『リバー・ランズ・スルー・イット』


原題:“A River Runs Through It” / 原作:ノーマン・マクリーン / 監督:ロバート・レッドフォード / 脚本:リチャード・フライデンバーグ / 製作:パトリック・マーキー、ロバート・レッドフォード、アメリア・マトー / 製作総指揮:ジェイク・エバーツ / 撮影監督:フィリップ・ルースロ / プロダクション・デザイナー:ジョン・ハットマン / 編集:ロバート・エストリン、リンジー・クリングマン / 衣装:キャシー・オリアー、バーニー・ポリアック / キャスティング:エリザベス・ルースティグ / 音楽:マーク・アイシャム / 出演:クレイグ・シェーファー、ブラッド・ピット、トム・スケリット、ブレンダ・ブレッシン、エミリー・ロイド、エディ・マクルーグ、スティーブン・シェリアン、スーザン・トレイラー、ジョセフ・ゴードン=レヴィット / 配給:東宝東和 / 映像ソフト発売元:TWIN
1992年アメリカ作品 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:戸田奈津子 / PG12
1993年9月4日日本公開
2012年7月13日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
劇場にて初見(鑑賞日不明、日本公開当時)
Blu-ray Discにて再鑑賞(2020/04/19)


[粗筋]
 ノーマン・マクリーン(クレイグ・シェーファー)が長老派の牧師である父(トム・スケリット)から学んだのは、文学者としての素養と、フライ・フィッシングの作法だった。
 雄大な自然に囲まれたモンタナ州で生まれ育ったノーマンは、父の薫陶もあり、休みのたびに弟のポール(ブラッド・ピット)と連れ立って川釣りに出かけていた。盛り場で荒っぽい生き方も覚えながら、信仰と釣りを通して家族との絆を確かめていた。
 父が僅かな収入を顧みず背中を押したことで、ノーマンはダートマスの大学に進み詩を学んだ。モンタナを離れて6年を経た1926年、学業は修めたものの、まだ就くべき職を見いだせずにいたノーマンは久々に帰郷する。夏のあいだ、以前に働いていたことのある森林局を手伝い、それから教職の口を探すつもりでいた。
 ノーマンと違い地元の大学を卒業し、新聞社に職を得たポールはその頃、地元では名の知られた存在になっていた。ノーマンがダートマスで竿を持つこともないそのあいだにもポールは経験を重ね、父の教えをも飛び超え釣りの名手の域に達しつつあった。
 だがその一方、血気盛んで挑戦的なポールはしばしば問題も起こしているらしい。交際しているネイティヴ・アメリカンの女性を、出入りの禁じられた酒場に伴い、闇ポーカーの場で揉め事を起こして警察の留置場の常連にもなっていた。
 見かねて忠告するノーマンの言葉にも、ポールは耳を傾けようとしない。だがそれでも、フライ・フィッシングは彼ら兄弟の絆であり続けた――


