまった。激しい徒労を感じながらも、どうにかひと仕事を済ませ、本来の業務に戻ろうとしたドノヴァンだったが、そこで突如、思いがけない事態が発生する。
 この頃、CIAは若い兵士たちを動員し、偵察飛行任務に送り出していた。だが、そのうちの1機が砲撃されて墜落する。機体には自爆装置が備わり、搭乗していたフランシス・ゲイリー・パワーズ(オースティン・ストウェル)には捕虜になる前に自害するための毒針入り硬貨も支給されていたが、運命の悪戯によりパワーズは生きたままソビエト連邦に捕らえられてしまった。
 程なくして、ドノヴァンのもとに、アベルの妻を名乗る人物からの手紙が届いた。アベル自身が本物の妻ではない、と断定したその手紙は、ソビエト連邦に繋がる人間が、アメリカ政府に対して暗に交渉を呼びかけるものだった。
 いちどは肩の荷を下ろした、と思ったドノヴァンだったが、これによってふたたび――そして法廷で行うよりも遥かに困難で危険な“交渉”の役割を担う羽目になるのだった……。


[感想]
 実話に基づいて組み立てられたドラマ、ということだが、そのことに驚いてしまうほど、圧巻のエンタテインメントぶりである。
 スパイ映画さながらの導入から、様々な思惑の交錯する法廷。そこから、壁が築かれつつある時代のベルリンへと舞台は飛び、世にも奇妙な交渉劇へと展開する。あまりにアクロバティックで、現実をなぞっているはずなのに、描き方次第ではリアリティを損ないかねないくらいだ。
 物語のこのダイナミズムと巧みなバランス感覚は、脚本家チームがうまく役割を分担することが出来たから成し遂げられたところのようだ。対立国から送られたスパイの弁護、という魅力的な事件に着目し物語として整理したマット・シャルアンのオリジナルの脚本に、自身も監督として映画を撮るコーエン兄弟が、ウィットやユーモアの彩りを随所に添えた。このあたり、取材の確かな奥行きのあるストーリーと、内容に対して驚くほど軽妙で機知に富んだ会話から確かに窺えるのが面白い。恐らく、どちらか一方だけが関わっていたら、ここまで本篇の物語は魅力的にものにならなかっただろう。
 そして、奇を衒わず、ひたすら物語のスリリングな面白さを引き出すことに集中した演出もまた圧巻だ。ぶっちゃけ、本篇を見ているあいだ、演出の良し悪しを意識するひとは(よほど専門的な立場で鑑賞しようと意識しているひとを除けば)ほとんどいないはずである。物語の流れを阻喪せず、伝わりやすく描くことに専念している。長年にわたって第一線で活躍を続けるスピルバーグならではの職人芸と言えるだろう。
 現代であっても、“スパイを弁護するべきなのか?”という点については、首を傾げる向きはあるはずだ――法的な精神に照らし合わせれば、たとえ誰であっても弁護を受ける権利を有するのであり、責務として引き受ける者がいなければ法の精神そのものが成り立たない。だが、人間はどうしても感情でものごとを判断してしまう。ドノヴァンが渋々ながらスパイの弁護を引き受けた途端、助手でさえ仕事をやんわりと拒絶し、やがてはドノヴァンの自宅に銃弾さえ撃ち込まれる。国を危険に晒した裏切り者を庇っている、という意識が多くの人間を憎悪に駆り立て、弁護士を様々な形で追い込んでいく。
 しかしドノヴァンは、それにひたすら理性と遵法精神で、“依頼人”を守り続ける。証拠が数多くあり、心証も悪いために有罪を免れる可能性は低いが、捜査過程の不備を突いて証拠を不採用にしようと働きかけたり、アメリカ憲法の大原則から兵士の理想像に至るまで、理想を掲げて陪審員や裁判官の理性、感情に訴えかける。最終的にドノヴァンが依頼人アベルを死刑から回避させるのが、もともと保険会社の代理人として経験を積んできたドノヴァンらしい駆け引きである、というのがなかなかに興味深い。
 ここで示したドノヴァンの駆け引きの巧さは、本篇の後半を占めるもうひとつの“交渉”で更に遺憾なく発揮される。アメリカ憲法という後ろ盾さえない、法廷でのアベル弁護よりも遥かに困難な状況での“交渉”は、アクションがあるわけでもないのに手に汗握る緊張感が終始漲っている。
