『シッコ』

原題:“SiCKO” / 監督・製作・脚本:マイケル・ムーア / 製作:メガン・オハラ / 製作総指揮:キャスリーン・グリン、ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタイン / 共同製作:アン・ムーア、リーヤ・ヤング / ライン・プロデューサー:ジェニファー・レイサム / 編集:ダン・スウィエトリク、ジェフリー・リッチマン、クリストファー・スワード / 音楽:エリン・オハラ / ドッグ・イート・ドッグ・フィルムズ製作 / 配給:GAGA Communications × 博報堂DYメディアパートナーズ

2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間3分 / 日本語字幕:石田泰子

2007年08月25日日本公開

公式サイト : http://sicko.gyao.jp/

日比谷シャンテ・シネにて初見(2007/09/01)



[粗筋]

 アメリカのある夫妻が、財産のすべてを僅か二台の車に積み込んで、まだ二十代の娘夫婦の家に身を寄せた。持ち家を手放し、もと物置部屋に追いやられるほどにこの夫婦を疲弊させた原因は――病気。夫は3度の心臓発作に見舞われ、妻もまたガンに苦しめられた。どうにか身体は小康を取り戻したが、あまりに高額に及んだ医療費のため、ふたりはとうとう破産してしまった。数ヶ月おきに息子と娘の家を往復し、面倒をみてもらう暮らしが当面続く。

 日曜大工の最中に、電動式のカッターで2本の指の先を切断してしまった男性がいる。咄嗟に考えたのは「医療費が大変だ」だったそうだ。彼を診た医師は、薬指の接合には1.2万ドル、中指なら6万ドルがかかると言った。ロマンティストの彼は薬指のみ選択、いま彼の片手の中指はゴミ処理上の何処かに眠っている。

 そろそろ80歳に近いある老紳士は、今も大規模スーパーで清掃の仕事を続けている。仕事を続ける限り、高額に及ぶ薬の支払が免除されるからだ。とうに楽隠居してもいい年齢でありながら、彼は医療費のためだけに決して楽ではない労働を続けている……

 悲惨な例は枚挙に暇がない。マイケル・ムーア監督が本編の製作発表後、インターネットで保険についての体験を募った結果、僅か一週間で25000件を越えるメールが届いたほどだ。この医療制度はいったいいつからアメリカに巣くったのか? 記録がはっきりと証明している。1970年代、ニクソン政権下で行われた“改革”がきっかけだった。自由競争の名のもとに保険業界を利潤追求に走らせ、国民や医師から医療の精度を選択する“自由”を奪う国民皆保険制度を社会主義的だと弾劾する風潮を形成させ、現在のような弱者無視の保険制度を根付かせてしまった。

 では、本当に国民皆保険制度は社会主義的であり、統制社会に民衆を導く悪しきものなのだろうか? ムーア監督はアメリカのすぐ隣にあるカナダを切り出しに、イギリス、フランスの医療制度を探る。その結果明確になったのは、アメリカでの通説とはまるで正反対の現実であった……

[感想]

ボウリング・フォー・コロンバイン』ではコロンバイン高校での銃乱射事件を切り出しにアメリ銃社会の矛盾を衝き、『華氏911』ではあの同時テロの遠因をアメリカ国内に探り当てた。この2作品でドキュメンタリー作家としては異例の成功を収めたマイケル・ムーア監督が新たに挑んだのが、医療制度である。

 その主張内容については、ここでくだくだしく述べるより実際に作品を観ていただいたほうが早いだろう。今回のムーア監督の主張は単純明快、鑑賞すれば一発で理解できる。だからこそ眼を瞠るのは、その表現技術が前2作よりも洗練されていることだ。

 もともとムーア監督はドキュメンタリーに娯楽性、ユーモアの要素を盛り込むことで晦渋なイメージを払拭してしまった点で革命児であった。そうすることで、本来ドキュメンタリーに興味のない、一般の映画ファンから更に映画を多く観ない層まで取り込んでしまったことが彼の作品の成功の秘訣だったが、しかし同時にドキュメンタリー映画の大半が孕んでいる、結論に至る過程で中弛みを生じるという欠陥を払拭はしきれていなかった。間違いなく高い娯楽性を備えてはいたが、それはそういうドキュメンタリーであるがゆえの欠点を補うため、という側面も大きかった、というのが私の印象だった。

