『バーン・アフター・リーディング』

『バーン・アフター・リーディング』

原題:“Burn After Reading” / 監督・脚本:イーサン・コーエンジョエル・コーエン / 製作:イーサン・コーエンジョエル・コーエン、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー / 製作総指揮:ロバート・グラフ / 撮影監督:エマニュエル・ルベツキ / プロダクション・デザイナー:ジェス・ゴンコール / 編集:ロデリック・ジェインズ*1 / 衣装:メアリー・ゾフレス / 音楽:カーター・バーウェル / 出演:ジョージ・クルーニーフランシス・マクドーマンドブラッド・ピットジョン・マルコヴィッチティルダ・スウィントンリチャード・ジェンキンス、エリザベス・マーヴェル、J・K・シモンズ / 配給:GAGA Communications×日活

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:石田泰子 / RG-12

2009年4月24日日本公開

公式サイト : http://burn.gyao.jp/

TOHOシネマズスカラ座にて初見(2009/04/24)



[粗筋]

 ヴァージニア州、ラングレー、CIA。いつものように出勤した情報分析官のオズボーン・コックス(ジョン・マルコヴィッチ)を青天の霹靂が襲った。天職だと思っていた今の任を解いて、別の部署に移す、というのである。突然の提案、しかも理由は自分の飲酒問題、と言われて逆上したオズボーンは、お情けは不要、とばかりに自ら職を辞した。

 オズボーンから事情を聞かされた妻のケイティ(ティルダ・スウィントン)はしばし言葉を失う。実は彼女、とうの昔に夫に愛想を尽かし、ある男と不倫の関係に陥っていた。オズボーンはコンサルタントとして食いつなぎ、いずれは自らの経験を手記にまとめ出版して稼ぐ、と言うが、夫に文才があるなどとこれっぽっちも信じていないケイティは、離婚に向けた準備を進める。

 そんなケイティの話を聞いて、内心青褪める男がいた。ケイティの不倫相手、財務省勤務の連邦捜査官ハリー・ファラー(ジョージ・クルーニー)である。実のところハリーには、妻サンディ(エリザベス・マーヴェル)と別れる気などこれっぽっちもなかった。その上彼は無類のエロマニアで、最近は出会い系サイトにハマり、手当たり次第に女を食いまくっている。ケイティ1人で満足などするはずがなかった。

 やがて、無自覚のうちに異様な緊張状態に陥ったこの人々のあいだに、更に無自覚に一石を投じる者が現れる。とあるトレーニング・ジムのトレーナー、チャド・フェルドハイマー(ブラッド・ピット)であった。

 きっかけは、彼の勤めるジムの更衣室で発見された、1枚のCD-ROM。パソコンで中身を確かめたチャドは、それがCIAの機密情報だと直感し、大騒ぎした。ジムの所長テッド・トレフォン(リチャード・ジェンキンス)は返還のしようがなく扱いようもないので処分するべきだ、と諭すが、すっかり夢中になったバカ、もといチャドは聞く耳を持たない。伝手を頼ってディスクを詳細に調べ上げ、ある晩、仲のいい同僚リンダ・リツキ(フランシス・マクドーマンド)のもとを訪れると、持ち主と連絡先が解った、と言い、謝礼金目当てで電話を掛ける。その相手は、誰あろう――オズボーン・コックスだった。

[感想]

ノーカントリー』にて遂にアカデミー賞の栄冠に輝いたコーエン兄弟の待望となる最新作は、ストイックなノワールであった前作から一転、従来のスタイルへの回帰を思わせるクライム・コメディである。

 もともとは、彼らと共に仕事をすることを望んだ名優達に、どんなキャラクターを演じさせたいか、というところから出発した企画だったそうだ。その結果を目の当たりにすると、唸らざるを得ない。さすがコーエン兄弟、少し頭がおかしい(褒め言葉として)。