 それゆえに、この後半で見せるドノヴァンの駆け引きは、法廷での姿にも増してしたたかで格好いい。孤立無援、一触即発の舞台でのやり取りは恐らく本人も恐怖を禁じ得ないだろうに、ドノヴァンは堂々と、時によってはいっそ不敵な態度で交渉に臨む。私は本篇を鑑賞しながら、さながらハードボイルドを観ているような気分だった。
 ハードボイルドめいた印象をもたらす理由のひとつに、粋な台詞のやり取りが挙げられる。極めて緊迫した状況、深刻な議論をしていても、しばしば細やかにユーモアが織り込まれる。会話にテンポを生む役割も果たしているが、すべてが状況に即していてかつしっかりと口許を緩ませるので、物語のトーンが洒脱なのだ。多くはドノヴァンが交渉の場面で、相手の心を捕らえるためにテクニックとして用いるが、秀逸なのは依頼人アベルとのやり取りだ。異なるコミュニティに属し、価値観も異なりながら、お互いにその真摯さを知るふたりのやり取りは実に快い。特に、最悪命を失うかも知れない状況でのやり取りは幾度か反復され、クライマックスで強い印象を残す。立場を越えたドノヴァンとアベルの“友情”も濃厚に感じさせるこのひと幕こそ、本篇の象徴だろう。
 優れた監督の多くがそうであるように、スピルバーグ監督もまた、特定のスタッフ、キャストを繰り返し起用する傾向にある。本篇で特筆すべきは撮影監督のヤヌス・カミンスキーだ。『シンドラーのリスト』以降、多数のスピルバーグ作品に撮影監督として携わり、ここに主演トム・ハンクスを加えた組み合わせだと『プライベート・ライアン』、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『ターミナル』、更には本篇のあとに発表された『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』まで、すべてを担当している。この一体感が醸し出す映像、カメラワークの安定感は違和感がなく、丹念に構築された、分断された時代のベルリンの説得力ある美術とも相俟って、作品への没入感を更に高めている。
 リアリティを演出しながらエンタテインメントとしても高濃度、映像、美術、音楽に演技、すべて申し分なし。機会を逸したせいで、最初の鑑賞から感想を書き上げるまでに6年以上かかってしまい、スティーヴン・スピルバーグ監督の新作が複数リリースされてしまったが、私にとっては未だ、スピルバーグ作品の中でベスト3に入るほど好きな作品なのである。大衆向けの娯楽作品から重厚なドラマに至るまで多彩に手懸けるスピルバーグ監督の真価が、何よりも遺憾なく発揮されている作品だと思う。


関連作品:
プライベート・ライアン』/『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』/『ターミナル
激突!』/『JAWS/ジョーズ』/『未知との遭遇 ファイナル・カット版』/『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』/『E.T. 20周年アニバーサリー特別版』/『A. I. [Artificial Intelligence]』/『マイノリティ・リポート』/『宇宙戦争』/『ミュンヘン』/『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』/『戦火の馬』/『リンカーン』/『ウエスト・サイド・ストーリー(2021)』/『サバービコン 仮面を被った街
ウォルト・ディズニーの約束』/『もうひとりのシェイクスピア』/『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』/『ペントハウス』/『サイド・エフェクト』/『ダイ・ハード/ラスト・デイ』/『セッション』/『パブリック・エネミーズ』/『ワールド・トレード・センター
さらば、ベルリン』/『グッド・シェパード』/『デュプリシティ ~スパイは、スパイに嘘をつく~』/『ジョーンの秘密』/『スパイの妻〈劇場版〉

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