眠れるスフィンクス

眠れるスフィンクス 『眠れるスフィンクス

ジョン・ディクスン・カー/大庭忠男[訳]

John Dickson Carr“The Sleeping Sphinx”/translated by Tadao Oba

判型:文庫判

レーベル:ハヤカワ文庫HM
版元:早川書房

発行:1983年8月31日(2004年3月15日付2刷)

isbn:4150703663

本体価格:800円

商品ページ:[bk1amazon]

 任務の都合で戦死を装って潜伏していたドナルド・ホールデンは、任務を終えて晴れてイギリスに“帰還”した。心懸かりは、かつて想いを寄せながら、若さ故の無思慮な行いで結ばれることのなかったシーリア・デバルーのこと。彼女の姉マーゴットが嫁いだ友人ソーリイ・マーシュのもとを訪れたホールデンだったが、そんな彼が知らされたのはマーゴットの死と、彼女の死を巡ってシーリアが奇怪な言動を繰り返し、周囲から狂人扱いされているという事実であった。シーリアと変わらぬ思いを確かめ合ったホールデンは、彼女が正気であることを信じ証明しようと躍起になるが、事態はそんなホールデンを中心にして急速にこじれていく。縁あって招かれたギデオン・フェル博士はこの謎をどう解き明かすのか……?

 カーらしさの横溢する作品であることも確かだが、同時に一風違った手触りも備えている。

 初手から事件らしき事件がない。焦点となるのはホールデン帰還の一年ほど前のマーゴットの死であるが、周囲の認識では事件性もなく完結した話になっている。そこに、数年振りに偽りの死から蘇ったこと、加えてただひとり、マーゴットの死について疑惑を口にするシーリアという存在があって、ようやく過去の出来事に“事件”としての光が当てられる。拠り処であるシーリアの言動は周囲から信用されておらず、ホールデンは愛ゆえに彼女の言葉を信じ証明しようとするが、しかしかつての友人や専門家の発言によって心を揺さぶられる。詰まるところこの作品は、ある女性の死が本当に犯罪によるものであったのか否か、を中心に展開しているあたりが特殊である。

 しかし、如何にもカーらしい要素はことごとく網羅しているので、雰囲気に変わりはない。いささか成り行きのあっさりしているロマンスを切り出しに、著名な殺人犯を演じる仮面遊びという猟奇的な要素、更に密室の謎まできっちり用意している。そのうえで理詰めにきちんと謎解きを行う手管がさすがだ。

 ただ、徹底した外連味に対して解決がいささかあっさりしていること、幕引きの爽快感に乏しいことが惜しまれる。カー作品に限らず、黄金期のミステリには多い決着ながら、本編にこの結末は不似合いではなかったか。また、中盤で提示される魅力的な密室の謎が、豆知識に近いもので解決されてしまい、それ以前に扱い方に疑問を残す点も残念だった。

 とは言うものの、総体としては水準をクリアした、やや地味ながら安定した仕上がりの作品であると思う。爽快感に欠く結末と表現したが、解決の直後、誰よりも翻弄されたある人物の述懐には人間の“業”のようなものが漂い、その点に置いても他の作品と違った味わいがある。

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