凶悪

凶悪 『凶悪』

ビル・プロンジーニ木村二郎[訳]

Bill Pronzini“Hardcase”/translated by Jiro Kimura

判型:文庫判

レーベル:講談社文庫

版元:講談社

発行:2000年6月15日

isbn:4062648792

本体価格:762円

商品ページ:[bk1amazon]

 ビル・プロンジーニの代表的シリーズ「名無しの探偵」、約10年ぶりにして22作目の訳出である。解説に依ればシリーズは日本での刊行が停滞している間もほぼ年一冊ずつのペースで書き継がれており、本書の前には五作、あとにも四作の未訳長篇が存在しているらしい。

「わたし」は60を目前にしてケリーと入籍、年甲斐もない蜜月にはしゃぎ心機一転を気取っていた。そんな矢先に訪れた若い女性――メラニー・アン・オルドリッチの依頼内容は、彼女の本当の父母を捜すこと。養父母の相次ぐ物故により多額の遺産を引き継いだメラニーは、遺品の中から見つけた手紙と領収書から自分が養女であることを初めて知ったのだった。その調査の厄介さを理解しつつもメラニーの人柄を認めた「わたし」は依頼を引き受ける。アナログからデジタルへの変化に対応しきれずも、それとどうにか折り合いをつけようとデータベース捜査のための助手を雇ったりと苦しみつつ、「わたし」はメラニーの父母の痕跡を辿っていく。老人のような農村・マリーンズ・フェリー、余所者である「わたし」を歓迎せず、寧ろ過去を探る彼を忌まわしげに睨み口を噤む人々。乏しい情報を手繰り寄せながら「わたし」はやがて苦い結論に行き着く。だが、メラニーの出生の纏わる物語は、そこで終わっていた訳ではなかった……

 非常にオーソドックスなハードボイルド、というより私立探偵小説である。冒頭に「わたし」の私生活に大きな変化が生じたくだりが綴られるのは些か特異だが、そこから先はセオリーをなぞるように、「わたし」は調査依頼を受け、遠征し人々の言葉を引きだし、いつしか埋もれていた「悪意」を発掘する。

 常に革新を求める向きには恐ろしく退屈な組み立てと映るかも知れないが、寧ろだからこそ、決して感情に走りすぎずだけどドライになりきらず、着々と核心に歩み寄る「わたし」を描く手さばきの上手さが際立っており、評価し楽しむべきはその着実さではないのか、と思わせる。訳文もムードを壊さず安定した筆致を保ち、作品世界への没頭を助けている。こと文章面においてこれほど不満も不安もなかった一冊は近頃珍しいのではないか。

 ミステリとして見ると、あまりにあっさりしすぎているのが不満として残る。趣向を凝らしたトリックも結末まで天地をひっくり返すような意外性も、それどころか確たる謎もない、というのが実際だった。過去を探り真相を追い込んでいく過程が書きすぎずかといって淡泊にならず、そして終盤で積み上げた伏線を巧みに巻き取りつつサスペンスを演出する、その技術が作品を辛うじてミステリとして完成させており、結局見所はその「巧みさ」に尽きると言っていい。

 あれこれ語ったが、私は「名無しの探偵」シリーズとはこれが初の邂逅である。従って、作中で屡々語られる「わたし」や彼を取り巻く人々の過去とその描き方についてあれこれと批評できる立場にはないが、恐らくはそこまでに積み上げてきたもの重みが本書には確かに感じられ、それに起因する自信と深みが、構造の単純さに関わらず本編を魅力的なものにしているのだろうと、それぐらいは言っても憚りあるまい。そして、一つ一つの描写故に、ミステリとしてはともかく、上質のエンタテインメントとして成立している、と断言する。

 こうなると、既に入手が困難な新潮文庫及び徳間文庫発行のものは無論、空白の十数年間に刊行された最近の作品も順次訳出していただきたい。「わたし」や「わたし」と結ばれたケリーや離別したパートナー、「わたし」を助ける人々それぞれの過去の物語を改めて見せて欲しいものである。

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