『13日の金曜日』

『13日の金曜日』

原題:“Friday the 13th” / 監督:マーカス・ニスペル / キャラクター創造:ヴィクター・ミラー / 原案:ダミアン・シャノン、マーク・スウィフト、マーク・ホイートン / 脚本:ダミアン・シャノン、マーク・スウィフト / 製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラー、ショーン・カニンガム / 製作総指揮:ブライアン・ウィッテン、ウォルター・ハマダ、ガイ・ストーデル / 撮影監督:ダニエル・C・パール / プロダクション・デザイナー:ジェレミーコンウェイ / 編集:ケン・ブラックウェル / 音楽:スティーヴ・ジャブロンスキー / 出演:ジャレッド・パダレッキ、ダニエル・パナベイカー、アマンダ・リゲッティ、トラヴィス・ヴァン・ウィンクル、アーロン・ヨー、アーレン・エスカーペタ、デレク・ミアーズ / プラチナ・デューンズ製作 / 配給:Paramount Pictures

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:菊地浩司 / R-15

2009年02月13日日本公開

公式サイト : http://www.friday13.jp/

TOHOシネマズ錦糸町にて初見(2009/02/13)



[粗筋]

 1980年、クリスタル・レイクという鄙びたキャンプ地で、ひとりの少年が溺死する、という事件が起きる。その母親は監視人達を逆恨みして襲撃、大量殺人に及んだが、最後にはひとりの女性の逆襲に遭って、事態は終息した。

 ――それから数十年。

 閉鎖されていたクリスタル・レイクを、数人の若者たちが訪れた。だが、若者たちはそのまま行方をくらまし、警察の捜索も虚しく6週間が過ぎてしまう。行方不明となった若者のひとり、ホイットニー(アマンダ・リゲッティ)の兄・クレイ(ジャレッド・パダレッキ)は、闘病の挙句亡くなった母の葬儀にも妹が現れなかったことを訝しがり、クリスタル・レイク周辺でひとり捜索を続けた。

 クレイが接触した人間の中に、クリスタル・レイクの湖畔に別荘を持つトレント(トラヴィス・ヴァン・ウィンクル)とその友人達がいた。トレントは友人達を招いて週末のヴァカンスを楽しむつもりでおり、クレイが心当たりについて訊ねても取り合わない。だがただひとり、トレントにずっと言い寄られていたジェナ(ダニエル・パナベイカー)は、トレント達の退廃的な言動に対する反感もあってクレイに同情し、反対側の湖畔を捜す、という彼についてきた。

 やがてクレイとジェナが辿り着いたのは、トレントたちの別荘とはまるで趣の異なる、朽ち果てたキャンプ場。クレイ達はまだ気づいていない――その片隅にある廃屋に、ひとりの悪鬼が棲みついていることに。

[感想]

 この題名と“ジェイソン”という名前にまるで聞き覚えがない、という人はそんなにいないだろう。ホラー映画というジャンルにおいて1つの大きな象徴と化している作品とキャラクターを、リメイクしたのが本作である。

 伝説的な作品を作り直すにあたって、やはりホラー映画における里程標的傑作『悪魔のいけにえ』を焦げついたような映像とトリッキーなカメラワークを用いてリメイク、成功を収めた『テキサス・チェーンソー』とほぼ同じスタッフが顔を揃えている。その点からも察せられる通り、巧みにツボを押さえた、極めて完成度の高いホラー映画に仕上がっている。

 ただ、『テキサス・チェーンソー』がオリジナルの備える“屈折した美学”を咀嚼して、独特のムードに彩られた新しい傑作に昇華しているのに較べると、本篇はどうも素直すぎる印象を受ける。カメラワークのユニークさはなりをひそめ、中心となる登場人物たちとその行動は若者主体のホラーの典型のまま。建物の意匠やアイテムにこれといった新味はなく、果ては途中で描写されるジェイソンの隠れ家にあるものも、独自の美学などを感じさせるものではない。全般に、あまり強く目を惹く部分がないのだ。ホラーに哲学や、個性的なムードを求める向きは、かなり物足りなさを感じるだろう。

 だがそれでも私が本篇を秀作と呼ぶのは、典型に徹しながら、決して退屈な代物にしていない、実によく弁えた演出があるからだ。

 本篇における悪役の殺害手段は、率直に言って、全般にあまり工夫を凝らしたものではない。クリスタル・レイクでボート遊びをしていた女性の殺され方はグロテスクなおかしさがあったが、あとはストレートな印象が強い。しかし本篇は、そうしていちど行った殺害方法を意識的に仄めかすような表現を盛り込んで、殺戮の瞬間よりも重い恐怖を演出し緊張感を繋いでいる。手法としてはストレートながら、これが最後まで徹底されており、目を離させないのだ。

 意識してホラー映画の“お約束”を踏襲しているのも、徹底ぶりという意味ではむしろ賞賛すべき点であろう。最初から自発的に動いている人間はなかなか死なず、逆に脳天気に情事に耽ったり快楽を貪っている者は、恐怖を認識する間もなく殺されて、ほかの者がより強烈な恐怖を味わうためのエッセンスの役割を果たす。そうして定石を辿った上で演出に工夫を凝らしているから、哲学や殺人鬼の行為に潜んだ哀しい動機など、背景について考えたり悩んだりする必要なく、観ているあいだ絶え間なく恐怖を堪能できる。すれっからしからすれば、そのストレートさ自体が魅力として映るはずである。

 恐怖を演出するうえでの効果を認めつつも、もっと丁寧に伏線を張れば更に強烈な出来になったのではないかと感じられるし、また最後の最後まで戦慄を齎そうとする心意気は解るがさすがに終盤の展開には無理がありすぎることなど、引っ掛かる点はあるが、全体として極めてよく作られたホラー映画であることに間違いはない。普段ホラー映画に親しんでおらず、ちょっと怖がってキャーキャー叫びたいという人、また逆に凝った作品や妙に映像センスを振りかざした作品でなくストレートなホラー映画を楽しみたい、という方には安心してお薦めできる――ホラー映画を“安心して”薦める、という行動自体が間違っている気もするが。

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