原題:“Hairspray” / 監督・振付:アダム・シャンクマン / 脚本:レスリー・ディクソン / 製作:クレイグ・ゼイダン、ニール・メロン / 製作総指揮:アダム・シャンクマン、マーク・シェイマン、スコット・ウィットマン、ギャレット・グラント、ジェニファー・ギブコット / オリジナル脚本:ジョン・ウォーターズ、マーク・オドネル / 撮影監督:ボジャン・バゼリ / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・グロップマン / 編集:マイケル・トロニック / 衣装デザイン:リタ・ライアック / 作詞:スコット・ウィットマン、マーク・シェイマン / 作曲:マーク・シェイマン / 出演:ニッキー・ブロンスキー、ジョン・トラヴォルタ、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン、アマンダ・バインズ、ジェームズ・マーズデン、クイーン・ラティファ、ブリタニー・スノウ、ザック・エフロン、イライジャ・ケリー、アリソン・ジャネイ、テイラー・パークス、ジェリー・スティラー / 配給:GAGA Communications
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2007年10月20日日本公開
公式サイト : http://hairspray.gyao.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2007/11/09)
[粗筋]
1960年代、デトロイドから発信された黒人音楽が全米を席巻しつつも、まだまだ各地に差別が残るボルティモア。やたらと陽気でポジティヴ、髪を流行りのヘアスプレーで大きく膨らまし、ダンスに歌に励む少女がいた。彼女の名はトレイシー・ターンブラッド(ニッキー・ブロンスキー)。スリムですらっとした体型が持て囃されるなか、彼女は小柄でLLサイズとかなりのハンディを抱えていたが、そんなことなどお構いなし。やはりビッグ・サイズの母親エドナ(ジョン・トラヴォルタ)に苦い顔をされても、大きな夢を諦めなかった。
ある日、そんな彼女が毎日楽しみにしている夕方のTV番組『コーニー・コリンズ・ショー』に欠員が生じ、急遽新メンバー選抜のオーディションが催されることになった。親友ペニー・ピングルトン(アマンダ・バインズ)と共に意気揚々と繰り出していったトレイシーだが、元ミス・ボルティモアにして『コーニー・コリンズ・ショー』を放送するWYZT局のオーナーであるベルマ・フォン・タッスル(ミシェル・ファイファー)は、その容姿だけで門前払い同様にトレイシーを追い払ってしまった。
さすがに少々落ちこんだトレイシーだったが、すぐに新たなチャンスがやって来た。同じ学校に通っており、『コーニー・コリンズ・ショー』のメンバーのなかでトレイシーが特に憧れていたアイドルのリンク(ザック・エフロン)が、居残りの教室で黒人たちと踊る彼女を評価し、学校で開催されるポップ・ショーに参加すればきっとコーニーに認められる、と太鼓判を押したのだ。果たせるかな、一発でその存在感を評価されたトレイシーは、すぐさま番組の欠員を埋める形でレギュラーに採用される。
小柄でヴォリュームたっぷりの体を軽快に躍らせるトレイシーのスタイルは、あっという間にボルティモアの若者たちに受け入れられた。父のウィルバー(クリストファー・ウォーケン)は瞬く間に人気者となった彼女のグッズを自らのジョーク・ショップで売り始め、自らの体格を恥じて10年以上の引き籠もり生活を送っていたエドナは娘たっての頼みで彼女のエージェントとして外出し、お洒落をし思うさま街を闊歩する楽しみに久々に目覚める。憧れのリンクはトレイシーと共演するうちに、外見ではない本質的な魅力に惹かれ彼女に好意を示すようになる。順風満帆に見えたトレイシーだったが、トラブルは思わぬところから彼女を襲うのだった……
[感想]
