『まぼろしの邪馬台国』

『まぼろしの邪馬台国』

原案:宮崎康平(講談社文庫・刊) / 監督:堤幸彦 / 脚本:大石静 / 撮影:唐沢悟 / 美術:相馬直樹 / 照明:木村匡博 / 録音:田中靖志 / 編集:深野俊英 / 装飾:茂木豊 / VFX監修:原田大三郎 / VFXスーパーヴァイザー:小関一智 / 音楽:大島ミチル / 卑弥呼のテーマ:セリーヌ・ディオン『A WORLD TO BELIEVE IN 〜ヒミコ・ファンタジア〜』(Sony Music Japan International Inc.) / 出演:吉永小百合竹中直人窪塚洋介風間トオル平田満柳原可奈子黒谷友香麻生祐未綾小路きみまろ不破万作大仁田厚宮崎香蓮岡本信人大槻義彦草野仁、井川比佐志、石橋蓮司ベンガル江守徹大杉漣余貴美子由紀さおり / 製作プロダクション:東映東京撮影所、オフィス・クレッシェンド / 配給:東映

2008年日本作品 / 上映時間:1時間58分

2008年11月01日日本公開

公式サイト : http://www.mabotai.com/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/11/04)



[粗筋]

 昭和31年、福岡のNHKラジオ局で声優(※のちにアナウンサーと呼ばれるものに近い)として勤務していた長浜和子(吉永小百合)が宮崎康平(竹中直人)と出逢ったのは、自身が担当していた歴史番組のゲストとして康平が招かれたときのことであった。盲目でありながら、島原鐵道の社長を務める傍ら、文学者としても活動していた彼は、番組の中で和子が邪馬台国を「一般の人には馴染みがない」と説明したことに激昂する。

 だが番組終了後、何を思ったか康平は、和子を島原に誘った。折しも時代はラジオからテレビへの移行期にあり、美人で声も綺麗だが年齢的に上層部から難色を示される和子の居場所は失われつつある。和子は思い切って島原に向かい、康平のもとを訪ねるのだった。

 そこで康平が和子に願ったのは、島原鐵道で新たに始める観光バス事業で重要な役割を果たす、バスガールの指導係であった。まったく未知の仕事であるだけに、当初和子は拒んだが、盲目の康平が島原の繁栄と歴史に抱く激しい情熱を目の当たりにした和子は、仕事を引き受けることを決意する。

 康平はとても盲目とは思えないほど精力的に動き回り、観光資源の開発や歴史への着目など先見の明を備えていたが、しかしあまりに我が儘で傍若無人な振る舞いゆえに、敵も多かった。彼の杖代わりとなっていた腹心・矢島(風間トオル)を口答えしただけで解雇し、社内に労働組合を作っていた佐々木一馬(窪塚洋介)と激しく対立するといった出来事を経ても堂々としていた康平だったが、そんな彼を追い込んだのは、台風であった。

 ちょうど和子の着任から3ヶ月後、島原は未曾有の台風に襲われ、100ミリを超える雨で線路は壊滅状態となる。復興を急ぐべき場面であったが、この増水で土が流された結果、島原の土壌から多くの石器が発見されたことを康平は重視して、現場において復旧よりも発掘を優先させた。結果、とうとう堪忍袋の緒を切った部下たちが造反、役員会議で康平を解任してしまう。

 同時に観光バス事業も見なおされ、和子は島原での職を失う。福岡に帰ろうと、駅に向かった彼女を、康平がふたりの子供たちと共に待っていた。バスガールの指導の傍ら、康平の子供たちの面倒を見て信頼を得ていた和子に、康平は求婚する。逃げた前妻が籍を抜かなかったため、事実婚の形ではあったが、こうして和子は宮崎康平の妻となった。

 増水により発見された石器類から、邪馬台国が九州にあることを確信した康平は、和子の助けを借りてその研究に没頭する。だが、その道程は決して平坦ではなかった……

[感想]

 日本人ならば知らない人がいない、というぐらい人口に膾炙した、歴史の大きな謎である“邪馬台国”は、だがかつてはさほど有名な存在ではなかった。それを世間に認知させ、多くの人々を謎解きに奔走させるきっかけを作ったのが、本篇の主人公のひとりである宮崎康平であり、彼が妻と共に著した、本篇と同題の書籍であった。

 同じ題名を冠しているが、しかし本篇は宮崎康平の著書の忠実な映画化ではない。夫妻がこの書籍を著すに至った過程をもとに、一部の事実を抽出して採り入れつつ、新たに創作したフィクション、ということになるようだ。従って、邪馬台国の謎解きにのみ興味を惹かれて観ると、かなり違和感を覚えるだろう。

