『幻を追う男』
ジョン・ディクスン・カー/森英俊[訳] John Dickson Carr“Speak of the Devil”/translated by Hidetoshi Mori 判型:四六判ハード レーベル:論創海外ミステリ 版元:論創社 発行:2006年12月20日 isbn:484600743X 本体価格:2000円 |
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密室の巨匠ジョン・ディクスン・カーが自ら執筆し、BBCで放送されたラジオ・ドラマの脚本を訳出したシナリオ集。南アフリカからロンドンに弟が戻ったその夜に殺害された男。犯人は、弟が帰路に出逢い途端に婚約を交わすほどの仲になった女なのか? 事件の経緯を後年、フェル博士がBBCのインタビュアー相手に説くという変わった構成で送る『だれがマシュー・コービンを殺したか?』。1916年に大邸宅の四阿で大尉が銃殺された事件を、1940年にフェル博士が解きほぐす『あずまやの悪魔』。1816年の英国を舞台に、ただいちどだけ巡り逢った女性に恋をして果てしなく追い求める軍人の冒険と、不可解な事件の謎を巡る歴史ミステリである表題作の全3作を収録する。
シナリオなので、基本的に会話のみで成立し、随所に挿入された効果音の指示がその状況を想像させる、小説とは異なった読み方を強いられる。慣れるまでにやや手間取るが、しかしいったん要領が把握できれば、いつものカーらしい不気味な雰囲気とロマンス、更には後年の主流となった歴史ミステリの醍醐味まで堪能できるという、実に至れり尽くせりの1冊に纏まっている。 細かなアイディアは小説で再利用されている気配があるうえに、道具立てについても定型を使っているだけに、地の文がないぶん余計にマンネリを感じられるきらいもある。だが翻って、持って回った地の文が最小限に絞られているので、ダイナミックで外連味に富んだストーリー展開を虚心に堪能できるという長所もある。 こうしてシナリオのかたちで触れてみると、カーがいかに道具立てにこだわり、素材を雰囲気作りと謎解きとに同時に役立てようと工夫しているのかがよく解る。『あずまやの悪魔』は台詞の出し方で人物の距離感を表現しようと試みているし、表題作では回数の多さを利用して毎回クライマックスに見せ場を用意する一方、事件についての世間の感じ方を毎回同じ無名の、だが同じ人物が登場して、世間話がてら説明するという手法を採り入れている――いまではわざとらしいと忌み嫌われる様式だが、カーの場合はもともと登場人物の言動が芝居がかっているうえ、説明後の引き際も綺麗で、会話だけで聞いている分には恐らくさほど気にならない程度に工夫を凝らしているのも窺える。小説とは異なる様式であっても努力と工夫を弛まず、謎解きを含むエンタテインメントとして昇華させようとする姿勢が微笑ましい。 ラジオ・ドラマならではの趣向もカー本来の不可能趣味も、更には従来よりも更に掘り下げたロマンスまでも盛り込んだ、実に盛り沢山な作品集である。シナリオ集は軽すぎる、癖があって読みづらい、という方でも、食わず嫌いはせずいちど手に取っていただきたい。カー愛好家であれば楽しめること請け合いだし、訳文特有の癖やカーの持って回った文章に苦手意識のある方でも、恐らく本編であればその趣向の豊かさとサービス精神とを純粋に堪能できるはずだ。 |
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