本編はかなり数奇な運命を辿った作品であるらしい。そもそもは1987年、ジョン・ウォーターズ監督が製作した映画がオリジナルだが、本編が下敷きとしているのは、それを元に作られたブロードウェイ・ミュージカルである。2002年に初演を迎えたこの作品は、トニー賞にも輝き絶賛を博したという。それを受けて、『シカゴ』の映画化でアカデミー賞を獲得した製作者たちが、ブロードウェイにて評価されたミュージカルのスタイルを踏まえてふたたび映画化を企画、実現に結びつけたのが本編というわけらしい。
オリジナルにも舞台版にも触れていないので、そちらがどんな印象なのかは解らないが、本編を観る限り、支持されるのもよく解る。頭からお尻まで、爽快感だけが詰め込まれたような、実に理想的な娯楽作品に仕上がっているのである。
オープニングは青春映画のお約束通り、ヒロインの目醒めから登校のくだりを描いているのだが、いきなり朗々と歌い始め、自分と自分の住む街を賞賛するそのポジティヴな姿勢に、観ているだけで笑みがこぼれてしまう。これもお約束通り学校ではどちらかというと劣等生、体格のせいで親しい者以外からは見下されている傾向にあるが、当人にまるで意に介する様子がないので、観ていても快い。
そんな彼女が憧れの番組に、無謀とも言える挑戦を試み、破竹の勢いで駆け上がっていく爽快感たるや、そんじょそこらのアクション映画では太刀打ちできないくらいだ。あまりに都合よく転がりすぎる不自然ささえも、その異様なまでの前向きな姿勢と、確かに感じられる才能とで押し切ってしまっている。率直に言えばこの付近のミュージカル・パートにはいささか冗漫な印象もあるのだけれど、いつの間にかそれさえ気にならなくなってしまっているのは驚くべきことである。
この類い希なドライヴ感を手助けしているのは、割り切ってファンタジックな演出を心懸けたこともさることながら、配役がことごとく的を射ている点に因るところが大きい。傑出した悪役ぶりを示したミシェル・ファイファー、黒人社会のアイコンとして『シカゴ』のときにも匹敵する存在感を示したクイーン・ラティファ、強面に似合わぬユーモラスな人柄と意外な歌と踊りの巧さを示したクリストファー・ウォーケン*1あたりが素晴らしいが、しかし出色なのはやはりジョン・トラヴォルタだ。徹底した特殊メイクでもあの個性的な顔立ちは変わらず、声も決して意識的に女性を繕おうとはしていないのに、見事に女性に見える。デブで歳を食った、けれど紛れもなくキュートなオバさんにしか思えなくなっている。そんな“彼女”が引き籠もりを脱してお洒落に着飾り、娘と共に歌い踊り、更にはこの映画で最長のラヴ・ソングをデュエットして魅せる。おそらく今後二度と観られないであろうこの一連の流れは、個性派にして演技派ジョン・トラヴォルタの面目躍如である。
しかし何と言っても賞賛すべきは、オリジナル映画からの伝統に従って*2発掘された新人ニッキー・ブロンスキーである。役柄そのものの才能と愛くるしさで、映画に存分の説得力を付与し、物語全体の要の役割を完璧に果たしている。
これだけ爽快感に満ちあふれた作品でありながら、しかしその実、主題はかなり重たい。黒人に限らず、社会全体が未だに孕んでいる“差別意識”に踏み込んでいるのだから。だが、観ているあいだはほとんどそのことを感じさせず、脳天気なまでにポジティヴだが、しかしシンプルな解決策を突きつけるその爽快感は、きちんと娯楽としての大前提を果たしつつもきちんとメッセージ性を備えて訴えかけてくるあたりが見事だ。
終始予定調和のようでいて常に軽く的をずらし、“意外”という言葉を使いたくなる決着へ導いていく手管。社会の醜さや悪意も盛り込みながら、しかしそれすらチャーミングに、終始愛らしく描き出して余韻に澱みを残さない純粋な爽快感。すっきりといい気分にさせて、観終わったあとで前向きな力をもらった気分にさせてくれる、優秀な娯楽映画である。――奇しくも直前に鑑賞した、そして日本では同日公開となった『グッド・シェパード』のクライマックスと同じ1960年代を扱いながら、その雰囲気も方向性も対極にあるのが個人的には面白かった。
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