 中心となって描かれているのは、宮崎康平という一風変わった傑物と、それを支えた妻が出逢い、邪馬台国の探求を通じて絆を強めていく姿だ。序盤では、キーワードとして“邪馬台国”という単語は出てくるし、康平という人物の背景として歴史や考古学に関する要素が絡んでくるが、あくまでふたりが夫婦となっていく過程を辿っている。

 この序盤、島原鐵道の経営に携わる宮崎康平の人物像は実に破天荒だ。盲目ながら、世の中との付き合い方をよく理解しており、まるで目が見えているかのように活発に歩き回る。頑固者で自らの言葉に固執し、かなり乱暴な人の扱い方をするが、しかしそれぞれの人柄をよく承知しており、随所で繊細な心遣いも示す。虚構も大幅に盛り込まれているようだが、実際に似たような武勇伝を多数持つ宮崎康平という人物を、個性派俳優である竹中直人が見事に演じきっている。

 そして、そういう人物を支えるに相応しい人柄を見事に体現した吉永小百合も、さすがの名女優ぶりを示している。序盤、三十代前半くらいと思しい和子を演じているあたりにはやはり無理が色濃いが、それでも若いなりの溌剌とした雰囲気をちゃんと表現しているし、年齢を重ねてからのチャーミングさは、他の女優には易々と出せるものではない。自由奔放で我が儘に映る夫に、決して単なるお追従ではなく、きちんと節度をもって付き添い手助けする姿には、充分すぎる説得力があった。

 島原鐵道を逐われたのち、康平は邪馬台国の謎解きに精力を注ぐが、盲目ゆえにすべてを資料に頼ろうとした彼を、妻は自らの脚で現地を巡るように促す。そうして、夫婦の旅に折り重なる形で描かれる、西九州の情景の数々もまた、本篇の大きな魅力となっている。主題からはやや外されたとはいえ、康平の口から語られる歴史を背負った自然の姿は、単なる背景としてではなく、存在感と拡がりをスクリーンから伝えてくる。堤幸彦監督ならではの独特のカメラワークは今回抑え気味だが、それでもゆっくりと動き続ける、癖のある構図がこうした背景をも作品の中に自然に取り込んでいる。

 ただ、そうして夫婦の物語と、それを軸とした情景描写に意味のある作品と承知していても、部分的に趣旨にブレが生じていることもまた否めない。基本的にフィクションという位置づけながら、台風における災害や吉川英治文学賞を獲得した経緯など、モデルとなった実在の宮崎夫妻のエピソードを随所に盛り込んでいるために、しばしば焦点が定まらなくなっているのだ。

 こと、そういう印象を強めているのが、折に触れ描かれる佐々木一馬という青年と、バスガールとして和子と親交を持つ玉子のエピソードである。当初は労働組合員として康平と敵対した一馬は、康平が解雇されたあたりから転変の激しい人生を送るようになる。随所で点綴されるその姿が、直接康平と和子の物語に関わってこないだけに、観ている側で位置づけに困惑する。

 だが最後には、このふたりの存在も、康平と和子という夫婦の物語に奥行きを齎していく。詳述はしないが、エピソードが積み重なるにつれて、この若い男女の物語が、和子の来歴と二重写しになって映るようになる。そして、そのあとにあるからこそ、クライマックスのひと幕が胸に沁みるのだ。

 歴史の謎を解く、という作業の魅力と困難もきちんと描いているが、しかしやはりそれは主題ではない。あくまで本篇は地味ながら着実な積み重ねによって築かれる夫婦の絆を描き、ひいては家族というものの姿を描き出した物語なのだろう。派手さはないものの、美しいヴィジュアルと誠実な表現が記憶に強く刻まれる、いい映画である。

 余談だが、本篇のもととなった書籍の著者・宮崎康平は生前、歌手のさだまさしと親交があった。さだファンにとっては常識に類する話であり、本篇の映画化の噂を聞いたときから私は密かに、主題歌、あるいは音楽という形でさだまさしが携わることを期待していたのだが、それは叶わなかった。正直なところそれが不満だったが、完成した作品を観たあとだと納得できる。さだまさし宮崎康平に評価されたという曲『まほろば』にしても、康平の死に際して捧げた曲『邪馬臺』にしても、作品の雰囲気にあまりにそぐわない。

 しかしさすがに誰かがそのあたりは承知していたと見えて、本篇のパンフレットにはちゃんとさだまさしがコメントを寄せ、『邪馬臺』の歌詞を引用もしている。興味のある方は劇場にて鑑賞の際、併せてパンフレットもご購読いただきたい。

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