『リバー・ランズ・スルー・イット』予告篇映像より引用。
『リバー・ランズ・スルー・イット』予告篇映像より引用。


[感想]
 私が映画をやたらと観まくるようになったのは21世紀に入って以降のことだが、それ以前にも何らかの理由で鑑賞した映画が何本かある。記憶にすら残っていない作品もあるが、強い印象を残したものは、振り返って考えると、私の嗜好に大きな影響を及ぼしたらしい。そんな、忘れがたい作品のひとつが本篇だった。
 当時から鮮烈に記憶していたのは、フライ・フィッシングの映像と若きブラッド・ピットの美しさだ。流れる川面に分け入り、竿を閃かせて放つ釣り糸が描く軌道が光のなかで踊る、穏やかにして躍動感に満ちた映像。そして当時20代終盤だったブラッド・ピットの瑞々しいばかりの美しさが画面に映える。物語の詳細についての記憶は薄れても、これらのヴィジュアルがずっと脳裏に焼きついていて、私にとっての“美しい映画”の基準であり続けていた。
 たぶん四半世紀ぶりくらいにしっかりと鑑賞しなおしたのだが、改めて観ると、ドラマとしての味わいも極めて深い。
 本篇は作者であるノーマン・マクリーンが若き日の出来事を回想するかたちで綴られており、あくまで中心として描かれるのはノーマン自身の物語だ。だが、そこに絞っているからこそ、つかず離れず存在し影響を及ぼす家族の姿が穏やかに浮かび上がってくる。
 のちに英文学者となり、引退後に本篇のベースとなる小説を著すノーマンの資質は明らかに父によって育まれていることが解る。幼少の時分に父から文筆の手解きを受ける一方、フライ・フィッシングにも積極的に臨んでいる。その純粋すぎるほど素直な没頭ぶりが、父親の影響の大きさと、そのことへの敬意が窺われる。
 そして、それよりもノーマンに対して大きなものを残したのが弟のポールだった。ボートで滝を下る、という話になったとき、自分ひとりでもやる、と乗り出した弟に、ノーマンはあとから参加を決断した。ダートマスの大学に進み、将来について見定められずにいた約6年、ノーマンは釣りから離れていたが、久しぶりに会ったポールに誘われ、川に脚を運ぶ。自らが不在のあいだも研鑽を重ねたポールが、その竿裁きで芸術科の領域に踏み込んでいるのを目の当たりにしたことで、ふたたび釣りが当たり前の生き方に戻っていく。また、のちにノーマンが進路として英文学の教授を志し、やがて本書をはじめとする数篇の小説でアメリカ文学史にその名を残す存在となっていったのも、ノーマン不在のあいだにポールが新聞記者として、自らの文筆で生計を立てようとしていたことの影響と読み解くことも出来よう。
 それほどまでに意識し影響を受けていたと思われる弟にも拘わらず、本篇で描かれるふたりの姿には微妙な距離を感じる。劇中、ふたりが感情を強くぶつけ合うのはワンシーンのみ、実際に喧嘩をしたのもそのひと幕だけだったという。それほどに仲が良かったのも確かだろうが、意識して一定の距離を保っていたようにも映るのだ。
 そこには、ノーマンが薄々感じていた、ポールの人間的魅力に対する劣等感も滲んでいるようにも読み取れる。ノーマンは兄ではあるが、だからこそ、様々な点で弟が自分に優る器量を備えていたことをずっと意識していたのかも知れない。また他方で、そんな弟が生き急いでいるように感じていたのではなかろうか。彼が弟の死の報せを受け取り、両親に伝えるくだりには、哀しみと共に、どこか諦めともつかない奇妙な穏やかさが滲むのも、簡単には汲み取りきれない複雑な心情が関わっている。
 初見当時はそこまで考えたことはなかったが、本篇のドラマには、家族であればこそ踏み込むことの出来なかった一線が、取り返しのつかない事態を招いたことへの悔恨が含まれているようにも思える。ラストシーン、年老いたノーマンが、友人たちには制止されるが、と断りを入れながら未だフライ・フィッシングにのめり込んでいる姿は、そうした家族の歴史を蓄えた深い情感までもが織り込まれているからこそ、あんなにも美しく、強く記憶に残るのだろう。
 決して派手ではない。ドラマティックでもなく、何らかの教訓を齎すものではない。しかし、まるで他愛もない想い出を詰めこんだ宝箱のように、いつまでも慈しみたくなる、そんな傑作なのだ。きっとまた何年か後に、無性に観たくなる。

 ところでこの作品、ブルーレイで再鑑賞して驚いたことがふたつある。
 ひとつはオープニングのクレジットがすべてフランス語になっていた点だ。前にきちんと観たのが相当前なので断言はしかねるが、記憶している限り、公開時はちゃんと英語の表記になっていたはずだ。この長い空白のあいだに、フランスに権利が渡り、クレジットだけ修正されたものが、現在日本で販売されている映像ソフトのマスターになったのかも知れない。音声は英語のままなので視聴に問題はなかったが、何とも言えずムズムズとした気分になった。
 もうひとつは、若き日のノーマンを演じていたのが、ジョセフ・ゴードン=レヴィットだったことだ――観直して初めて気づいた。近年、活躍の場を広げている彼の姿に既視感を覚えたこともなかったのだが、いま観たら、幼いだけでまるっきり同じ顔だった。彼が演じた場面は冒頭の10数分程度だったので、記憶に残らなかったのも致し方ない、とも言えるが、なんだか申し訳ない心地がする。


関連作品:
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