 だが本編には、その“中弛み”がない。この問題が長年にわたって蓄積していった悲劇の報告が監督の下に大挙してサンプルに事欠かなかった、というのも大きいだろうが、飽きが来そうになると何らかの形で視点や取材の対象を切り替えて、新たな事実を提示する、という呼吸が前2作よりも堂に入ったから、というのがもっと重要だろう。基本的に視座は変えないまま、しかし見るものをがらっと変えることで観る側の興味を巧みに繋げていく。

 無論、すべてを鵜呑みにするのは賢明ではない。もともとたかだか2時間程度の尺で、主題について完璧に洗い出すことなど不可能なのであり、ドキュメンタリー映画を鑑賞する上でこの大前提を見失っては意味がない。また、マイケル・ムーア監督は自身の主張に沿って巧みに情報を取捨選択しているという事実についても注意が必要だろう――その取捨選択の巧さが彼の独自のスタイルとユーモアとを支えているという点からも。特に本編では、焦点を逸らさぬよう、保険に加入できない貧困層ではなく、保険に加入することが出来ながら支給を受けられず苦しむ人々に照準を絞り、また保険制度のケアの質を問うており、その制度を維持するために必要な国家の負担などには敢えて触れていない。アメリカに隣接し遥かに優秀な医療保険制度を保持するカナダも、予算難でその制度が破綻の危機に瀕している、という点については無視を決めこんでいる。

 しかしこれもムーア監督自身が語っていることだが、問題はカナダの国歌予算であり、制度自体はアメリカより優れていることは一目瞭然だ。また、それを支えるための財源の確保と、制度の不備に対する疑問の提示とは微妙に次元が異なっていることも見逃してはならない。意識して主題とはずれる部分を排除しているからこそ、本編での主張には一切のブレがない。手を拡げすぎたあまり若干焦点の暈けた部分を残した旧2作と比べて、その意味において間違いなく監督の手腕は成熟している、と言えるのだ。

 とはいえ、革命児らしい特異な手法とユーモア精神もまるっきりは損なっていない。顕著なのはクライマックス、アメリカ国内において唯一、無償で優秀な医療が受けられる施設――テロリストたちを収容したグアンタナモ海軍基地に赴く過程である。本土ではまともな医療を受けられない911の英雄たちや、それまでに登場した難病に苦しむ人々を連れてグアンタナモ海軍基地の近海にまで向かい、拡声器で彼らに治療を施して欲しいと訴える。パフォーマンスに過ぎない、と批判することは容易いが、ちゃんと動こうとするあたりが実に監督らしい。更に凄まじいのはその後の経緯だが、これは実際に映画を確認していただきたい。作中最も衝撃的なひと幕である。

 そして、これほど重い素材を扱いながらも、程良いユーモアを留めたことで、全体の手触りは想像するよりずっと柔らかい。恐らく他のドキュメンタリー作家がこの題材を取り扱ったなら、重々しすぎて観るに忍びないものになっていただろう。それを自分のスタイルに溶け込ませることで口当たりをよくしている点でも、マイケル・ムーアという映画監督の腕が上がったことを窺わせる。

 ムーア監督が自ら動いたことで、登場した“被害者”たちの一部に明るさを取り戻すことには成功しているが、しかし依然としてアメリカの劣悪な保険制度に泣かされている人は多い。人々に問題意識を呼び起こさせ、改善する動きを促すために彼が本編を作りあげたのは間違いないが、けれど彼はそれを声高に訴えたりしない。代わりにラストシーンで、如何にも彼らしい行動を仄めかしてみせる。その軽いユーモアが、重厚なレポートの締め括りに爽やかな余韻を添えることに成功している。闇雲に正義を叫べば人は却って拒絶反応を示してしまうものだが、このラストシーンには快さと共に、ぼんやりとした問題意識を刻みつけられてしまうだろう――さほど痛いとも感じずに。

 日本もここで語られる市場原理優先の医療制度に傾斜しつつある昨今、日本人としても観ておいて損はない作品だと信じるが、しかしそうした問題意識をいっさい脇に置いても、ドキュメンタリーとして、映画として純粋に面白い。問題がアメリカのみならず、医療というものに関わるすべての人々に波及している点もあって、より普遍的で意義のある作品と言えるだろう。なるほど確かに、ムーアの現時点における最高傑作と呼んでいいかも知れない。

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