外道忍法帖 忍法帖シリーズ(二)

外道忍法帖 忍法帖シリーズ(二) 外道忍法帖 忍法帖シリーズ(二)』

山田風太郎

判型:文庫判

レーベル:河出文庫

版元:河出書房新社

発行:2005年04月20日

isbn:4309407374

本体価格:850円

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 1961年から62年にかけて第五作『忍者月影抄』(河出文庫忍法帖シリーズ次回配本予定)とほぼ同時期に連載され、やや先んじて単行本化された忍法帖第六作。

 ことの発端は寛永十年、天正遣欧使節のひとりとしてローマに渡った経験を持つジュリアン中浦が拷問に斃れる前夜、クリストファ・フェレイラに対して遺した言葉にある。ジュリアン中浦はフェレイラが転教し公儀の人となることを予見しながら、彼に青銅の十字架を託す。それはジュリアン中浦使節がかのローマ法王から賜った百万エクーの金貨の在処の手懸かりとなる、十五個の鈴を秘所に隠した“十五童貞女”を探り出すためのものであった。その日から十六年後、沢野忠庵と名を変じたフェレイラが遂にその鈴に辿り着いたとき、切支丹殲滅を目論む松平伊豆守配下にあって一族の復権を願う天草党十五名、政府転覆を思い描く由比正雪手飼いの甲賀忍者十五名、そして謎の女・マリア天姫によって鈴と共に大友忍法を与えられた十五童貞女、三つ巴の戦いが始まる――<  だいたい登場人物の多い風太郎作品だが、本編は特に凄い。人物表を作って登場−退場を逐一チェックしたいくらいである。そうしないと、天草一党と由比組と十五童貞女、それぞれ何人登場して何人死んで残すところあと何名なのか把握できなくなる。半分過ぎたぐらいで既にもー何が何だか解らなくなってしまう。基本的に忍者一人につき必ず一個、得手とする忍法があるのもシリーズの特徴のはずなのだが、誰がどんな忍法を持っているのか解らず、それどころか披露さえ出来ないまま命を落とすものまでいる始末だ。スピード感は凄まじいが、ほかの作品とはちょっとテンポが異なる。

 本編の狙いは忍者の個性を描くことよりも、それぞれがどこに隠れているのか解らず、どこから現れてどんな形で戦端が開かれるのか解らない、まるでびっくり箱を開けるような感覚を作りだすことにあるように思う。作中、舞台が長崎に移って以降、特徴と所在が明確なのは天草党の頭領・天草扇千代のみ、ほかの忍者たちは無論のこと、弾圧によって宗派を明らかには出来ない十五童貞女たちもまた様々な形で民草のなかに身を潜めている。いついかなる形で追う者たち・追われる者たちが接触するか読者にはまったく予測できないのだ。

 そういう手法なので、個々の忍者の魅力はほとんど描かれずに終わるし、忍法の特色と、それを応用した知的な戦闘や、忍法の特色によって自滅していく姿が強調されることもないので、忍法帖独特のダイナミズムという点ではほかの作品より力強さに欠くと感じるが、牽引力においては『魔界転生』などの超A級作品群にも比肩する。

 人物が入れ替わり立ち替わりするために、全体での筋というものも特に感じられないが、それでも結末に際して突如立ち現れるサプライズがあるのが凄い。そのうちのひとつは多少勘のいい読者ならば早いうちに察知できるだろうが、恐らく最後の数行で明かされる事実に気づく人はそうそうあるまい。

 ほかの作品にも増して人物が使い捨てにされている感があるが、それ故に終幕に漂う無常感も従来と違う趣がある。舞台と背景の必然的な一致も素晴らしく、傑作群とは比べるべくもないが極めて上質な長篇である。

 ただひとつだけ注文をつけたいのは――解説は、本編が終わった次のページからすぐに始めるのではなく、一ページ間隔をあけて欲しかった、ということ。見開きの左ページで本編が完結するなら兎も角、右のページで終わってしまっているため、何気なく解説を眺めようとしたら結末のネタがそのまま目に入ってしまう恐れがあるからだ。

 ……恐れがあるどころか、実際に目に入ってしまったんですけど。それでも面白かったから構わないといや構わないんですけど。

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