『戦場でワルツを』

『戦場でワルツを』

原題:“Vals im Bashir” / 英題:“Waltz with Bashir / 監督・製作・脚本・出演:アリ・フォルマン / 製作:セルジュ・ラルー、ヤエル・ナフリエリ、ゲルハルト・メイクスナー、ロマン・ポール / 美術監督イラストレーター:デヴィッド・ポロンスキー / アニメーション監督:ヨニ・グッドマン / 視覚効果監修:ロイ・ニツァン / 編集:ニリ・フェレー / サウンドデザイン:アヴィヴ・アルデマ / 音楽:マックス・リヒター / 出演:ボアズ・レイン=バスキーラ、オーリ・シヴァン、ロニー・ダヤグ、カルミ・クナアン、シュムエル・フレンケル、ロン・ベン=イシャイ、ドロール・ハラジ、ザハヴァ・ソロモン博士 / 配給:TWIN、博報堂DYメディアパートナーズ

2008年イスラエル、フランス、ドイツ、アメリカ合作 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:杉山緑 / 字幕監修:川野晴司 / PG-12

2009年11月28日日本公開

公式サイト : http://www.waltz-wo.jp/

シネスイッチ銀座にて初見(2009/11/28)



[粗筋]

 映画監督のアリ・フォルマンは旧友ボアズ=レイン・バスキーラから奇妙な夢の話をされる。26匹の犬が彼のマンションの下に集まり、階上の彼に吠えたてる、というものだった。26匹、という中途半端な数字に違和感を覚えたアリに、ボアズはそれが19歳のとき従軍したレバノン戦争での経験が影響しているという。既にあの出来事から20年以上を経たというのに、いま何故そんな夢を見るようになったのか。

 しかし、ボアズの話を聞かされたアリは、異様な現実に気づいた。ボアズらと共にレバノン戦争に従軍していたアリだが、その頃の記憶があまり残っていないのである。だが、ボアズから話を聞き、別れた直後に突如、ひとつの光景が瞬いた。夜、西ベイルートの海岸で泳いでいたアリと戦友たちが、街に落ちてくる照明弾を見つける。軍服を身に着けて歩いていくと、逃げ惑う人々とすれ違っていく、そんな一連の光景であった。

 だがあれは本当に目撃したものだったのか。あの戦友たちは、本当に自分と一緒に海で泳いでいたのだろうか? 友人の映画監督であり、私設臨床精神科医としても活動しているオーリ・シヴァンは、集まった情報から誤った記憶を生み出すことはよくある、として、どうしても確かめたいのなら、当時の戦友たちから話を聞いて、事実をすり合わせるべきだ、と提案する。

 アリは当時、同じようにレバノン戦争に派兵されていた友人たちを訪ね、その記憶を確かめはじめた。ひとつひとつ異なる鮮烈な記憶、その狭間から少しずつ、アリ自身の記憶も炙り出されていく……

[感想]

 本篇は実際の体験、談話に基づくドキュメンタリーである――だが、全篇をアニメーションで描くという、ドキュメンタリーでは特異な表現手法のために、世界的に話題を振りまき、各地で様々な賞に輝いている。

 しかし、ネームヴァリューという意味でいちばん大きかった、アカデミー賞外国語映画部門は、当初本命視されていたにも拘わらず、本邦の『おくりびと』に奪われてしまった。このことに首を傾げる人もいたようだが、私は実物を観て、納得がいったように思う。

 そもそも『おくりびと』には、ここ数年のアカデミー賞、特に外国語映画部門に顕著な傾向にぴったりと当て嵌まっていた、という有利な条件があったが、それでも極めてレベルの高い本篇が後塵を拝したのは、ドキュメンタリー映画ゆえの、長篇にするとどうしても全体が平板になり退屈になってしまう、という欠点を乗り越えられなかったからだろう。

 はじめのうちはアニメーションでのドキュメンタリーというユニークな手法、それ故の独特の語り口で牽引していくが、何人かインタビューを重ねていくうちに、決まった流れが生まれてしまう。ドキュメンタリー映画に特有の、一貫した筋を組み立てにくい、という欠点については、アリ・フォルマン監督の失われた記憶を探る、という趣向が多少は補っているが、彼が経験したはずの出来事の大枠は歴史の中で、ひいては登場人物の言葉の中で早いうちに語られてしまうので、どうしても充分な牽引力となり得ていない。

 各個人が語る戦争経験が、それ自体が決して軽くないことは事実ながら、フィクションにおける戦争を多く見届けてきた目には、さほど意外でも驚きのものでもないのが、余計平板な印象を強めている。戦車に乗って半ば物見遊山の気分で行軍中襲撃に遭い、横で暢気に歌っていた同僚がいきなり沈黙し、すぐさま戦車が一斉砲火を浴びて、その語り手は海に泳ぎ出て辛うじて助かった――というくだりは、確かに一個人の経験として捉えれば衝撃的だが、物語としては決して珍しくない。最初の移動中の描写で、あとの展開も窺い知れてしまうのだから、余計に退屈さを感じさせてしまう。

 だが、ドキュメンタリーをアニメーションで表現する、というアイディア自体は出色であるし、表現として成功していることは間違いない。もしこれを本物の映像のみで綴ろうとすれば、監督と数名の男性達が延々戦争経験について語り合うだけの、いっそう退屈な代物になっていた危険は大きいし、全体としての起伏や臨場感を添えるために戦場の再現映像を盛り込んだところで、インタビュー部分での言葉の重みに釣り合った出来になるとは限らない。その点、インタビューの部分も戦場の再現もすべて一律でアニメーションとして描いた本篇は、両者のリアリティがほぼ均一化されており、不自然さが皆無なのだ。

 また同時に、アリ監督や他の関係者の、現実でないことは確かだが、まるで経験したかのような偽の記憶、幻覚の類も、同じトーンで綴っており、本篇の主題のひとつでもある記憶の曖昧さ、経験が人間にもたらす衝撃というものを、本人の語りや単なる実写での再現映像よりも遥かに解り易く観るものに伝える。

 疑似体験、という意味で、本篇の表現手法が最も強烈に効果を発揮するのは、ラストシーンである。恐らくこのとき、ほとんどの観客が。自らの記憶を辿る旅の終点に辿り着いたその瞬間の監督の心情を追体験しているはずだ。表現手法と作品全体の主題がぴったりと重なって観るものを震撼させるこの結末を味わうだけでも、本篇を観る価値はある。

 前述のように、基本的にドキュメンタリーであるが故の平板な退屈さからは免れていないし、ラストの衝撃こそ明白でも、多少はイスラエルの戦争史についての知識が必要になる点や、解釈を観客に委ねている部分も多いので、きちんと描写に分け入って解釈する積極性がなければ楽しめないだろう。しかしそれでも――いや、だからこそ、と言うべきか――本篇がとんでもなく高い志で作られ、見事に反映させることに成功した傑作であるのは確かだ。

関連作品:

キプールの記憶

スキャナー・ダークリー

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