 コーエン兄弟の作る映画のキャラクターはどこかピントがずれていたり、やたらと突き抜けた性格であることが多いが、本篇はあり得ないんじゃないかと思うくらいマヌケでお馬鹿な人ばかりだ。ジョン・マルコヴィッチ演じるCIA職員はまだ少々現実認識能力が足りない、ぐらいの印象だが、ティルダ・スウィントン演じるヒステリックな妻の視点が入るとマヌケさが強調されてくる。そんな彼女が密通し、いずれはパートナーとなるつもりでいる相手は、ジョージ・クルーニー扮するハリー・ファラーだが、こちらは見た目こそダンディだが中身は軽薄なスケベ男だ。

 登場人物がひとり、またひとりと増えていくごとに事態は滑稽の度を増していく。初登場のときから一貫して何かを企んでいそうだったり、超然としているようでいて単に動揺しているだけだったり、大きなブレのない人物がいる一方で、強烈な変化を見せるのが、ブラッド・ピットが演じるチャド・フェルドハイマーと、フランシス・マクドーマンドのリンダ・リツキだ。

 当初、チャドのほうがCD-ROMの持ち主の割り出しに熱心で、ふざけ半分で金を要求しようとするが、ことが脅迫に及んだ途端、リンダのほうが積極的になる。リンダは独り身を脱するために、全身整形で身体を造り替えることに賭けているが、保険は利かず、トレーニング・ジムの薄給では費用を賄えない。単にノリだけで持ち主捜しをしていたチャドは急に攻撃的になった友人に戸惑いながら、彼女の言うことに唯々諾々と従うようになる。行動がお馬鹿なので悲愴感は全くないが、最初とまったく立場がひっくり返ってしまっているのが実に可笑しい。

 そうした変化は大なり小なり、すべての登場人物に生じていき、話はどんどんこんがらかっていく。物語の序盤ではまったく関わりの無かった者同士が交錯し、異常な方向へと話を発展させていく様は、いっそ戦慄を覚えるほどだが、あまりの成り行きに渇いた笑いが込みあげてくる。登場人物それぞれの個性や考え方、信念を無駄なく配置し、一見奔放だが用意された主題へとひた走っていく語り口は、恐怖するくらいに完璧だ。『ノーカントリー』の透徹した暴力表現とは別種の、コーエン兄弟“らしさ”が横溢している。

 だが、それだけで済まないのも彼らのユニークなところで、プログラムによると本篇はジェリー・ブラッカイマートニー・スコットが作る娯楽大作を意識した部分があるそうだ。言われてみればなるほど、オープニングあとにCIA本部が登場する箇所ではそれっぽいテロップを挿入している、なのにそのあと一切使わずじまいだったり、派手なアクションやサスペンスが期待できそうな表現を組み込む、くせに逆にあっさりと話を片付けてしまったり、と随所で娯楽大作を意識しながら外す、という真似をやっている。出演者のギャラを捻出するのが精一杯で火薬とかセットとか組む余裕がなかったから、という言い訳さえ用意していそうで、本当に小憎らしい。

 恐ろしく計算し尽くされた作りなのだが、その意図した着地点が着地点なので、狙いが解らなかったという人、狙い自体が腑に落ちない、という方は不満を覚えるだろう。そういう意味で、かなり人を選ぶ作品だと言えるが、主題を完璧に貫きとおしている点で、
本篇は紛う方なき傑作だ。楽しめない方もあるだろうが、そーいうものなのだ、と納得していただくほかない。

 どうも何処が笑いどころだったのか、何を楽しめばいいのか解らなかった、という方は、とりあえずCIAが本篇の中でしたことをざっとリストアップしてみるといい。もしその結果、口許が緩んでしまったなら、あなたは多分とうの昔に本篇の仕掛けた網にかかっている、と気づくはずだ。

関連作品:

ノーカントリー

ベンジャミン・バトン 数奇な人生

チェンジリング

フィクサー

バーバー

コメント

タイトルとURLをコピーしました