『ヘブンズ・ドア』

『ヘブンズ・ドア』

原作:映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』 / 監督:マイケル・アリアス / 脚本:大森美香 / オリジナル脚本:トーマス・ヤーン、ティル・シュヴァイガー / プロデューサー:宇田充、関口大輔、原藤一輝 / エグゼクティヴ・プロデューサー:豊島雅郎、亀山千広藤島ジュリーK. / 撮影監督:小松高志 / 美術:岩城南海子 / 装飾:松田光畝 / 照明:蒔苗友一郎 / 編集:武宮むつみ / 録音:石貝洋 / 音楽:Plaid / 主題歌:アンジェラ・アキ『Knockin’ on Heaven’s Door』(Epic Records Japan) / 出演:長瀬智也福田麻由子長塚圭史大倉孝二和田聰宏黄川田将也吉村由美土屋アンナ薬師丸ひろ子田中泯三浦友和 / 配給:Asmik Ace

2009年日本作品 / 上映時間:1時間46分

2009年02月07日日本公開

公式サイト : http://h-door.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/02/19)



[粗筋]

 フリーターとして職を転々としていた青山勝人(長瀬智也)の人生は、ある日突然一変した。勤めていた自動車修理工場をいきなり解雇され、給料明細と一緒に手渡された健康診断の結果に記された“要再検査”の文字に導かれて訪れた病院で、脳腫瘍を指摘された。腫瘍の位置と大きさはもはや手の施しようがなく、余命は数日。

 事態が認識しきれないまま、ともかく勝人は入院することになった。もう気にすることもないと、勝人は禁煙の病室でも煙草に火をつけようとしたところ、突然現れた人影に煙草を掠め取られる。だが盗人はその晩の消灯後、奪った煙草を携えて、勝人の元に姿を現した。

 盗人の名は白石春海(福田麻由子)。勝人の半分の歳だが、病院の主と呼ばれるほど長い間入院し、最近になって骨肉腫を併発して、遂に余命1ヶ月を宣告された。互いの境遇を知って意気投合したふたりは、勝人の前に入院していた人物が残したテキーラを病院の厨房で楽しむ。

 半ばヤケになって酒を酌み交わしているうち、ふと勝人が口にした「天国ではみんな海の話をする」という言葉に、春海は自分が海を見たことがないと告白した。まるでそれが当然の成り行きのように、勝人は春海に提案する。じゃあ、今から見に行くか。

 深夜の病院を抜け出したふたりの前に折良く、鍵のついた高級車が駐まっていた。持ち主らしき男が追ってくるのにも構わず、ふたりは酔いの勢いに任せて車を走らせる。目指すは、西にある海。

 だが、勝人達は知らなかった――自分たちが盗んだ車が、どれほど危険な代物なのか。そして無一文で旅に出たふたりは、成り行きから罪を犯し、警察からも追われる羽目になる。果たして彼らは無事に、海に辿り着けるのだろうか……?

[感想]

 余命を宣告されたふたりが罪を犯しながら海を目指す、というセンチメンタルな筋書きを仄めかせる予告編に惹かれていずれ鑑賞するつもりでいたが、いざ観に行く直前にネットでのレビューをちらちら覗いてみると、思いの外評判が芳しくない。期待を抑えつつ劇場に足を運んだのだが、聞くほど悪い印象は受けなかった。

 とはいえ、文句をつけたくなる気持ちは解る。いちばんいけないのは、追う側の行動があまりに非合理的であることだ。

 粗筋のあと、図らずも強盗を働き警察に追われるようになった勝人と春海は、泊まったホテルでサイレンの音を聞いて警察の訪れを知り、警官の制服を奪うなどして脱出する。手段そのものは有り体だしコメディとして成り立っているが、そもそも警察は、潜伏している人間を逮捕するためにサイレンを鳴らして現場に赴くことはあり得ない。対象者に感づかれるし、そもそもホテルで捕物をやる場合は宿泊者に配慮して、制服警官を遣わすにしても相当目立たないようにするのが常識のはずだ。幾らコメディ的に仕立てている、と言っても無理が過ぎる。

