雷鳴の中でも

雷鳴の中でも 『雷鳴の中でも』

ジョン・ディクスン・カー/永来重明[訳]

John Dickson Carr“In Spite of Thunder”/translated by Jumei Eirai

判型:文庫判

レーベル:ハヤカワ文庫HM
版元:早川書房

発行:1979年12月31日(2001年4月15日付三刷)

isbn:415070354X

本体価格:700円

商品ページ:[bk1amazon]

 スイス・ジュネーブで暮らす画家ブライアン・イネスは旧友から手紙で娘の軽挙を抑えるよう請われた。その娘、オードリー・ページがジュネーブにやって来たのは、かつてイブ・イーデンの名で女優として活躍していた女性の別荘に招かれたからであった。現在、やはり元俳優のデズモンド・フェリアー夫人である彼女はまだ世界大戦の始まっていなかった17年前、ナチの支持者としてドイツに喚ばれた際、目の前で当時の婚約者が墜落死するという事態に遭遇しており、一部ではイブが何らかの策を弄して婚約者を亡き者とし、その莫大な財産を受け継いだという憶測が広まっていた。イブはその噂を払い除けるために、当時の目撃者であるジェラルド・ハサウェイ卿や新聞記者のポーラ・キャトフォードらを招き、アリバイを立証しようとしている様子だった。美しくも身勝手なオードリーの言動に引きずられ、フェリアー一家との恋の鞘当てに巻き込まれたブライアンだったが、そんな彼の前で17年前の事件を再現するような形でふたたび死が齎される。だが、こんど命を落としたのはイブ・フェリアーであった――犯罪捜査に猛烈な興味を抱くハサウェイ卿が容喙するなか、お馴染みギデオン・フェル博士は如何に縺れた人間関係の糸を解きほぐすのか……?

 原書の刊行は1960年、カーの作家歴にあっては晩年の作に属する。初期は極めて複雑怪奇な人間関係や状況のなかで発生する密室殺人、不可能犯罪と呼ばれるものを扱っていたカーであるが、晩年は歴史推理を手がける一方、現代物ではトリックを単純なものにして、初期にもほの見えていたロマンス嗜好を全篇に行き渡らせた作品が多くなった。

 本編もまたその例に漏れず、仕掛けは単純、その分だけロマンスの色彩が濃厚になった。四十代も後半に差し掛かった視点人物ブライアン・イネスがかねてから密かに想いを寄せていたオードリーの意図も曖昧で身勝手としか思えない行動に振り回され、また周辺の人物たちの謎めいた言動にもやきもきさせられる様子が、殺人事件に纏わる展開と並行して一種サスペンスフルに描かれる。が、なまじブライアン本人が本気で懊悩を深めているだけに、この辺のくだりは『爬虫類館の殺人』のような中期のスラップスティックな作品群を思わせて、妙に可笑しい。

 一方で、ほかの登場人物たちの恋愛感情が入り乱れているために、中盤ぐらいまではまるで初期作品を彷彿とさせるくらいに情報が錯綜して、なかなか状況が掴めないのがちょっと異色だ。真相が解明されても複雑すぎてなお把握しきれない箇所が残る初期作品と異なり、本編は終わってみれば人間関係はすっきりと整理されるのだけれど、それでも序盤は戸惑いを禁じ得ないだろう。この混乱ぶり、そのなかでブライアンやオードリーが次第に自らの旗色を明確にしていくくだりが何よりも本書の読みどころと言えるかも知れない――すると、本書は謎解きを餌にしたロマンス小説か?

 無論、最大の山場はラスト、フェル博士による絵解きなのだが、今回は不可能犯罪興味としては少々魅力に欠いたうえ、肝心のトリックがいささか不確実な代物に映るため、全体に精彩に乏しい。人間関係の縺れの向こう側に犯人像を透かし見る論理(というより詭弁か)の迫力は相変わらず大したものだが前述のように濃厚なロマンス色のために、謎解き自体も結局はそちらに奉仕したような印象を受けた。

 過去の事件を絡めたストーリーテリングには相変わらずの猟奇的趣味も滲み、それが混雑した人間関係と相俟って一風変わった緊張感を生んでおり、リーダビリティは高い。ミステリとしては最盛期の作品群などに及ばないまでも、熟練の手管を匂わせた娯楽小説であると思う。

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