『ウォーデン 消えた死刑囚』

K's cinemaの入っているビル入口の柱にあしらわれた『ウォーデン 消えた死刑囚』キーヴィジュアル。
K’s cinemaの入っているビル入口の柱にあしらわれた『ウォーデン 消えた死刑囚』キーヴィジュアル。

英題:“The Warden” / 監督&脚本:ニマ・ジャウィディ / 製作:マジド・モタレビ / 製作総指揮:メーディ・バドリオー / 撮影:フマン・ベーマネシュ / プロダクション・デザイナー:モーセン・ナスロラヒ / 編集:エマド・コーダバクシュ / 衣装:シマ・ミラミディ / 音楽:ラミン・コウシュ / 出演:ナヴィッド・モハマドザデー、パリナーズ・イザドヤール、セタレー・ペスヤニ、マニ・ハジジ / 配給:ONLY HEARTS Co, Ltd.
2019年イラン作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:林かんな
2021年1月16日日本公開
公式サイト : http://just6.5andwarden.onlyhearts.co.jp/
K’s Cinemaにて初見(2021/2/4)


[粗筋]
 1966年、イランの南部にある刑務所が、近接する空港の滑走路延長により立ち退くことになった。
 832名に及ぶ囚人を順次、新しい刑務所に移送したのを確認したうえ、最後に職員たちが退去して、移転は完了する。だが、最後まで片付けを行っていた刑務所長のヤヘル少佐(ナヴィッド・モハマドザデー)が報告を受けたとき、囚人は831名しかいなかった。
 所在不明の囚人は通称《赤顔のアフマド》。土地を奪われた怨みから地主を殺害した罪で投獄されていた。だが報告の中で初めてサヘル少佐は、アフマドが控訴審で第一級殺人罪になり死刑が確定、3週間後に執行されることを知る。
 今回の移転が済めば、自分は昇進し、警察署長になる辞令が下りる、という話を聞かされたばかりで発生した事態に、サヘル少佐は動揺する。アフマドを知る社会福祉士のカリミ(パリナーズ・イザドヤール)から情報を得ながら、人気のなくなった刑務所内を捜索する。
 どうやらアフマドはこの機に脱獄を目論んでいたらしいことは、証言や様々な痕跡から判明するが、肝心のアフマドの姿はどこにも見当たらない。逃げていれば少佐の責任問題に発展し、仮に刑務所に潜んだままだとすれば、取り壊しに巻き込まれ命を落とす恐れがある。
 果たして少佐は、消えた死刑囚を発見することが出来るのか……?


K's cinemaのロビー内に展示された『ウォーデン 消えた死刑囚』ポスター。
K’s cinemaのロビー内に展示された『ウォーデン 消えた死刑囚』ポスター。


[感想]
 監督のニマ・ジャウィディはこれが長篇2作目である。1作目『メルボルン』は、国際的に評価の高いアスガー・ファルハディ監督の影響が色濃く窺える、イランの現代社会の一断面にミステリ的な趣向を重ねた作りだったが、本篇では早くも意識的にファルハディ監督の影響から脱却し、独創的なサスペンスを志向している。
 正直なところ、序盤はなにが行われているのかなかなか理解できない。日本人として眺めると、そもそもイスラム教圏の文化はあまりにも異質で、自分たちの常識を当て嵌めて鑑賞するのが正しいのか、と自問しながら作品と向き合うことになる。それゆえに、そもそも理解のハードルが高いのに、本篇は意識的に説明台詞を排除している。予備知識を仕入れないまま鑑賞すると、時代背景がイスラム革命以前のイランであり、滑走路延長のために刑務所の立ち退きを実施している最中である、といった事情も、だいぶ話が進まないと把握出来ない。
 ただ、それゆえに序盤から惹き込まれてしまう。恐らくイスラム教圏のひとでさえも、序盤になにが行われているのか、ひと目で察しのつくひとはいるまい。情報を読み解きながら鑑賞するので、自然と惹きつけられてしまう――言い換えると、あまり解釈する作業を好まないような観客はたぶん序盤で離れてしまう。しかし、きちんと読み解く努力をするひとなら、序盤から実に興味深い作りであることは確かだ。
 そして、状況が明らかになっていくと、いよいよ面白さが増してくる。死刑囚はどうして消えたのか、周囲の証言から明らかになる、彼が描いていた脱獄計画とはどのようなものだったのか。視点人物として死刑囚の行方を捜す刑務所長には、立ち退きの期限というタイムリミットに加え、目の前にぶら下げられた“昇進”という餌がある。時間制限は、存在するだけでもサスペンスを盛り上げるが、本篇ではそこに、立ち退き即取り壊しの実施、という条件まで加わっている。もし発見できないまま放置すれば、瓦礫の中で屍体が発見される、という事態に陥りかねない。劇中、殺人事件や暴力沙汰もほぼ起きていないにも拘わらず、こうした制約により見事な緊張感を醸成する。
 あえて説明を廃したあたりもそうだが、本篇は語り口にまるでそつがない。ちょっとしたことが、きちんとその後の出来事や謎解きに影響してくるので、いちいち膝を打つ場面ばかりだ。全体に独特のユーモアがあって、擽りのつもりで挿入したかと思っていると、不意打ちで意味を帯びてくる。ひとつひとつ拾って解説してみたいところだが、そのあたりも含めて、企みに満ちた語りを愉しませてくれる作りである。
 恐らく、謎解き要素のあるフィクションに馴染んでいるひとなら、本篇の細かな仕掛けや擽りを見抜くのは難しくない。だが、それらを最も効果のあるかたちで、最高のタイミングで提示してくるしたたかさには唸らされるはずである。死刑囚がなかなか発見できないことにも、そこに社会福祉士がいることにも、物語上の必然性がある。説明が省かれているため、ひとによっては1回観ただけでは読み解けないかも知れないが、謎を理解したうえで、何が起きているのか、を時系列に添って反芻しながら鑑賞すると、驚きを新たにするはずだ――本当に、すべてがぴっちり組み立てられているのである。
 もし本篇に不満を覚えるとすれば、その結末だろう。ただ私は、刑務所長が選択したこの決着を爽快に感じた。そこにある理解や覚悟もさることながら、本篇はその見せ方がまた洒脱なのである。恐らく、他のかたちで見せていれば、また印象は違っていただろう。あの見せ方を選んだこともまた、本篇の監督の緻密な配慮と、傑出したセンスの証明である、と思う。
 尺は91分と、昨今の映画としてはかなりコンパクトな部類に属する。だが、その尺の中にしっかりと映画としての面白さが詰めこまれている。本当に面白い映画に国境なんかないのだ、と改めて実感させてくれる、快作である。


関連作品:
メルボルン
友だちのうちはどこ?』/『彼女が消えた浜辺』/『別離
大脱走』/『パピヨン(1973)』/『ショーシャンクの空に』/『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵

コメント

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