 またもう一つの追っ手である大企業にしても、追跡を命じる社長の言葉と行動がいまいち一致していないのが引っ掛かる。金銭第一主義、という部分こそぶれていないが、合理性を強く訴えるわりには、終盤の行動はあまりに信念と乖離している。その前後の成り行きも含めて、原因と結果とが巧く噛み合っていないところが多すぎるのだ。どうも釈然としない気分に陥り、点数を低く見積もる人が多いのも頷ける。

 ただこの作品は、あくまでオフビートなコメディを志向しており、更にその外枠を眺めれば、死を巡るファンタジーという説明が出来る。どういう理由で、どんな手続きを踏んで追われているか、という説明に執心するのではなく、死を目前にしたふたりが、偶然の齎すプレゼントを携えて、残り僅かな命を謳歌する姿を描くことこそが主題なのだ。そこで変にリアリティを振りかざしても似合わない。キャラクターや雰囲気はきっちりと確立しつつも、細部を敢えて雑にしているのが、本篇の場合は正しい選択と言えるだろう。そこを受け入れられるか受け入れられないか、で評価が大きく割れてしまうのは疵だが、少なくともそういう意図があるという前提で眺めれば、決してぶれてはいない。

 空想的なムードを重視するがゆえだろう、あまりドロドロとした感情の奥深くに潜りこもうとせず、全体に表現は引き気味だ。普通に考えれば重要な鍵となりそうな、春海と母親との関係性にあまり踏み込んでいかないし、大事な場面で気取った台詞を用いたり、過剰に自分語りをさせることもない。

 死を扱いながらウエットになりすぎず、かといってドライにも陥らない匙加減を保っており、似たようなテーマを備えた作品と並べてみると非常にユニークだ。恐らく、粗筋を聞いて感動的な作品を期待して劇場に足を運んだなら、失望する可能性が高いだろう。

 だがその代わりに、雰囲気はとても巧く醸成されている。凝った構図や巧みな音楽の使い方、絵画的な色遣いなど、如何にもアニメーション出身らしい映像のセンスとも相俟って、全篇が不思議と快いムードに包まれているのだ。

 全体に御都合主義に展開しているように見えるが、しかし大事な場面での言動については常に心理的伏線を用意してあり、非現実的な部分を除くと意外と脚本に芯があるのも好感が持てる。とりわけ、こうした伏線と絡む形で、全般に淡泊なキャラクターの中にあってひとり飄々と存在感を発揮する三浦友和がいい味わいを添えていることにも注目したい。

 お伽噺的、と説明するにしても細部が適当すぎる印象は否めず、これでリアリティの部分にも文句をつけられない作りをしていれば傑作になったのでは、という嫌味はある。伏線は丁寧だが、それを踏まえても若干安易な構成になっていることも事実だ。しかし、そうした疵も込みで、妙に愛着の湧くタイプの作品であると思う。何より、ほとんど音のないラストシーンの美しさは出色で、あの結末から逆算すれば、実にしっくりする物語になっている。そう言われても、観た上でやっぱり評価できない、という人は多いだろうが、少なくとも私は楽しめた。

 ……と、否定的見解込みでも個人的には好感を抱いた、と言える作品なのだが、ひとつだけ、どうしても気にくわないところがある。

 それは主題歌の日本語詞である。本篇の元となったドイツ映画の題名にもなっている『Knockin’ on Heaven’s Door』にアンジェラ・アキが自ら日本語詞をつけ歌唱したもので、歌唱力やアレンジには異を唱えるつもりはないのだが、日本語としての遊びを加えた歌詞がどうも軽く聴こえてしまうのだ。

 繰り返すが、歌唱力もアレンジも否定するつもりはない。むしろ力はあるのだから、原語のまま歌っても良かったと思うのだが。

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